やもりさんは猫に似ている。
しゃーっと緊張感を漂わせたときは獲物を見つけた時。身体をぎゅっとすくめてびゅっと飛びかかるのだ。それは一瞬。
口からはみ出しているのは獲物。
最近家にやもりさんがたくさん生息している。
そのせいかな、ゴキブリさんがめっきりと減った。
やもりさんはハエさんを食べる。もしゃもしゃと食べる。
ゴキブリさんも食べる。ばりばりと食べる。
昨日の夜、ぼくの足元であかちゃんやもりがあかちゃんごきぶりを見つけた。
身体を低くさせて、ぷるりと身震い。ほんとうに猫のよう。
3センチと5ミリの戦い。3センチの勝ち。見事に捕食しましたとさ。
やもりの鳴き声をしっていますか。
けんかの時、愛をささやく時。やもりは鳴きます。
時に激しく、時にせつなく。
ケケケケケ。
キョキョキョキョキョ。
コココココ。
キャキャキャキャキャ。
カカカカカ。
ぼくはやもりさんが好きなんです。キョキョキョ。
ミクロネシア連邦チューク州で小学校の教師をしていました。
現在は更新をストップしている跡地です。
キーワード
JICA JOCV 青年海外協力隊 小学校
ダイビング レック 沈船 ジュゴン ウミガメ
2013年4月18日木曜日
研究授業。(ミクロネシアの教育現状)
学校で研究授業をしました。
この研究授業ってやつにはあんまり乗り気になれなかったのですが、もうすぐ広域研修があるので一応足並みを揃える意味で行いました。マーシャル、パラオ、そしてここミクロネシアの三国で年に一回を目安に広域研修なるものを開催しています。開催している理由はこの三国は共通の課題を抱えているから。とは言いましても、マーシャルやパラオに比べてここミクロネシアはかなり遅れをとっていると言わざるを得ないのが現状です。
この研究授業ってのは他の二国(マーシャル&パラオ)でうまいこといっているからうちの国でも取り入れてみようって流れで始まり、今や三国の共通の取り組みみたいになっている訳ですが…。
言わずもがな研究授業ってのは日本発祥の授業研鑽の方法です。アメリカとかでも一部で評価されていて〝Lesson Study〟なんて名前で広まっています。入念な授業準備と、授業の前には事前検討そして、授業後には事後検討。なーんてすごく日本的な方法だと思うんですね。どのプロセスをとってもこのミクロネシアにマッチしてると思えないものなんです。
ほんで実際、この国でどうなっているかというとなかなかうまくいっていない訳です。なんたって事後検討がちょっとくせ者で、この国の場合すごく小さな社会ですので、基本的に人のことを批判できません。何か意見を求めても、「いい授業でした」以上のものがなかなか出しにくいんですね。って思ってたのがちょっと前まで。最近はもうちょっと別の理由があると感じだしまして、そもそも授業が終わったあとに何かコメントを述べるというのはかなり高度な技術なんですよね。日本で研究授業に参加したとして日本語で私自身も出来るかと言われればかなりあやしいもんです。さらに付け加えると、この国にはいわゆる教員養成機関がありません。もちろん日本の様に教育実習みたいなことをした人が先生をしてる訳でもなければ、教職についてからも学校内に指導をしてくれる先生みたいなのもいません。そして、国民性としてだれかが教えてくれなくても自己研鑽に努めるぞ!みたいな人も基本的にはいない。つまり、「よい授業」ってもんを知る人がいないと言ってもいいような状況なわけです。よい授業ってものに対するイメージが明確じゃないのにそもそも他人の授業が評価できるのかって答えは自明ですよね。
研究授業ってのは「授業を磨くための方法」の一つだと思うんですけど、現状を見る限りミクロネシアで行われているの研究授業ってのは授業を磨くことにあまり貢献できていないんじゃないかなと。不必要に現場の先生をナーバスにさせて、ますます「授業を改善すること」を億劫にさせているだけなんじゃないかなと。そんな風に感じて今回は日本的なる研究授業を導入するのはやめました。
あくまで目的は授業改善。だから、改善すべきポイントを含めてカウンターパートに授業をしてもらいました。
今回、改善案として提示したのは以下の3点
