2012年12月17日月曜日

あわてんぼうのサンタクロース。

終わりは突然やってくるものですね。


日本にいる時のような仕事量はないとはいえ、月曜日はやっぱりちょっと憂鬱になるのは南国でも同じ。いや、日本にいるときもせっせと仕事をした記憶はあんまりございませんがね。月曜日ってことは、火曜、水曜、木曜、金曜と平日がぞくぞくと後ろに控えてる訳だし、やっぱり憂鬱ですよね。学校にいって、そんな話を同僚としていた訳ですよ。

ぼく:月曜日より金曜日がいいよね。
同僚:なんで?
ぼく:だって、明日から仕事が始まる日と、休みが始まる日は大違いだよ。
同僚:え、明日からあなた休みよ?
ぼく:ん…。

どうやら、もう今日が仕事納めになるそうです。
一応、明日も学校に顔は出しますが、本当に顔を出すだけですね。

明後日にはクリスマスプログラムがあったはずなんですが、そしてクリスマスパーティーもあったはずなんですが、全部キャンセルになったようです。

「教員の給料が支給されていない現状でパーティーなんかする金あるかっ!」
ってのが現場の先生の総意だそうで。

まあ、なんか金の問題はややこしいから、つっこまないことにしました。
しかし、私がここ最近授業を返上させられてまで教えていたクリスマスソングたちはどうなるのでしょうか。私の算数の時間をできたら返していただきたい。そして、声がかれるまで歌いまくった労力はプライスレス。

あわてんぼうのサンタクロースを教えたのがいけなかったのでしょうか。
それにしても、クリスマスブレイク。早すぎでしょ。

あわてんぼうのサンタクロースしかたがないかーらおどったよ
たのしくちゃっちゃっちゃたのしくちゃちゃちゃ
みんなもおどろよぼくとー
ちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃ

ああ、今なら早く来ちゃったサンタさんの気持ちが痛いほど分かるぜー。
ちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃー。

2012年12月13日木曜日

My calling。

眠れぬ夜はブログでも更新しよう。

今日はなんだか眠れないぞ。
将来のことを少し考えていたら無限に考えないといけないことがあるではないですか。

つい先日まで同期隊員が一時帰国をしていまして、ちょうどいい機会だなと思って帰国準備を始めたのです。帰国準備といっても荷物を整理したりといったものではなく、例えば帰国後の住む場所を考えることであったり、就職試験(教員採用試験になるのかな?)の情報を集めたりすることの方ね。

ぼちぼちと二年間という限られた南国生活にも終わりが見えてきて、日本での生活を考えだす時期がやってきたんだなぁ、としみじみ。といってもあと半年程あるんですけどね。

今は青年というより、少年の気分です。
もう30手前のオッサンなんですけどね。

ただ、選択肢はそんなにないのが残念ですが。

小学校のときに実は既に私は先生になりたかったんです。
中学校の時に、お寺の坊さんになりたくて。
高校の時にホームレスに憧れて。

いまでも坊さんにはちょっと憧れてたりするんですけど。
でも、今は正直なところ何でもいいです。

My calling(天職) は先生なんだろうなとは思いますがね。
別に学校にいる必要もないと思うんですね、先生が。どこにいても先生なんです。

この歳にしてなんて無謀な…なんて思わなくはないのですが、私は楽観的な悲観主義者なのです。いや、悲観的な楽観主義者の方がしっくりしますね。

私は努力をしない。そしてできない。
ずっと楽をして生きる。

楽に生きるために必至で努力をしているのです。
何をやっても特に大きな失敗はしませんよ。だって努力してるもん。
やりたい事はだいたいなんでもやるよ。でも、やりたくない事はしたくないぜ。
やりたくないことはしたくないから、それをしない為にそれをする以上の努力が必要なんだぜ。なんて燃費が悪い。でも、真似できるもんならやってみろよ。そんな簡単なことじゃないんだから。

そして、私は先生なんです。
ああ、めんどくせぇなぁ。って思うんですよ。

先生は役者じゃないんです。自分の現実生活全てが先生なんです。役者なら役が終わったら仮面を脱ぎ捨てればいいだけなんだけど、自分の生活がそうであるなら、自分の生活に仮面をかぶらないといけないのです。

正直責任感はないが、やっぱり責任はあるし、僕にも愛はある。

舞台は自分の人生で、他の人間全てが観客。そして、仮面をかぶるのです。でも、もしずっと仮面をかぶっているのなら、それはもはや素顔。

仮面という名前の素顔の誕生ですね。

他人の評価の為だったつもりが、結局自分の為になってくるんですね。ここまでくると気づいたときにはね。
連立方程式のようですが、結局のところはその「解」はいつでも〝好きに生きている自分〟なんです。

いつでも好きに生きるという仮面、そしてそれは自分の素顔。
右か左、悩んだら楽しそうな方に進めばいいんですな。結局。

そして、私はそれが先生であるべきだとおもうのです。
先を生きる。

右にいってみて、「おいっ!右めっちゃおもろいど!ちょっとこっちきてみぃ!」ってゆうてね。
あかんかったら、それを笑いに変えてもたらええんです。ほんで、左にいけばええだけの話なんです。「あかん、悲惨な目にあったな。ちょっとあっちの道もいってみよっ!」ってね。

三叉路でも、四叉路でも一緒ですよ。
一個あかんかったら他を探せばええんです。くじけへんかったらそれは先生。
次はこっちいってみよかー、ゆうて一緒に歩いていけたらそれでええんでしょ。

道がなくなったらしゃあないから一歩踏み出せばええんでしょう。
ドロドロの道かもしれへんし、おっきい穴かもしれへんけど、穴にはまったら笑って足抜いたらええだけの話ですよ。そしたら後ろついてきてる人はその穴にはもうさすがにはまらんやろうしね。

さて、何をゆうてるか分からんくなってきたから寝よ。
空が明るくなってきそうです。