2012年1月31日火曜日

酋長さんの命令です。

ヤップやポンペイは酋長の力がまだ強く残っているそうですがこの度ついにチュークでも酋長さんが動いたようです。

その名も…
夜9時以降は道を歩くの禁止条例!

酔っぱらいが叫び声を上げながら歩くの封じ。
夜中になっても外で遊んでいる子ども封じ。

この二つの理由がメインやと思うんですけどね。

酔っぱらいの方は本当にびっくりするような奇声をあげて夜中に道を闊歩するんです。そして、物を壊したり場合によっては盗んだりします。今回の条例で、とりあえず怪しいヤツはシャットアウトってやつですね。

次の子どもの件ですが、何時になっても外で月明かりで遊んでいる子どもがいます。ただ走り回ってるだけだったり、だらだらとしゃべっているだけだったりするんですが、大きな子どもだと酒を飲んでいたりタバコを吸っていたりすることもありそこらへんは日本と同じですね。結局寝るのも遅くなって学校にも悪影響で…。といいことなし。

なかなか幼稚なようでいて、理にかなった条例だということが分かってもらえたかと思います。

ではどうやって施行するかといいますと、8時半にまず鐘が鳴ります。これが予鈴みたいな感じ。そして9時にもう一度鐘がなります。これがなるともう歩くの禁止です。

毎日、村の中にある小さな集落から代表者が出て巡回警備をするそうです。
そして、もしその時に歩いている人間を発見すると指導の上、罰金(5ドル)を徴収します。そして、その人間の指導についての責任は小さな集落毎にいるエリア長さんみたいなのが責任を持つそうです。

ただ、特例みたいなのもあるようで、ちゃんと理由があればいいそうです。(例:隣の家に薬をもらいにいく、とか)まあ出歩くことを禁止したいのではなくて、飽くまで上に挙げたようなあからさまにこの村にとって迷惑な行為を取り締まろうというのが目的なんですね。

まあこの条例を出してるのはうちのビレッジだけなそうですが、自分の住んでるエリアにちゃんとした酋長さんがいて、そういうなかなかよさげなシステムを作ろうとしているってだけでもありがたい話しですね。

ラーメン食い競争。

宗教行事はやはり私にとって決して楽しいものではございません。分かりやすく言うと法事の時に坊さんがお経を延々と唱えるでしょ。あれのキリスト教版です。多少はキリスト教の方がみんなで歌ったり、ちょっと踊ったりと楽しげに見えるのですが、それも最初の一ヶ月ぐらいのもので慣れてくるともうお経にしか思えません。でも、まあ宗教理解っていうのは人間関係築く上で一番大切なのでちゃんと参加するんですけどね。

というわけで三校合同のマスは粛々と終わりまして、午後からは体育館に移動してレクリエーションをしましたとさ。

スピーチコンテストから始まり、逆立ち競争、二人三脚、ぐるぐる目回り競争、パン食いならぬドーナツ食い競争なんて感じの日本でもありそうな競技が続いたのですが、突然度肝を抜かれるような競技が始まりましたのでご紹介しておきます。

じゃじゃーん。
机の上に1チームあたりに用意されているのは袋入りのラーメン二つと、カップラーメン。


なるほどー、ラーメンの早食い競争ね。
いや…しかしどうやって袋のラーメン食うのよ?


ゲームが始まると疑問は一瞬で解消しました。
手でバリバリと乾麺を食べるこの姿!!端っこの女の子の手元に注目です!

これぞチュークです。
まさにチュークの悪しき食生活の縮図のようなこのゲーム。こういう場面を見ていると食育の大切さをヒシヒシと感じますね。

通常の授業よりどっと疲れましたが、生徒はいい表情をして帰途についていましたのでいい行事だったのではないでしょうか。とりあえず明日は学校周辺の清掃活動です。

ところで、いつになったら授業が復活するのでしょうか…?

2012年1月30日月曜日

第三十一週目。

この何週目シリーズの「第百四週目」を書いて3日したら日本に帰国しているそうです。あと七十週とちょっと。そう考えたら三分の一ぐらい終わった気分になれていいですね。

季節の変わり目の度に日本だったらある行事を考えて妙にさみしくなります。

夏だと花火大会に行きたいなぁ、みたいに。
秋は秋刀魚と紅葉狩り。秋刀魚くいたかったよ、秋刀魚…。
冬だと年末年始のイベントとウィンタースポーツですね。あー、雪山に行きたい。
そして、もうすぐ春になるのでサクラが見たくなるんでしょう。

そしてそれぞれの季節毎の思い出にひたるわけです。
ま、ないものねだりはやめよう。

というわけで、我が聖セシリア小学校はご機嫌なカトリックスクールウィークとやらに突入しましたよっと。
明日は、先輩隊員が派遣されているゼビア高校とサラメンチューク高校と合同で、サラメンチューク高校のすぐ横にある教会にてマス(ミサのこと)があります。

そして今日は午前中は明日のマスの歌の練習をしていたんですが、午後からは無秩序に子どもも職員も入り乱れての球技大会が突然スタートしました。




眺めのいい学校。楽しそうな子どもと職員。

ぼけーっと保護者気分で眺めていると、突然ぞろぞろとみんなが帰りだしました。

「あれ?なんか公式行事じゃなかったの?」
ってきいてみたらただ遊んでただけみたい。
じ…じっ…授業は?

今週一週間は授業はなさそうです。ぽぽぽぽーん。

ご近所のSVさんのおうちにお呼ばれしたのでカレーを食ってきます。
それではみなさん今週も機嫌のいい一週間にしましょう。

2012年1月28日土曜日

人生やりなおスイッチ?

