里帰りを迷っている人がもしいたら声を大にして言いたい。
里帰りはいい。したほうがいい。
私の場合、きっかけはチュークを襲った台風だった。4月1日に大型台風直撃の情報を先輩隊員のフェイスブックの投稿で知った私は確実にエイプリルフールのネタだと思った。
ISSから見た台風MAYSAK |
「こんな映画でしか見ないような台風がチュークにぶつかるわけがない」と思って画面を一度は閉じたが、すぐに現実だと知ることになった。
すぐにホームステイ先に電話をしてみたが「この電話番号は存在しない」という英語のアナウンスが聞こえるばかり。(後から聞くと台風後3ヶ月ほどはまともに電話も機能していなかったという)そういえば、パパスは空港のマネージャーをしていたことを思い出して空港に電話をしてみた。
「こんにちは、チューク国際空港マネージャー室です」
繋がった!
状況を聞こうと思ったら私からの電話と分かるなり、
「結婚おめでとう!お前がおらんくなって寂しくて…」
なんてことを話している。
なんだか肩透かしをくらい、「台風は?家族はみんな無事?」などと問うと、
家族は無事だという話に続けて、現地の状況を伝えてくれたパパス。建物はいっぱい壊れて、バナナやパンの実の木が倒れて腐ってむちゃくちゃ臭いと。
とにかく明るい。とにかく明るいパパス。「安心してください。みんな元気ですよ。」と言わんばかりの話し口で、おそらく台風の被害よりも久々にこちらから電話があったことに盛り上がった様子だった。
とはいえ、詳細が気になり、「すぐに行こう」とも思ったが結婚式を一週間前にあげたばかりでパスポートが無効だった。「何かあったら行けるようにしとこう」と、とりあえずすぐに更新をしに行った。これが結果的によかったと今では振り返る。受け取ったのは4月15日。2週間が経ち、その間にいろいろ考えた。
台風MAYSAKのことは日本ではほとんど報道されなかった。知人の情報ではNHKの夜のニュースで4月1日だか2日だかに一瞬だけ触れられたというがそれ以外には皆無といってもよいような扱い。ネットのニュースとしてもヒットするのは2、3件でそれも焼き増しした情報のみだった。4月9日にペリリュー島を天皇皇后両陛下が訪問され、その場にミクロネシア連邦の大統領も並んだというのに。取り上げるのは戦争の話ばかり。
一方やたら大きく取り上げられるバヌアツのサイクロンの報道も非常に私を困惑させた。
同規模の被害なのに、何が違うんだろう。
民間の支援団体っていったいなんの為に活動をしているんだろう。
本当に考え方が変わるきっかけとなった。
お金を集めることも考えたが、チュークは土地柄もありさまざまな問題をお金があっても解決できないことを知っていたのでやめた。そして何よりもうすうすではあるがチュークの人はそこまで困っていないような気がしていた。インフラの整っている日本のような国とインフラがズタボロなチュークのような国、大災害の時に強いのは後者である。
チュークの人はたくましい。大丈夫だろう。
しかしながら、日本の人が《知らない》というのが妙にひっかかった。
東日本大震災の時にはそんなに大きなものではないがチュークの人から日本の為へのアクションがあった。少なくとも日本の災害について知っていたし、心を痛めてくれていた。日本のように様々な情報が入ってくる国ではないチュークなのにである。
チュークの人たちは少なくとも日本のことを好きでいてくれている。そして高い関心を持ってくれている。
しかしながら、日本人の大多数はチュークのことを知らない。そして興味も関心もない。
70年前まで自国であったこの小さな島のことを!
そして、私は自分の仕事の中でできることを今まで以上にやろうと決めた。
仕事として学校や地域で話をさせていただく機会が非常にたくさんあるので、その度に任国の話と合わせて、台風が襲ったことを話すようにした。
多くの人が関心を持ってくれたように思うし、その中でアクションを起こしてくれた人や学校もでてきた。
今回の渡航は、有形、無形に関わらず日本の人たちの気持ちを持っていくことを一つの大きな目的とした。
里帰りはいいよっていう話にしようとしたのに、なんか変な方向になったのでここで一度切ります。乱文失礼。
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