・「めあて」を黒板に書くこと
・「まとめ」を黒板に書くこと
・「板書計画」のすすめ
上の二つに関しては現状うちの学校で実施できている先生はいません。私が赴任してから何度となく重要性を述べているのですが、全く根付く気配のない項目です。基本的に先生が黒板に問題やらなんやらを書いて、それを解いたら授業はおしまいっていうのが毎日のルーティンワークになっているので、毎時毎時の授業が何を目的としているのか、そして何を得たのかを子どもも教師もいまいち実感できないのが現状で、子どものためにも先生のためにもこれは根付いて欲しいなというこちら側の思いで提示させてもらいました。口で重要性を説くより、一度授業を見てもらったら感じるものがあるかもという淡い期待を込めました。
最後の板書計画ですが、こちらの教育庁の提示している指導案の書き方が実はあるんですがこれがまたこの国の先生方にマッチしないんです。ほとんど日本の指導案のフォーマットとそう変わりません。あんなコマゴマとしたものをこの国の先生がきっちり書くわけもなく、だから結局指導書に書いてある指導案をそのまま写すだけで、授業の進行と指導案は無関係というのが現状なわけです。だから、今回は板書計画を立てたらとりあず授業の体裁は取り繕えるんじゃないかなと思って提示させてもらいました。目に見える形で授業の終わり(板書)を先に紙に書いておくことで、授業がもうすこし安定しないかなという願いを込めて。
結果としてまあまあよかったように思います。決して大盛況って訳ではありませんでしたが。
参加者は計5名。
現地の先生4名。他職種の協力隊員1名。
現地の先生の内、2名は最初から最後までいましたがその内1名は教室の隅っこでごろりと寝ていました(椅子でうとうととかじゃなく、床にがっつりゴロ寝!熟睡!)、残り1名は終始真面目に参加してくれていました。あと1名は途中で一瞬顔だけだして帰っていった先生、もう1名は授業が終わったタイミングで何故か自分のクラスの子どもまで引き連れて教室に顔を出してくれた先生(実施時間を勘違いしていたのと、自分のクラスの子どもも授業に参加すると思っていたようです。)。他職種の協力隊員というのは同期の環境教育隊員が近くに仕事で来ていたので顔を出してくれました。
上の状況を読まれたらとんでもない事態を想像されるかもしれませんが(まあ実際とんでもないですけど)、他の先生の授業を潰したくなかったので学校の中休みを使って行ったのと、「興味があったら来てくれ」って伝えただけなので、1人まともに参加してくれれば上々、たぶん誰も来ないと予想していたので私個人の感想としてはまずまずの結果だったという訳です。
成果としては、最初から最後まで真面目に参加していた先生が後日、「”板書計画”はいい。教育庁や、この学校で書かされる指導案のフォーマットより取っ付きやすい。今度使ってみるよ。」ってわざわざ言いにきてくれたのと、実際に授業にあたっていたカウンターパートが「”めあて”と”まとめ”を提示してみたらよかった。授業がしやすかった。私は日本の授業の仕方を学べてラッキーだ。」って言っているのが聞けたことの二つでしょうか。
結論として、強く感じたのはやっぱり研究授業以前のものでたくさん足りていないものFSMにはあるなぁってことですね。他国の実践を借りてくるのはいいけど、やっぱりうまいこといかないのであればもう少し新しい方法を模索する必要があるんじゃないかなぁ、そういう時期にきてるんじゃないかなと思いました。
長々と書きましたがいまいちまとまりがなくてすいません。
この研究授業ってやつにはあんまり乗り気になれなかったのですが、もうすぐ広域研修があるので一応足並みを揃える意味で行いました。マーシャル、パラオ、そしてここミクロネシアの三国で年に一回を目安に広域研修なるものを開催しています。開催している理由はこの三国は共通の課題を抱えているから。とは言いましても、マーシャルやパラオに比べてここミクロネシアはかなり遅れをとっていると言わざるを得ないのが現状です。
この研究授業ってのは他の二国(マーシャル&パラオ)でうまいこといっているからうちの国でも取り入れてみようって流れで始まり、今や三国の共通の取り組みみたいになっている訳ですが…。