めんどくさがりで、だれよりも一番手を抜いている。
だから人の動きをせっせと観察して、最も楽な道を歩いていきます。

それが私です。

っていっても、あくまで自分にとって楽な道ですけどね。

思うにしんどいな、めんどくせぇなって思うポイントなんてみんな違ってると思うんですよね。結局それって得手不得手の問題ですから。てことで、一般的にはしんどい(難しい)と思うけど、自分はむしろご機嫌で(簡単に)できるぜっていうことをせっせと探してさっさとやるのが一番いい。それは傍から見たらちょっと〝頑張ってる〟っぽいんです。本人は〝遊んでる〟に近いのにね。

ちょっとは真面目にいきろよ。
って、思うけど今さら真面目に真っ直ぐなんて歩けるものではございません。

昨日、夢を見ました。
その中でこんなシチュエーションになったんです。

今の現在の記憶は残したまま、画面がいっぱいある部屋に突然私はいました。
そして、突然こんな質問をぶつけられる訳です。

〝いったんあなたが存在する前の状態まで巻き戻しさせていただきました。あなたは好きな人生を選んでいいのです、あなたの思うがままの人生をどうぞ。〟

無数の画面に映っているのは様々な人生。金持ちだったり貧乏だったり、中には王様っぽいのや、奴隷として生きているようなのまで。笑ってたり、泣いてたり、怒ってたり、実に画面の中は忙しい。
あ、これの中から選ぶのね。趣旨を理解した私。すると…

〝もしお気に入りのがなければ、好きなように編集いただいてもかまいませんよ。〟

ふむ。でもなんか、悩むこともなくすんなりと決めている夢の中の私がいました。

「今のオトンとオカンの元に生まれて、これまで出会ってきた人と出会うべくして出会って今現在の状況まですすめたらそれでええ。」

〝嫌な思い出も、何もかも、あなたの好きなように変えてもいいんですよ。〟

「喧嘩した友達とは喧嘩したいし、別れた彼女とは別れたい。別にそれでええねん。今から先の人生のことまで知らんけど、とりあえず自分の〝元の〟人生でええわ。まだまだしたいことあるんで、なるべく長生きできるよーにだけよろしくっ。」

ってゆうたらここで綺麗にすぱっと目が覚めました。
なんかしらんけど、私は自分の人生になんだかんだで満足してるみたいですわ。

人生やりなおスイッチ、もしあったとしても押さんでよさそうです。

2012年1月24日火曜日

普段の活動。

かわいいかわいい二年生の子どもたち。

答えが分かったらすぐに言っちゃうのを抑えるのにどうしたらいいんでしょ…。
答えじゃなくて、どうやって答えを見つけるかを説明したくても、だれか一人が答えをゆっちゃうと後の子どもたちも答えの数字を叫ぶだけになっちゃうのです…。

しょぼん。

勉強は結果じゃなくてその過程が大事やとは思うんやけど。
でも、答えを言えることが嬉しくてしかたないんだろうなぁ。なんて、満面の笑みの子どもを見ていると思うのです。

ほんで、ちょっともうどうしようもないからやり方をかえてみました。
数字をぎゃーぎゃーゆうてる子どもの中で説明はできませんからね。

もう答えすぐいっちゃっていいよ作戦。
授業は答え出した後にします。

7+6=

13!
13!
13!

もう、一人が言い出すとみんな止まりません。
やかましいからせっせと黒板に答えを書いちゃいます。

7+6=13

「○○ちゃんはかしこいなぁ!」
なんて言うと、もう言われた子どもは大興奮。

「どうやって答えを見つけたのかな?」

って聞いたら

|||||||
   +    = 13
||||||

って教えてくれました。

正解!!!!
「じゃあ絵を描かずにできるかなぁ…。」

って言うと、指をつかってせっせと10まで数えてそれ以上指がないので混乱する子ども。

「10までは数えられるねぇ…、じゃあとりあえず10を作ってみようか。」
「7にいくつ足したら10かな?」

3!

「6は3にいくつ足したらなりますか?」

3!

じゃあ、7に3を足して10,あと残りは?

3!

10と3足したらいくつ?

13!
13!
13!

「ええやん!君らは天才や!」

わぁぁぁぁぁい!!ひゃっほぉぉぉ!

どうやらチューク人の異常なテンションの高さと、ノリのよさは低学年の頃から既に育っているようですね。もしかしたら生まれ持ったものなのかもしれません。


って、こんなのが私の日常です。
日々、低学年指導の難しさを感じております。

昨日ちょっと引用するために昔の記事を見返していたら自分の書いているチューク語がちょいちょい間違っていて恥ずかしかったです。
でも、仮に私のチューク語が間違っていても間違っていると分かる日本人が多分全世界で3人ぐらいしかいないのがチューク語学習者の強みですね。

拝啓、Amazon様。(unlocked XPERIA PLAY)

拝啓 Amazon様

寒くもならぬ、この常夏の日々。
いかがお過ごしでしょうか。

このたび、海外(アメリカ)バージョンのAmazon様のサイトをのぞいていますと、なんとミクロネシアに発送可能になっているではありませんか。そして、送料が安すぎることが発覚いたしました。それもそのはず、我らがミクロネシア連邦は未だにアメリカの郵便サービスを使っているのです。

そして、ポイポイポイっとショッピングカートに色々と入れてクレカ番号をつっこみますと、ざざっと日本円でレートを出してくれます。(クレカが日本のクレカの為。親切っ!)
さすが、円高。送料だけではなく、値段も格安!!!!

