2013年6月26日水曜日

お世話になりました。

任地を出る前に何度となく更新しようとしたのですが通信事情が悪く、はたまたなかなか帰国前というのは忙しく、日本に帰って来てからの更新になってしまいました。最後は在外研修でパラオに行ったり、ウクレレを片手に島中ぐるぐる挨拶回りをしたりと忙しかったのですが、気づけば日本です。

チュークからポンペイへと最終報告のために発つ時、空港で号泣してしまいました。卒業式の類では泣いた事のなかった私にとって今回の別れに際してとめどなく流れる涙は意外なもので、自分にとってこの二年間のチュークでの生活が特別な時間だったのだと改めて実感させられました。


チュークを去る時に歌った歌(原曲:お世話になりました・井上順)

【日本語】
もうすぐしたらこの島を ぼくは出てゆくのです
チュークのみなさん お世話になりました
あなたの優しさを ぼくは忘れないでしょう
元気でいてください お世話になりました

【チューク語】
Ekiseno upwene feino seni ei fonu, chuuk
Menisin chon chuuk, kinisou chapur
Use tongeni monuki ami aninisoch me aramasoch
Tumunukemi, kinisou Osewani narimashita

チューク州滞在中はみなさん大変お世話になりました。直接的にあるいは間接的にみなさんの応援や支援があったからこそのこの二年間だったなと帰国した今実感しています。帰国してまだ一週間経っていませんが、今現在として思うことは日本は改めていいところだなってことぐらいかな。でも、チュークにいた二年間、喉から手が出るぐらい渇望していた日本的なるものが全て手に入るようになった今、今度は逆にチュークでの生活のありがたさが実感できるようになりました。日本で簡単に手に入るものはチュークではほとんど手に入らなかったけど、チュークであたりまえのように手に入っていたものが日本では貴重なものなんですね。それは物質的なものでも精神的なものでも同じ事がいえそうです。

ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの

帰国してすぐなのに、チュークに対してこんな郷愁を感じるとは、気づけばもうチュークも私にとってひとつの「ふるさと」になっていたようです。そして、チュークにいる間に絶えず頭の中から離れなかった日本もいわずもがな私にとって強く「ふるさと」なようです。

Ua fakkun positi kemi......

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