言わずもがな研究授業ってのは日本発祥の授業研鑽の方法です。アメリカとかでも一部で評価されていて〝Lesson Study〟なんて名前で広まっています。入念な授業準備と、授業の前には事前検討そして、授業後には事後検討。なーんてすごく日本的な方法だと思うんですね。どのプロセスをとってもこのミクロネシアにマッチしてると思えないものなんです。
ほんで実際、この国でどうなっているかというとなかなかうまくいっていない訳です。なんたって事後検討がちょっとくせ者で、この国の場合すごく小さな社会ですので、基本的に人のことを批判できません。何か意見を求めても、「いい授業でした」以上のものがなかなか出しにくいんですね。って思ってたのがちょっと前まで。最近はもうちょっと別の理由があると感じだしまして、そもそも授業が終わったあとに何かコメントを述べるというのはかなり高度な技術なんですよね。日本で研究授業に参加したとして日本語で私自身も出来るかと言われればかなりあやしいもんです。さらに付け加えると、この国にはいわゆる教員養成機関がありません。もちろん日本の様に教育実習みたいなことをした人が先生をしてる訳でもなければ、教職についてからも学校内に指導をしてくれる先生みたいなのもいません。そして、国民性としてだれかが教えてくれなくても自己研鑽に努めるぞ!みたいな人も基本的にはいない。つまり、「よい授業」ってもんを知る人がいないと言ってもいいような状況なわけです。よい授業ってものに対するイメージが明確じゃないのにそもそも他人の授業が評価できるのかって答えは自明ですよね。
研究授業ってのは「授業を磨くための方法」の一つだと思うんですけど、現状を見る限りミクロネシアで行われているの研究授業ってのは授業を磨くことにあまり貢献できていないんじゃないかなと。不必要に現場の先生をナーバスにさせて、ますます「授業を改善すること」を億劫にさせているだけなんじゃないかなと。そんな風に感じて今回は日本的なる研究授業を導入するのはやめました。
あくまで目的は授業改善。だから、改善すべきポイントを含めてカウンターパートに授業をしてもらいました。
今回、改善案として提示したのは以下の3点
・「めあて」を黒板に書くこと
・「まとめ」を黒板に書くこと
・「板書計画」のすすめ
上の二つに関しては現状うちの学校で実施できている先生はいません。私が赴任してから何度となく重要性を述べているのですが、全く根付く気配のない項目です。基本的に先生が黒板に問題やらなんやらを書いて、それを解いたら授業はおしまいっていうのが毎日のルーティンワークになっているので、毎時毎時の授業が何を目的としているのか、そして何を得たのかを子どもも教師もいまいち実感できないのが現状で、子どものためにも先生のためにもこれは根付いて欲しいなというこちら側の思いで提示させてもらいました。口で重要性を説くより、一度授業を見てもらったら感じるものがあるかもという淡い期待を込めました。
最後の板書計画ですが、こちらの教育庁の提示している指導案の書き方が実はあるんですがこれがまたこの国の先生方にマッチしないんです。ほとんど日本の指導案のフォーマットとそう変わりません。あんなコマゴマとしたものをこの国の先生がきっちり書くわけもなく、だから結局指導書に書いてある指導案をそのまま写すだけで、授業の進行と指導案は無関係というのが現状なわけです。だから、今回は板書計画を立てたらとりあず授業の体裁は取り繕えるんじゃないかなと思って提示させてもらいました。目に見える形で授業の終わり(板書)を先に紙に書いておくことで、授業がもうすこし安定しないかなという願いを込めて。
結果としてまあまあよかったように思います。決して大盛況って訳ではありませんでしたが。
参加者は計5名。
現地の先生4名。他職種の協力隊員1名。