届くまでの日数も4〜7日なんて驚愕です。

ということで思わずアンドロイド携帯電話を買ってしまいました。
なんとミクロネシアにてXPERIAデビューします。

SIMロックフリーなXPERIA PLAY。
アンドロイド携帯なので、もちろん日本語化も可能。

まあ、ミクロのテレコムと自宅の低速Wifi環境でどの程度このハイエンドなXPERIAを使いこなせるかは分かりませんが、電話帳が日本語で登録できるってだけでかなりの進歩ですね。

2012年1月23日月曜日

第二十八、二十九、三十週目。

総会を挟んだので、だいぶたまりました第○週目シリーズ。
といっても実質授業もほとんどなかったので書くこともなかったのです。

総括して言うと正直なところ若干ですが停滞気味です。

第三クオーターに入りましたので、このクオーターでレッスンスタディ(研究授業)をしようと思っていたのですが、肝心のカウンターパートが何故かここにきて休みがちになってきました。今日も、校長に「私のカウンターパートは病気かな?」って聞いたら、「朝、電話したら病気って〝言ってた〟よ。すぐに簡単に病気に〝なれる〟からね。」って含みのある言い方をしていました。六月の広域研修に向けての大きな活動ですので、ここらへんははっきりとしていかなあかんところですね。

そして、授業についてですが生徒間に無視できないぐらいの差がついてきました。これまでに対策はしてきたのですが、ちょっとどうしようもなくなってきたので明らかに遅れの見られる子どもに補習を持たせてもらおうと思っています。授業時間を動かせないので、補習というか同じ時間内での習熟度別クラスのような形かな。これについては校長の許可は得られたのでなんとか実現させたいところ。本音を言うと授業時間(時間割)が短すぎて相変わらず授業どころじゃないので、これをもう少し改善していただけたらなーってところですが、年度途中なのでもうこれはどうしようもないでしょう。

最後に生活について。
前にも少し書きましたがホームステイ先の家族がついに総入れ替えをしてしまいました。家は同じ、家族は違うという不思議な状況。今のところ一人だけちょっと問題のある人(同僚及び、家族からの情報)だそうですが、他は信頼できる人たちです。
そして、まだまだこの家族構成が落ち着く日は来ないようで、この先ちょこちょこと人が入ってきたり出ていったりの予定があるそうです。来月か再来月には帰ってくるというパパス&ママスを一日千秋の思いで待つばかりです。

感性の鈍化。

現在、ヤップ隊がチュークに滞在中。
歓迎ピクニックをと思いまして日曜日にピサール島に行って来たのですが…。

うわー、すごーい。
きれーーーいっ!

なんて大はしゃぎのヤップ隊と対照的なのはチューク隊。

ビールをぐびぐび飲み干しカップラーメンをすすり終わったかと思うと、そそくさとハンモックにゆられながら眠り続けていたのはもうすぐ帰国する先輩隊員。同期隊員もその横の日陰でゴロゴロと転がりiPod touchでゲームをしていました。

ヤップ隊の二人と一緒に私ともう一人の先輩隊員だけかろうじて海に入っていったのですが海はオオシケでヤップ隊の一人が大波にもまれほぼ再起不能になったので、以後はくるぶしまでぐらいの浅瀬につかってばちゃばちゃと海水浴。ぼけーっと過ごしていました。

ぼけーぼけーぼけーっと。
特に何もせぬままにも時間は過ぎていきます。

ピサールから帰った後、唯一海に入っていた先輩隊員と二人で晩飯を食いながらどちらからともなくぼそり…。

〝もしかしたら…ピサールに飽きてもたかもしれん…。〟
〝あ、やっぱり?気づいてもた?〟

今まであんなにワクワクしていたピサールなのに…。

ただでさえ気怠い時間が流れていくこの島では何かしらの気分転換は必須。ぼけーっとぼけーっと現地スタイルな過ごし方をしているとどんどん頭のなかがもやがかってきます。
それもたまにはいいんですけどね。でもずっとしているとほんとに頭の中が真っ白になってものを考えられなくなってしまいます。

ぼちぼち週末の過ごし方を少し見直す必要があるかもしれません。

2012年1月21日土曜日

シャカオ。(sakau)

サカウだとかサカオだとかシャカオだとかカタカナ表記だとややこしいですがとりあえずSakauを体験してきました。ちなみにフィジーとかだとカヴァって呼ばれてるやつです。


このサカオ、実はポンペイの州旗になっています。そのぐらいにポンペイ人にとってはシャカオの儀式というのは大事な儀式だそうです。

サカウの木の根っこを石で叩きつぶして、水と混ぜてハイビスカスの木の皮で包んで絞ると上の瓶の中に入ってる泥水のようなものが出来るそうです。
昔は儀式の時だけに飲むようなものだったそうですが、今では上のように瓶詰めで売られていたり、サカウバーなんてのも存在するぐらいにポンペイでは愛飲されています。

サカウってのは自然が生んだダウン系ドラッグです。ダウン系…つまり飲めば飲むほどにテンションが下がっていく(鎮静作用がある)んですね。ビールやウィスキーを飲んだらテンションが上がって行きますがサカウはその逆だと思ってもらうといいと思います。
だから、サカウバーでは大きな声で騒いだり、ギャハギャハと笑ったりってのは御法度なそうで、客はずーーーんと思い空気の中でサカウを回して飲むのです。

