2015年9月23日水曜日

ジープ島ふたたび。

久々に更新するとなかなか指が滑らない。なかなか文章を書くのも骨が折れる。
ちなみに、タイトルを書きながら「大どろぼうホッツェンプロッツふたたびあらわる」という私の一番好きだった児童書を思い出しました。という、どうでもインフォーメーションです。

ジープ島は知る人ぞ知るチュークが誇る世界最小(?)のリゾートです。TBSの世界絶景百選でなんと1位に選ばれたこともある場所で、チュークの空港で目にする日本人観光客はほとんどがこのジープ島が目的といっても過言ではありません。
これについても詳細については過去の投稿(JEEP島なう。)をご参照ください。

久々のジープ島。まずびっくりしたのは島の周りのサンゴが根こそぎ無くなっていたこと。台風でごっそりやられたそうです。そしてやられたサンゴがそのままビーチに打ち上げられていたので痛いこと痛いこと。サンゴの上を歩くときの痛みは体重に比例します。つまり、常人の倍は痛いのです。

私の足の痛さはあなたたちの倍です。

サンゴについてはオーナーの吉田さん曰く、一年もかからずに復活するとのことです。相変わらず魚もいっぱいいたし、サンゴについてもこれから生まれてくるところを見れるので近々ジープ島への渡航を検討されていた人も楽しめるはずですのでご心配なく。

また、犬が3匹になっていました。
ビキニ(新)、ジープ(新)、ジープ(旧)の3匹。

中でも、ジープ(新)の泳力は特筆すべきものがありました。10分でも20分でも荒波の中でも泳ぎ続けるジープ。ぜひ、ジープに行ったときにはジープ(新)との遊泳をお楽しみください。

迷っていたけれど、行ってよかったと思ったのは、島のお世話をしているチューク人のおばちゃん(リペルさん)が喜んでくれたこと。

「(チュークに住んでいた)みんなにまた遊びにくるように伝えてくれ!」
とのことです、チューク隊のみなさん。リペルさんは首を長くして待っていますよ。

ハンモックと夕日と僕の足

ちなみに、ジープ島といえばですね。
初めてジープ島に行ったとき、つまりかれこれ4年前に携帯を水没させた苦い記憶があるんです。日本から持って行ってwifi端末として重宝していたiPhone4をポケットに入れたまま船から降りちゃったんです。

ジープ島は船を降りてから島につくまで少しだけ海の中を歩きます。
ぽちゃん。船を降りた瞬間に気づきました。

打ち寄せる波の音に、慌ててiPhone取り出し
島についた、僕は一人
マジで凹んで、落ち込んだー♪
(ゆずのセンチメンタルに合わせて歌ってください)

その後、爆発するんじゃないかというぐらい発熱をした私の愛機は焦げ臭いを漂わせ、お亡くなりになったのでした。

それ以降、何度もジープ島に行ったけど、深く反省をしていた私はなんとか同じ過ちを繰り返さず任期を全うしたというのに。というのに …。

喉元過ぎればなんとやらとはよく言ったもので、今回ジープ島から帰りの船に乗るときにポケットにiPhone6Plusを突っ込んだままだったのです。

「コウタイ!ポケットに携帯!落ちるぞ!」
ローカルスタッフに指摘され、慌てて救出するもすでにしっとり。とりあえず電源を切り、本島についてから電源を入れたら大丈夫そうだったけど、ネットを繋ごうとしたら繋がらず。ピンポイントでwifi機能だけ死んでいた。

チュークでwifiが使えないということはもはやただの通信機能のないiPod touchである。

ジープから帰ってきた日はホテルを取っていたので、電源を切りホテルの冷蔵庫(ほぼ冷凍庫)につっこみ一晩寝かせ、二日間天日干しをしたらなぜか3日目には直った。

なぜかはわからない。けど直った。

【教訓】
海に入るときは、ポケットにiPhoneを入れたままにしてはいけない。
しかし、万が一入れたまま水没させてしまって一部機能が壊れた場合は冷蔵庫に入れて、天日干しをしたら稀に直ることもある。(保証なし)

ホテルからの夕日

ホテルの受付のおねーちゃん。懐かしい!

次は、ようやく本島編。今日はもう更新せんかな。

里帰りは里帰り。

里帰りの日程を決めて、いろいろ準備を進めて徐々に気づいたことがあった。少しもワクワクしないのである。直前になったら少しはワクワクするかなと思ったのに、前日の夜も、空港についても、少しも気持ちが盛り上がらなかった。

福岡→グアム→チューク
南国ですよ。南国リゾート!

ふと実家(関西)に帰る時のことを思い出して納得した。
なるほど、これが里帰りなのか。

北海道で生まれて、福岡に住んでいる人が関西に行くとしたらきっとワクワクするでしょう。でも、関西が実家の私にとっては関西は少なくともワクワクする場所ではない。里帰りの場所。

里帰りは里帰り。日本国内であれミクロネシアであれ旅行とは違うんだな。
頭ではなく経験で理解した瞬間だった。

通い慣れたグアム。
グアムでチューク語を話せば特典が続々とあるのはリンク先の過去の投稿(グアムでわしも考えた。)にまとめてありますが、グアムの路上には変わらない奴がいたり新規で来た若いのがいたり仲良かった奴がいなくなってたりと時間の経ったことを感じつつも今回も変わらずスペシャルなおもてなしをしてもらいました。

すっかり忘れたつもりだったけど、道も店の場所も意外と全部覚えているもんですね。

それにしても、ちょっとチューク語で話をしただけでプィプィ(兄弟)と呼ばれ、一瞬で長年の友達(あるいは兄弟)のような関係になれる彼らのオープンさには驚かされます。

乗り換えのための一晩を彼らと過ごし、空港に送ってもらい、翌朝にはチュークへ。


全く変わらない看板を過ぎたらすぐにパパスが待っていた。
Welcome to Chu......!
なんで横に撮影してくれへんかったんや!