現地の先生の内、2名は最初から最後までいましたがその内1名は教室の隅っこでごろりと寝ていました(椅子でうとうととかじゃなく、床にがっつりゴロ寝!熟睡!)、残り1名は終始真面目に参加してくれていました。あと1名は途中で一瞬顔だけだして帰っていった先生、もう1名は授業が終わったタイミングで何故か自分のクラスの子どもまで引き連れて教室に顔を出してくれた先生(実施時間を勘違いしていたのと、自分のクラスの子どもも授業に参加すると思っていたようです。)。他職種の協力隊員というのは同期の環境教育隊員が近くに仕事で来ていたので顔を出してくれました。
上の状況を読まれたらとんでもない事態を想像されるかもしれませんが(まあ実際とんでもないですけど)、他の先生の授業を潰したくなかったので学校の中休みを使って行ったのと、「興味があったら来てくれ」って伝えただけなので、1人まともに参加してくれれば上々、たぶん誰も来ないと予想していたので私個人の感想としてはまずまずの結果だったという訳です。
成果としては、最初から最後まで真面目に参加していた先生が後日、「”板書計画”はいい。教育庁や、この学校で書かされる指導案のフォーマットより取っ付きやすい。今度使ってみるよ。」ってわざわざ言いにきてくれたのと、実際に授業にあたっていたカウンターパートが「”めあて”と”まとめ”を提示してみたらよかった。授業がしやすかった。私は日本の授業の仕方を学べてラッキーだ。」って言っているのが聞けたことの二つでしょうか。
結論として、強く感じたのはやっぱり研究授業以前のものでたくさん足りていないものFSMにはあるなぁってことですね。他国の実践を借りてくるのはいいけど、やっぱりうまいこといかないのであればもう少し新しい方法を模索する必要があるんじゃないかなぁ、そういう時期にきてるんじゃないかなと思いました。
長々と書きましたがいまいちまとまりがなくてすいません。
2013年4月7日日曜日
へきちのトイレ事情。
部屋のネットワークが不通になってから久しいです。だからちょくちょくインターネットをするためにわざわざ街のレストランに下山しているのですが、これは昨日の話。急な便意が襲ってきて、トイレに駆け込んだんです。へきち暮らしをしていて急な便意というともはや日本のそれとは大きく違っています。それは閃光。稲妻のように急に身体を突き抜けるものです。怪しいなと思うものを口に入れたらその直後に間髪を容れずに襲ってくる衝撃。それはさながらピーピーキャンディー。便座に座って用を足して、大いなる問題に気づきます。
紙 が 切 れ て い る !
そんなことはよくあるんです。でも、だいたい事前に気づくし、気づかなかったとしても大抵は自分の鞄の中に緊急用の紙も常備しているんです。でも、今回はなんたって急だった訳です。突如発生したイベントのせいです。急な腹痛とへきちのトイレ事情ってやつが手を組むとこんなことになります。でもへきち暮らしも2年目を迎えようとしている私にとってこんなことなんということはない。
ここでクエスチョン!
トイレで紙がなかった場合はどうしたらいいでしょう?
正解は「手で拭いて手を洗う」でした。
でも、今回の場合はコレは正解ではありません。へきちでは、問題の対処マニュアルなんてものはないのです。いつもフレキシブル。手を洗う場所が近くにないのです。手で拭いて手で洗うっていうのは特にどこぞの家のトイレをかりた時の緊急事態に効果を発揮する解決策です。トイレのすぐ前に水を使える状況がある時にのみ効力を発揮する方法ですよね。模範解答が適用できない場合は別解を自分でつくる必要があります。では今回の場合の解答はなんでしょうか。
もちろん「便器の上にあったトイレットペーパーの芯を裂いて、ペーパー状にしてやわらかくし、それを使って優雅にお尻を拭く」が今回の場合の正解です。もちろん、やわらかトイレットペーパーの芯とはいえ、そこそこの硬度はございます。使用後は流すことはせず、速やかにゴミ箱に封印しましょう。
なんてことも日本に帰ったら懐かしくなるんだろうなぁ。
I miss~
っていう英語の表現があるけどこれは結構直訳できない言葉ですね。こっちに来てすぐの頃。ステイ先の家族に「お前は何かをmissしているか?」と言われたことがあるんですが、その時はいまいちmissの意味が分からなかったんです。
でも、今では、分かったよプロシュート兄ィ!
「言葉」でなく「心」で理解できた!!