一口目で、とりあえず〝うげっ?!〟っと思いました。
まさに泥水。少しの苦みととろみがある泥水を飲んでいる感じ。そして、直後に舌がしびれ出します。ほんで頭が少しずーんと重くなります。

うげっ、びりびりっ、もずーん。

たしかにダウン系だわ。
好んで飲みたいとは思わない味でしたが、経験としてはサカオバーには一度機会があったらいってみようかなぁ。

ちなみに、チューク語でサカウというのはお酒のこと。
ビールもウィスキーもワインも日本酒も全部〝サカウ〟です。

2012年1月20日金曜日

心の負債。

明日で故マサオナカヤマさんの嫁さんがハワイに移動するそうで、今夜はスキヤキを作ることになりました。

昨日せっせとお店を探し回ったんですが、白菜が手に入らず。
玉ねぎと牛肉とネギでスキヤキを作ります。
まあ、もはや牛丼ですよね。
チュークには肉のスライスは売っていないので、ステーキ肉を使ってのスキヤキ。
まあ、もはやスキヤキではないけどね。

この一ヶ月ほどは実に大変でしたが、まあ書いてスッキリする話でもないので文句はここには書かないことにしておきます。
まあ、一言だけ〝シンデレラのような生活だった〟とだけ書いておきましょう。
とりあえず大きな傷跡を残す前に台風はぼちぼち過ぎ去りそうです。

そして、ふと気づいたのですが、固定メンバーとして残っているのは遂に私だけになってしまいました。

最初にチュークに来たときに一緒に住んでいた高校生はハワイに行ってもたし。
となりのオバハンはラスベガスに行ってもたし。
パパスもママスもハワイに。

オトウトスは私がポンペイに行っている間に同じ島内ですがモエンと言われるエリアに移動していました。

マサオさんの嫁もハワイに明日から引っ越すらしいし。
マサオさんの息子は来月ぐらいにでもポンペイに移動するかもしれないそうで。

ホームステイといいながらこの家に変わらず住んでいるのは気づいたら本当に私一人…。
ころころと変わる家庭環境に疲弊してきたこの頃です。

環境の変化に適応することは今でもずば抜けて長けていると思います。
でもやっぱり年齢のせいでしょうか。回復力が遅くなったような気がします。
肉体的なものももちろんですが、それ以上に精神的な回復スピードがびっくりするぐらい落ちてきたなぁ。

気分的に万全じゃないのに、結局埋め合わせるので、次々に借金が貯まってきます。

余裕がなくなってきた時こそ、人にやさしく。
心地よく過ごすための最善の方法は周りの人間を心地よくさせること。

寝ても寝ても眠い。
はたして私の眠気はどこからくるのでしょうか。

これも結局は現実逃避かなぁ。

2012年1月19日木曜日

ナンマドール。

ビレッジというポンペイで一番リゾートっぽいホテルのツアーに参加してきました。
写真はレストランからの眺望。まさにリゾートです。


シュノーケルとケプロイの滝とナンマドールを巡って75ドル。
全行程をボートを使って移動することを考えると悪くない値段です。

ちなみにナンマドール周辺をカヤックでまわるオプションをつけなければ65ドル。
ケプロイの滝もシュノーケルもいらなかったらなんと50ドル。

あと、これはオプションですが6.5ドルでお弁当をつけてもらえます。

少し集合時間の前に行き、とりあえず朝食を。私はハム&チーズオムレツを食べたのですがフォトジェニックじゃないので、友達が食ってたポンペイ風パンケーキとやらをパシャリ。


リゾート感たっぷり。

朝食を終え、船着き場に移動しボートへ。
なんと今回のツアーに同行したオーストラリア人とロシア人のカップルはグアムで私たちを見たとのこと。グアムってことは多分この前のフィリピン帰りのことですよね。小さな世界です。

シュノーケルは海上で停泊しマンタロードを上から覗き込むかたちだったのでマンタを発見できなかった自分としては特に盛り上がりに欠けたのですが、コーラルがチュークと少し違っていて綺麗だったし、海のど真ん中のチャンネルでのシュノーケルなので開放感はありました。


そして、今回のメインともいうべきケプロイの滝。
看板を見た瞬間は全くといっていいほど期待していなかったのですが、


緑のシャワーを浴びつつ、綺麗に整備されたジャングルの中を進んでいくと、


小川が出てきて、


突き当たった先にはどばーんと大きな滝。


現地人が機嫌良く滝に打たれにいっていたので、せっかくだから自分も…と近づいていくと…

どばばばばばばばばーーーん。


と、大自然に押しつぶされてしまいました。


そして、命からがら逃げ出すハメに…。
それを見ていたオーストラリア人もテンションが上がってしまったのか〝エンジョーーーーイ〟と叫びながら滝に打たれていました。

いやー、全く期待していなかった滝なのに、なかなか楽しい時間を過ごせました。
もし、ケプロイの滝を訪れることがありましたら是非とも滝にむかってダイブしてくださいね。ある程度足が付くので見た目ほど危なくありませんので。〝エンジョーーーーイ〟できること間違いなしです。

そして、無人島(?)に上陸してランチタイム。

6.5ドルのお弁当は中身は大したことないのに、葉っぱに包まれているというだけで特別感があります。ここらへんはビレッジさん、観光客の心を掴むのがお上手です。


そして、最終目的地であるナンマドール遺跡へ。
ミクロ最大の海上巨石遺跡。

船で近づいていくと突如海上に要塞のようなものが現れるのは圧倒されます。


ガイドの話では500年ぐらい前にヤップ人がきて建てはじめたと言っていました。
そして、完成するまでに100年以上かかったとか。


 一応上陸もでき、ぐるりと一周させてもらいました。ちなみに、ぐるりと一周と書きましたが、実際はこの上陸させてもらった遺跡だけでなく、この周辺には数多くの遺跡があり、それらがすべてナンマドール遺跡なのだとか。壮大すぎます。