入国審査を終え、外に出るとウェルカムオーラ全開のママスが待ち構えていてココナッツを速攻で買ってくれました。そして、速攻で飲み干し、もう一個買いました。


日本の実家でもそうですがあまり親孝行な方ではない私はとりあえずここでいったんパパスとママスのウェルカムを振り切り、そのままストレートでジープ島へ!

ホテルのピックアップに乗り込み、パパスとママスに「水曜日に家行くから!むしろそこから帰国まで全部泊めて!」と、一方的に話して、別れを告げました。

ジープ島編へ、つづく。

里帰りのススメ。

帰国して丸2年以上が過ぎ、任国に里帰りをした。
里帰りを迷っている人がもしいたら声を大にして言いたい。
里帰りはいい。したほうがいい。

私の場合、きっかけはチュークを襲った台風だった。4月1日に大型台風直撃の情報を先輩隊員のフェイスブックの投稿で知った私は確実にエイプリルフールのネタだと思った。

ISSから見た台風MAYSAK

「こんな映画でしか見ないような台風がチュークにぶつかるわけがない」と思って画面を一度は閉じたが、すぐに現実だと知ることになった。

すぐにホームステイ先に電話をしてみたが「この電話番号は存在しない」という英語のアナウンスが聞こえるばかり。(後から聞くと台風後3ヶ月ほどはまともに電話も機能していなかったという)そういえば、パパスは空港のマネージャーをしていたことを思い出して空港に電話をしてみた。

「こんにちは、チューク国際空港マネージャー室です」

繋がった!

状況を聞こうと思ったら私からの電話と分かるなり、
「結婚おめでとう!お前がおらんくなって寂しくて…」
なんてことを話している。

なんだか肩透かしをくらい、「台風は?家族はみんな無事?」などと問うと、
家族は無事だという話に続けて、現地の状況を伝えてくれたパパス。建物はいっぱい壊れて、バナナやパンの実の木が倒れて腐ってむちゃくちゃ臭いと。
とにかく明るい。とにかく明るいパパス。「安心してください。みんな元気ですよ。」と言わんばかりの話し口で、おそらく台風の被害よりも久々にこちらから電話があったことに盛り上がった様子だった。

とはいえ、詳細が気になり、「すぐに行こう」とも思ったが結婚式を一週間前にあげたばかりでパスポートが無効だった。「何かあったら行けるようにしとこう」と、とりあえずすぐに更新をしに行った。これが結果的によかったと今では振り返る。受け取ったのは4月15日。2週間が経ち、その間にいろいろ考えた。

台風MAYSAKのことは日本ではほとんど報道されなかった。知人の情報ではNHKの夜のニュースで4月1日だか2日だかに一瞬だけ触れられたというがそれ以外には皆無といってもよいような扱い。ネットのニュースとしてもヒットするのは2、3件でそれも焼き増しした情報のみだった。4月9日にペリリュー島を天皇皇后両陛下が訪問され、その場にミクロネシア連邦の大統領も並んだというのに。取り上げるのは戦争の話ばかり。

一方やたら大きく取り上げられるバヌアツのサイクロンの報道も非常に私を困惑させた。
同規模の被害なのに、何が違うんだろう。
民間の支援団体っていったいなんの為に活動をしているんだろう。

本当に考え方が変わるきっかけとなった。

お金を集めることも考えたが、チュークは土地柄もありさまざまな問題をお金があっても解決できないことを知っていたのでやめた。そして何よりもうすうすではあるがチュークの人はそこまで困っていないような気がしていた。インフラの整っている日本のような国とインフラがズタボロなチュークのような国、大災害の時に強いのは後者である。
チュークの人はたくましい。大丈夫だろう。

しかしながら、日本の人が《知らない》というのが妙にひっかかった。
東日本大震災の時にはそんなに大きなものではないがチュークの人から日本の為へのアクションがあった。少なくとも日本の災害について知っていたし、心を痛めてくれていた。日本のように様々な情報が入ってくる国ではないチュークなのにである。

チュークの人たちは少なくとも日本のことを好きでいてくれている。そして高い関心を持ってくれている。
しかしながら、日本人の大多数はチュークのことを知らない。そして興味も関心もない。
70年前まで自国であったこの小さな島のことを!

そして、私は自分の仕事の中でできることを今まで以上にやろうと決めた。

仕事として学校や地域で話をさせていただく機会が非常にたくさんあるので、その度に任国の話と合わせて、台風が襲ったことを話すようにした。
多くの人が関心を持ってくれたように思うし、その中でアクションを起こしてくれた人や学校もでてきた。

今回の渡航は、有形、無形に関わらず日本の人たちの気持ちを持っていくことを一つの大きな目的とした。

里帰りはいいよっていう話にしようとしたのに、なんか変な方向になったのでここで一度切ります。乱文失礼。