私たちは日々いろんなものをmissして生きています。
日常的にあったものがなくなると人はmissするんじゃないかな。
あと数ヶ月。確実に私はここでの生活をmissするのでしょう。
片手にヤシの実を持ってふらふらと散歩をするこの〝日常〟も、とろとろと走っているトラックの荷台に飛び乗って移動するこの〝日常〟も、全てmissしつつある今なんでしょう。それは私の支配の中にあるようでいて、支配の外にある。さながら抗えない大自然の驚異みたいなもんですね。
まあ、へきちでトイレに行くときは気をつけましょうって話です。
紙 が 切 れ て い る !
そんなことはよくあるんです。でも、だいたい事前に気づくし、気づかなかったとしても大抵は自分の鞄の中に緊急用の紙も常備しているんです。でも、今回はなんたって急だった訳です。突如発生したイベントのせいです。急な腹痛とへきちのトイレ事情ってやつが手を組むとこんなことになります。でもへきち暮らしも2年目を迎えようとしている私にとってこんなことなんということはない。
ここでクエスチョン!
トイレで紙がなかった場合はどうしたらいいでしょう?
正解は「手で拭いて手を洗う」でした。
でも、今回の場合はコレは正解ではありません。へきちでは、問題の対処マニュアルなんてものはないのです。いつもフレキシブル。手を洗う場所が近くにないのです。手で拭いて手で洗うっていうのは特にどこぞの家のトイレをかりた時の緊急事態に効果を発揮する解決策です。トイレのすぐ前に水を使える状況がある時にのみ効力を発揮する方法ですよね。模範解答が適用できない場合は別解を自分でつくる必要があります。では今回の場合の解答はなんでしょうか。
もちろん「便器の上にあったトイレットペーパーの芯を裂いて、ペーパー状にしてやわらかくし、それを使って優雅にお尻を拭く」が今回の場合の正解です。もちろん、やわらかトイレットペーパーの芯とはいえ、そこそこの硬度はございます。使用後は流すことはせず、速やかにゴミ箱に封印しましょう。
なんてことも日本に帰ったら懐かしくなるんだろうなぁ。
I miss~
っていう英語の表現があるけどこれは結構直訳できない言葉ですね。こっちに来てすぐの頃。ステイ先の家族に「お前は何かをmissしているか?」と言われたことがあるんですが、その時はいまいちmissの意味が分からなかったんです。
でも、今では、分かったよプロシュート兄ィ!
「言葉」でなく「心」で理解できた!!
私たちは日々いろんなものをmissして生きています。
日常的にあったものがなくなると人はmissするんじゃないかな。
あと数ヶ月。確実に私はここでの生活をmissするのでしょう。
片手にヤシの実を持ってふらふらと散歩をするこの〝日常〟も、とろとろと走っているトラックの荷台に飛び乗って移動するこの〝日常〟も、全てmissしつつある今なんでしょう。それは私の支配の中にあるようでいて、支配の外にある。さながら抗えない大自然の驚異みたいなもんですね。
まあ、へきちでトイレに行くときは気をつけましょうって話です。
ラベル:
チューク生活
2013年4月6日土曜日
帰国コワイコワイ病。
きっこくきっこく!