放置されているわりにはかなり良好な保存状態ですが、地震も大きな天災もないことがこの遺跡が長い時間保存された原因の一つなのだとか。


ちなみに、ここで栄えた王朝が滅びた後に、ナンマルキとよばれる酋長たちがポンペイを治めるようになったそうです。ちなみにナンマルキは現代でもポンペイでは力を持っています。


遺跡内散策の後はカヤックに乗り換えて遺跡の周りをぐるぐると散策に行きます。カヤックは最初はコントロールが難しかったものの慣れると最高に面白く、最終的にはマリオカート状態になってしまいました。


〝エンジョーーーイ〟のオーストラリア人と私が途中からアドレナリンが出すぎ、ナンマドール周辺で大人げない本気の競争をしているとコーナーを回りきれずに…

どぼんっ!


結局短い時間の間に3回も転覆してしまいました。

〝エンジョーーーイ〟
悔しいけど、ポンペイの観光資源もなかなかいけてますね。

2012年1月18日水曜日

ポンペイ。

隊員総会を終え首都ポンペイより無事にチュークに帰ってきました。
ポンペイのドミにはネット環境がなく(あることはあるけどダイアルアップなので自分のPCでは接続不可)、ホテル滞在中もホテルの回線がアパンガパン(チューク語で〝弱い〟)だったので、全く更新ができませんでした。

どっから来たんだと尋ねるタクシーの運ちゃんにチュークから来たと言うと〝I'm sorry...〟と本気で申し訳なさそうに言われました。このSorryはあれですよね。とんでもなくひどい話を聞いたときに使うタイプのSorryですよね。お葬式とかで使われるタイプのやつですよね。さすがにそのパターンは予想だにしていなかったので反応できず。

六ヶ月前にここに来たときは何も分からないままに1週間程滞在していたんですが、今回は前回と全く違う目でポンペイを見てこれたように思います。

まずは、自分たちの州にないものが目に入ってくるんですね。

ちょっとハイテクな空港、空港の売店、JICAドミ、JICAオフィス、タクシー、映画館、レストラン、ホテル、歯医者、日本食品の手に入る店、日本人会の存在、日本大使館、服屋さん、土産物屋さん、クラブ、カラオケ、ペットフードを売ってる店…。

何をとっても正直ポンペイの勝ちです。
でも、個人的にはポンペイよりはチュークの方が好きですね。
まあ首都だからチュークにない便利なもんがいろいろあるんだけど、といってもたかがしれてるし。チュークの方が単純で気楽でいいや。

そうです、チュークは単純なのです。人間も単純やし、とくだん表裏もありません。あまりに単純すぎてイラッとすることもありますが、結局その単純さに救われるのも然り。
滞在中にポンペイ人からチュークは最悪な場所だと何度も何度も言われましたが、チュークは言うほど悪くはないですよ。少なくともポンペイと比較してで言うならばそんなに悪くはないです。

とりあえず、総会幹事のみなさまお疲れさまでした。
念願の四州の小学校教諭が顔を合わせて話し合いをするという場も持てたし、今回のポンペイ滞在は少なくとも私にとって有意義でした。

今回は、総会の合間をぬってナンマドールという(昨年末、世界不思議発見にとりあげられました)海上遺跡にも行って来ましたのでこれについては後ほどアップします。

2012年1月8日日曜日

そしてチューク。

グアムのラウンジで乗継便を待ってラグジュアリーな時間を過ごしている時。実はもう嫌で嫌でしかたなかったことをここに告白します。

あと、1時間ちょっと飛行機で飛んだらチューク。

具体的に色々と考えているとアレルギーのようになっちゃって、もう嫌で嫌で嫌で嫌で嫌でね。どうしても他州とか他の国のボランティアと比較しちゃって。他州隊員や他国隊員にはそりゃそれぞれ問題があるんだろうし、そんなことは分かっているんだけど。隣の花は赤いというかなんというか。でも、他州隊員もはっきりと認める程にチュークだけ明らかに具体的に違うことがありすぎるしね。

具体的にこんなことを考えてしまったんですね。

〝例えば日本で、一つの県だけが一日の大半停電していて、道も整備されていない泥道で、公共の交通機関もなく、治安も相対的に悪い。〟

あかんやろー。同じ日本やのになんでここだけこんなんなってるねーん。ってなるやろー。
チュークはまさにそんな状態なんです。ミクロネシア連邦の中であたまいっこ跳び下がってすごく途上国です。

フィリピンにいってけっこうガツンときたんですけどね。なんという協力隊派遣先格差と。
でもそれは国もちゃうし、そんなにショックはでかくなかったんです。

もういやだ。
かえりたくない。

チュークにおる間は嫌やなって思ったことそんなになかったんですけどね。むしろけっこう気に入ってたし好きやったんですけど。やっぱり外に出ていったんリフレッシュすると妙に客観視しちゃたんでしょう。

一緒にラウンジステイしてた先輩隊員と二人でチュークのいいとこ言いゲームをしてたんですけどそんなに盛り上がらず。でも無常にも時間は過ぎて飛行機に乗り込んだが最後。一時間ちょっと後にはチューク国際空港に降り立ったんです。

