ちょこちょこ津波についての安否確認がきていますが、ここチュークは特にいつもと変わらず穏やかな海です。ご心配の連絡をくださった方、ありがとうございます。とりあえず特に大きな問題は発生していないことをここに報告させていただきます。また注意報や警報等につきましても昨日の昼過ぎには解除されていますので合わせて報告させていただきます。
ちなみに、私の住んでいる島は巨大な環礁に囲まれており、もともと津波などの影響を受けにくいと言われています。環礁に囲まれているというのはつまり天然の要塞であるとも言えます。だから、その地の利を生かしてここは世界大戦中に日本軍の拠点がありました。日本統治時代に最も栄えていた島はトノアス島(旧日本名:夏島)で、私が生活しているこの島のすぐ隣にある島です。一年半もチュークで生活していたのに、実は一度も行っていなかったトノアス島に先日いく機会がありましたので、少しだけ紹介を。
基本的にはボートの上からぐるっと島を一周しました。いつもダイビングをする時に休憩ポイントになっていた場所のすぐ近くにあった建造物。今まで気にもとめていませんでしたが、実は鰹節工場だったそうです。
さらにボートを進めるとあったのが船着き場。今ではもう使われていないのかな。
真横にあった鉄屑。
森小弁さんの記念碑。森小弁さんは明治期にミクロネシアに渡り住んだ人です。ちょっと年配の人なら誰でもしっている「酋長の娘」って歌とか、「冒険ダン吉」って漫画のモデルになっていると言われている人。ちなみに、現ミクロネシア大統領も森小弁さんの血筋の日系人。
トノアスの女の子。人懐っこい。
木と石柱の奥に広がるのはその昔に森小弁が作ったと言われる(?)運動場。今でも使われているそうです。
ふと気づいたらさっきの写真の姉妹や、他のチビちゃんが後ろをついてきていました。ここらへんも暇が支配する南国ならでは。
道中みつけた、キツネみたいな猫とその使い手。猫とは思えぬ懐きっぷりでした。南洋ギツネ。
小学校の校庭に防空壕の出口がありました。かつてはここに人が入って爆撃を逃れていたそうです。
ちょんちょん橋。兵隊さんがその昔この橋を渡って「ちょんちょん」をしにいったそうです。つまり、この橋の先には昔遊郭があったそうな。大戦中にトノアスがかなり栄えていたのが窺い知れるエピソード。ちなみに、映画館とか神社なんかもあったそう。
こちらは大戦より前に建てられたというチューク最古の教会。1910年だったかな。
旧海軍病院跡。この石柱の上に建物を建てていたそうです。建物の土台の遺跡という意味ではグアムのラッテストーンみたいな感じですね。
旧小学校の正面玄関。今はオフィスになっています。
いつ渡ろうかいつ渡ろうかと長らくの間、懸案事項であったトノアス。ちょうど今回はいいタイミングだったように思います。戦争の痕がそこかしこに残るトノアスですが、今となっては緑に覆われた牧歌的な島になっていました。
「トノアスに行ってきたよ」
と、学校で同僚たちに言うとあれを見たかこれを見たかと言われてまだまだトノアスの見ていない部分がたくさんあることが分かったので、機会があればもう一回ぐらいは行ってもいいかなぁ。いろいろ聞いた中では同僚の家(日本統治時代は銀行だった建物らしい)にあるという〝開ける事が出来ない旧日本軍の金庫〟というのが今のところ一番気になります。
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