帰国シタイシタイ病にかかったのは遥か一年ぐらい前でしょうか。いざ、帰国が近づいてくると今度は帰国コワイコワイ病が発症しました。日本社会はオソロシイです。
時間の概念の存在しないこの南国暮らし。時計なんて持ち歩く必要のないこの今の生活。
起きた時間が出勤時間、勤務時間は自分次第。まあ全部、夏のせいなんです。
さて、日本という枠に戻れるのでしょうか。
五月の中頃には今年度が終わって夏休みになってしまうので、概算してみますと帰国までの私の仕事時間は24時間程度しかないみたいです。そう、ぎゅっと凝縮したら一日で終わってしまうのです。
この国で予定を確認するときに、〝アメリカ時間で〜〟なんて冗談めいて言う事がよくあります。それはつまりオンタイムでいきましょう。時間厳守でお願いします。なんて時につかってるんですね。そんときに、「〝日本時間〟だと、オンタイムじゃなくて、30分前には最低でも集まっている必要があるよ。」なんてことを現地人に冗談で言っていたんですけど…。
もう冗談じゃないですよね。
8時からの仕事だと7時半とか7時に職場にいるのが当たり前の恐ろしい国ジャポン。
この国だと8時からの仕事だったら9時〜10時ぐらいに職場にいれば十分なのに。たとえば雨が降った時用の時間割があるんですよ。今、私が住んでいるこの島では。雨が降ったら公式に全員遅刻です。
ああ。日本は狂っているよ。
終わる時間だって今ならすることがなくなったらいつでも帰宅時間なのに、日本だと勤務時間が終わって帰る人なんてほぼいませんよね。
最初はこの島のことをオカシイオカシイと思っていたんですが、今となっては日本だってとんでもなく〝普通じゃない〟と気づくのです。
「お前はいつまでここにいるんだ?」
「あと2ヶ月程だよ。」
ここは島国。小さな小さな島嶼国。
芭蕉ではありませんが、みんなが船の上に生涯を浮かべているんです。それぞれがそれぞれに旅人。住処なんてのはまさに仮のものなんです。きっとそれは無限の時間を持つ島の人特有の感性なんだろうな。
私たちにとってのお別れと現地の人にとってのお別れは少し意味が違います。
「まあ、またくるんだろ?」
程度に言われるのですが、今みたいな形でこの島に停泊するのは出来ないことを私は知っているんです。きっとまた来ることは来るけど。次に来たときはもうきっと日本人。
ああ、コワイコワイ。帰国コワイコワイ。
帰国シタイシタイ病にかかったのは遥か一年ぐらい前でしょうか。いざ、帰国が近づいてくると今度は帰国コワイコワイ病が発症しました。日本社会はオソロシイです。
時間の概念の存在しないこの南国暮らし。時計なんて持ち歩く必要のないこの今の生活。
起きた時間が出勤時間、勤務時間は自分次第。まあ全部、夏のせいなんです。
さて、日本という枠に戻れるのでしょうか。
五月の中頃には今年度が終わって夏休みになってしまうので、概算してみますと帰国までの私の仕事時間は24時間程度しかないみたいです。そう、ぎゅっと凝縮したら一日で終わってしまうのです。
この国で予定を確認するときに、〝アメリカ時間で〜〟なんて冗談めいて言う事がよくあります。それはつまりオンタイムでいきましょう。時間厳守でお願いします。なんて時につかってるんですね。そんときに、「〝日本時間〟だと、オンタイムじゃなくて、30分前には最低でも集まっている必要があるよ。」なんてことを現地人に冗談で言っていたんですけど…。
もう冗談じゃないですよね。
8時からの仕事だと7時半とか7時に職場にいるのが当たり前の恐ろしい国ジャポン。
この国だと8時からの仕事だったら9時〜10時ぐらいに職場にいれば十分なのに。たとえば雨が降った時用の時間割があるんですよ。今、私が住んでいるこの島では。雨が降ったら公式に全員遅刻です。
ああ。日本は狂っているよ。
終わる時間だって今ならすることがなくなったらいつでも帰宅時間なのに、日本だと勤務時間が終わって帰る人なんてほぼいませんよね。
最初はこの島のことをオカシイオカシイと思っていたんですが、今となっては日本だってとんでもなく〝普通じゃない〟と気づくのです。
「お前はいつまでここにいるんだ?」
「あと2ヶ月程だよ。」
ここは島国。小さな小さな島嶼国。
芭蕉ではありませんが、みんなが船の上に生涯を浮かべているんです。それぞれがそれぞれに旅人。住処なんてのはまさに仮のものなんです。きっとそれは無限の時間を持つ島の人特有の感性なんだろうな。
私たちにとってのお別れと現地の人にとってのお別れは少し意味が違います。
「まあ、またくるんだろ?」
程度に言われるのですが、今みたいな形でこの島に停泊するのは出来ないことを私は知っているんです。きっとまた来ることは来るけど。次に来たときはもうきっと日本人。
ああ、コワイコワイ。帰国コワイコワイ。
ラベル:
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