ほんと不思議なもんですね。
あんなに嫌と〝思っていた〟チュークがそんなに嫌じゃなかったんです。
そして一週間生活してわかったんですが、やっぱりちょっと好きかもしれんです。

そりゃ外からみたら最悪のところですよ。
はっきりいってミクロネシア四州で完全にうちらは嫌われモンです。

でも、国とか州とか町とか村ってのは相対視するべきもんじゃないんちゃうかな。

明日から首都のポンペイに総会やら健康診断やらのために移動します。
前回に先輩隊員が〝チュークのJICAボランティアだ〟と言うと〝チュークは大変だろ。ポンペイはいいぞ、チュークの150億倍はいい場所だ!〟とタクシーの運ちゃんに言われたそうです。

もしポンペイでタクシーの運ちゃんに言われたら言い返してやろうと思います。
〝ポンペイは住んだことないからええ場所かどうか知らんけど、六ヶ月住んでみてチュークもなかなかええ場所やで。〟ってね。


そして、大ニュースなんですが、年末のクリスマスから今日に至るまでチュークに24時間電気が来ているんです。ちょっとずつよくなっていくんかなぁ。ってあんまり期待せずにこの州のことをトンゲイ(チューク語で〝愛する〟)していこうとおもいます。

2012年1月7日土曜日

ぽ、について。

語尾についてる〝ぽ〟ですけどこれには意味がちゃんとあるぽ。

フィリピンでは語尾にぽがついたら丁寧な言葉になるぽ。
タガログ(フィリピンの現地語)の場合はこんな感じぽ。

サラマッ(ト) ポ (ありがとう)
マガンダンガピー ポ (こんばんは)

タガログだけじゃなく、英語につけても使えるぽ。

ホテルのフロントとかで、綺麗なお姉さんが真面目な顔をして。

〝YES PO〟
イエスポーってゆうてくれるぽ。

〝Thank you po〟
〝Good afternoon po〟

ということで、フィリピンでは語尾にpoをつけたら丁寧ぽ。
だからいっとき私の言葉のうしろにはpoがついてるけど気にしないでほしいぽ。

ぽぽぽぽーん、ぽ。

2012年1月6日金曜日

もう一つのマニラ。(31日〜1日)

うちの彼女も先輩隊員の彼女も31日の朝の便でお別れ。
空港まで見送りにいくついでに四人揃って早めの年越しそばを食べた。

うちのオカン曰く、年越しそばは麺類やったらなんでもいいらしいので、今回はラーメンをチョイス。

〝とんかつラーメン〟


名前に惹かれてオーダーしてみたら、なんということはない豚骨ラーメンが出てきた。よくみてみると〝Tonkotsu〟と書いてあるから日本語表記の誤植なのね。それにしては上手に間違えすぎやろ。


まあ美味くはなかったが、縁起のもんやからまあええでしょ。

出発ゲートでお別れするとき、先輩隊員が彼女に対して〝またね!ばいばいっ!〟と名残惜しげに手をふりふり声をかけていたら空港の警備のオッサンが〝まったねーん、さよならー!〟と片言の日本語で便乗して先輩の彼女に別れを告げていた。

「ちょっと、オッサンほんま邪魔せんでくれるぅー!ええとこなんやからっ!」とフィリピン人のオッサンに日本語でマジギレしていた先輩隊員。あのオッサンは確かにもうちょっと空気を読んだ方がいい。

彼女とお別れした男二人は日本探しの旅へ。

マカティにあります日本人街。リトルトーキョー。
鳥居を見つけて大興奮で中に入っていくとなんとさらなる驚愕が待っていた。


〝大晦日につき休業させていただきます。〟



どの店の入り口にも揃って同じことが書いてありまして、人気のあまりないさみしい飲食街になっていました。
確かに日本の風習に従うとそうなるんでしょうけど…。実に日本的ですけども…ね。こちらとしてはせっせと日本を感じにきたわけで、ありがたいっちゃありがたいんですが。どうせならちゃんと店の中で違う形で日本を感じさせて欲しかったなぁ。ぐすん。

しかし、そのすぐ横に一店舗だけですが開いてましたよ。


マニラセイキョーと書いてありましたローソンのパクリっぽいお店は日本食料品屋さん。この店で念願の納豆さんに出会えたのです。あと牧場の朝(ヨーグルト)とも奇跡の再会。


もはや私たちにとってはテーマパークです。見て下さいこの表情。
人は〝じゃがりこ〟一つでこんな笑顔になれるんです。


日本っぽいスーパーでのお買い物を満喫し、日本式の居酒屋へ。



別行動していた協力隊員と合流し、ちらし寿司という名前の海鮮丼をむさぼり食って、


我が地元兵庫のお酒、山田錦で〝今年も一年お疲れさまでしたっ!〟


意識朦朧としながら、部屋に帰って紅白歌合戦を見て、行く年来る年を見て…。
部屋の窓をみたら花火があがっていました。


どーんどーんどーん。1時間以上にわたって終わらない花火。
街のそろら中からあがってきます。


元旦。
朝起きて一番に目にしたのは先輩隊員の小汚いすね毛でした。

フィリピンの大晦日は爆竹がそこら中で鳴るし、酔っぱらいがそこら中に出没するしで騒がしかったのですが、一夜明けると嘘みたいに平和な街になっていました。

元旦の朝、道ばたで遊ぶ子どもたち。

もっと、細かく書けばいっぱいあるんですが、だいぶ引っ張りすぎたので、マニラを発つ前に協力隊員が選んだ最後の晩餐の写真で今回の旅行記を締めくくりたいと思います。

マニラ進出を果たしていた偉大なる吉野家の牛丼。

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。

広大

マニラ。(30日)

そして、マニラ。

マニラに到着してすぐ向かったのはホテルのすぐ近くにある小籠包屋さん。チューク赴任以来、夢にまで見ていた小籠包っ!なんと24時間営業とな。若干皮が分厚いものの汁がたっぷりで一応及第点でした。うまいぽ!

うまいぽ!の〝う〟を言った瞬間の顔

ホテルにチェックインするとなんとなんにも頼んでないのに勝手に最上階っ!高所恐怖症な私には全く有り難くない話ですが、なんか得した気分です。

いい気分になりつつ世界遺産のサンオウガスチン教会へ。

ほんまに500年ぐらい前にこんなんが建てられてんの?
石でできてるんですが、どうやってこんなんつくったの?


キリスト教、おそるべしですね。まあ、パラワンで地底河川(世界遺産)を見られなかった分の世界遺産欲求不満がちょっとだけおさまりました。


そして、気づいたら人がいっぱい集まってまして、どうやら結婚式が始まるみたい。チビちゃんたちもドレスに正装しています。世界遺産で結婚式。主役を教会にもっていかれそうで心配ですが、まあいい思い出にはなるでしょう。


すぐ近くにあるマニラ大聖堂。ここに行くまでにチャリ版のトライシクルを使ったんですが石造りの道をたちこぎでチャリをぶっとばすので腰を痛めました。ありがとう、チャリ漕ぎのお兄さん。次からは歩いて移動します。


青空が出てきてええ感じ。教会内で帽子を脱ぎ忘れたら神父さんにすごく怒られました。
しょぼん。しょぼぼぼぼーーーん。


午後からは、壊れたようにバンブーオルガンバンブーオルガンと連呼する彼女のバンブー欲を満たすためバンブーオルガンの旅へ。

ほんで、どこにそのバンブーオルガンあるの?と尋ねると「バクララン教会っ!」といいますのでタクシーをバクララン教会へと飛ばします。

じゃーん。バクララン教会っ!


世界最古のバンブーオルガンという割にはなかなか立派な教会やなーと思いながらも中をぐるぐるまわっていたのですが一向にバンブーオルガンに出会える気配がなく。最終的にはお祈りに来ている現地人のお祈りを中断させて尋ねるも〝毎日ここにお祈りにきているけどそんな話しは聞いたことはないわね〟といわれる始末。

「そんなわけないぽっ!絶対にあるぽっ!」
といいながら引き下がらぬ彼女が〝はっ!!!!!〟と突如息をのんだのです。

「バンブーオルガンはラスピニャス教会だった…ぽ。」

バクララン
ラスピニャス

一文字もかぶってないじゃない。文字数すらも違うじゃない…。

そして一路ラスピニャスへ。
ありました最古のバンブーオルガン。正直期待してなかったのですが、期待以上のシロモノでした。博物館みたいなのも併設で50ペソでガイド付き。しかもバンブーオルガンのレプリカではありますが演奏もさせてもらえます。


別アングルから見るとどのようにバンブーオルガンが埋め込まれているかが分かるかと思います。教会というより完全にバンブーオルガン博物館ですね。この教会はあんまり信仰の対象ではないようで。


こうやって振り返ると一泊しかしなかったのになんだかんだでマニラも満喫したなぁ。
これでほぼ今回の旅行記は終わりですが、実はもうちょっとだけ続くのじゃ。

次回、最終回。

2012年1月4日水曜日

セブでダイビング。(28日)

セブと言えばリゾートっしょ。
ってことでちゃっかりダイビングもしてきました。一日でなんと4ダイブも。

今回のお目当てはツバメウオちゃん。
ツバメウオってのは40センチぐらいになるでかい魚です。そんなにめずらしい魚ではないんですが、レアもの狙いで行ってみれなかった場合はショックがでかいということで今回のターゲットにしました。

ぎりぎりまでダイビングショップを選びかねていたのですが、ダイビングの二日前にやっと見つけたよさげなフィリピン人経営のダイビングショップ。

〝アクアワールド・ダイビングセンター〟

日本人経営のダイビングショップもいっぱいあったのですが、どこも高い。びっくりするぐらい高いです。ダイビングフィーも高いしレンタルも高い。なんと送迎してもらうだけで2000円ぐらいかかったりします。メータータクシーでかなり走らせても100円から400円ぐらいのフィリピンで2000円ってどうよ。送迎無料って書いてあるところもマクタン島内のみで、セブシティまでの送迎は有料とな。

最後に私が見つけたダイビングショップはフィリピン人経営ですがどうやら日本人のお客さんがほとんどみたいで、口コミもなかなかよさげ。
送迎についてもセブシティまで無料になっていたし、なにより素晴らしいのは〝ダイビング後にビールを一本プレゼント!〟とな。そんな些細なところからも日本人のツボをよく知っている感じがします。

さっそく予約のための電話をしてみたら、最初は英語で話していたのですが、日本語も出来ますとあったので日本語で話しかけてみるとなかなかすばらしい。習って覚えた日本語ではなく、お客さんから学んだ日本語ってのがよくわかる日本語。町中で話しかけてくるうさんくさい日本語を扱うフィリピン人とは若干違う感じ。

「突然やけど、明後日のダイビングお願いできますか?」
「実はCカード持ってくるの忘れたんやけどお願いできますか?」

「○○できる?」って聞く度に「大丈夫!大丈夫!」って間をおかずに調子のいい返事がかえってくるので徐々に不安になりつつも他の選択肢もなかったのでお願いしちゃいました。

当日の朝、
「私、今はロビー!」

というなんともほんわかする日本語の電話を部屋にかけてきたのはダイビングショップオーナーの奥さん。オーナーは日本語をカタコトながらも自在にあやつっていたのですが、奥さんはそうでもないみたい。

ホテルのロビーで挨拶を交わすとすぐにタクシーを呼んでダイビングセンターまで移動だったので、もしやタクシー代はこっちで払うパターンか?!なんて不安になったものの送迎付きというのに嘘はなく、ばっちりショップの方で支払ってくれました。

ショップで器材のチェックをしていざポートへ。ちなみにダイビングにおいてもっとも心配の種である器材ですが日本のへたなダイビングセンターより断然手入れも行き届いているし丈夫そうです。この値段でこのクオリティならマイ器材をわざわざ運んでこなくてよかったと思えるレベル。ダイコンを持ってない彼女のために追加料金なしでダイコンも貸してくれたし言うことなしです。

写真を撮り忘れたのですが、ダイビングセンターからポートまでの道のりがなかなかよかった。道はそんなに整備されているとは言えないものの、子どもが走り回っていて、現地の人が使っているのであろうマーケットが右に左にならんでいました。フィリピンの現地生活を少しだけですが垣間見ることができました。

ポートといってもそんなちゃんとした港があるわけではなく、ビーチから小さい船を乗り継ぎつつ、大きい船に乗り換えます。奥に見える白いでかい船がダイビング用の船。予想していたよりはるかにいい船でした。ホンダ湾のアイランドホッピングで使った船の5〜8倍ぐらいのサイズがあります。でかい!きれい!強そう!

奥の方に見える白いでかいのがダイビング用

砂浜沿いには伝統的な建物が並んでしました。



小さな船で移動している時に、すぐ横でコシまで海につかって魚をアミで捕まえていた現地人の姿が印象的で、子どもも大人もみんな一緒になってさっさと魚を捕まえてました。

もぐったのは四本、ポイントは二ヶ所。

一ヶ所目は、TALIMA。

マクロメインで日本人好みな海。ただ、透明度はちょっといまいち。
いちいちウミウシちゃんを見つける度に教えてくれるとこらへんはワイドなレックダイビングメインのチュークではなかなかないダイビングスタイルなので久々で新鮮でした。


花びらみたいで綺麗なウミウシちゃん。名前しらん。


もっこりウミウシちゃん。名前知らん。


定番のカクレクマノミちゃん。写真とれとれとガイドが言うので渋々ぱしゃり。
なかなかいい写真がとれたからアップしときます。


カエルアンコウ?
ぼちぼち大洋州にすんどるんやし魚の名前も覚えはじめようかしら。


これ、踏んだら即死するやつやんね?オニダルマオコゼちゃん?
なんにせよなんたらオコゼは確定でしょ。毒注意。


たいして可愛くも綺麗でもないけどこれまたガイドが撮れというからとったウミウシちゃん。


こっちはちょっと綺麗なウミウシちゃん。


ひらひら綺麗にダンスをしていた小さい魚。これ、昔名前きいたことあったのに…。
思い出せないのが悔しい。名前が分かったら近々アップしときます。

昼食は船上にて焼き鳥(うまいっ!)とフィリピン風のおむすび。


葉っぱにつつまれたご飯はぎゅーーーーーっとものっすごいかたく握られていました。
最初はちょっと癖があるかなーとおもったのですが食べ出すとぽんぽんいけます。



そして昼からの二ヶ所目はHILUTUNGAN。
エントリーしてすぐにギンガメアジの群れと遭遇!ラッキー!


でかいぞでかいぞ。体長40センチ越えぐらいのやつがごろごろ泳いでました。
あなたたち、かなり浅瀬を泳ぐのね。


あれ?!ロウニンアジちゃん?


あ、うん。ロウニンアジちゃんでした。
そして、お目当てのやつがぽっぽっぽぽーっと出てきました。


最初はこの列になってるツバメウオちゃんに大興奮していたのですが、こんなのは序の口だったのです。


ツバメウオちゃんにパンをやって餌付けしていると、気づいたら後ろのテーブルサンゴの上でくつろぐツバメウオちゃんの群れ。


そして、テーブルサンゴの上のツバメウオちゃんとアヤコショウダイちゃんに注目していたら気づいたときには私たちの周りは大変なことになっていました。


隙間もなくなるほどにうじゃうじゃあつまってきたツバメウオちゃん。


別アングルにしても続々といます。まさに大群。
群れに出会ったというか、群れの中に紛れ込んでしまいました。

ツバメウオちゃんに別れをつげ、


ウツボちゃんを見たり、


またまたウミウシちゃんを見たりしてたらへっとへっとになりましたとさ。


人生初の一日に4本ダイブを終えて達成感の一枚。ぱしゃり。
頭からチューク風ヘアーがぴろぴろーんとでているのが見えるかしら。


海底から移したアクアワールドダイブセンターの船。
やっぱりでかいしかっこええぞこの船。

いやー、いろんな意味で面白かったですよ、ここのショップは。もし次またセブで潜るとしたらまた使わせてもらおうかなぁ。
そして、今回のダイビングをしながら切実に魚の名前を知りたいと思いました。あと1年半も大洋州暮らしをするので、チューク語と日本語と英語で魚の名前ぐらいは言えるようになりたいと思いまする。

さて、残すところ旅行記もあとわずか。まだもうちょっと続くのじゃ。