2012年10月17日水曜日

気づけばオッサン。

11日に誕生日を迎え、29歳になりました。
チュークで過ごす誕生日はもうこれが最後。


来年の今頃は日本で30歳。みそじ。
29歳ってことはですよ、十年前に遡っても大学生なんです。

まさか、国外のとんでもない僻地でこうやってパーティーをしているとは思いもしていなかったんですけどね。

大学卒業して、就職して、院いって、ふらふらとしていたら着いた先は南洋の島の上。

あと10年後は子どもが小学校に通っていたりするんでしょうか。

いつまでも若いつもりでいたら気づいたらオッサン。
最近若干体調崩し気味なオッサンです。
夏の体調不良は長引きますねぇ。

2012年10月10日水曜日

教育は絶対に必要なんだ。

テストの日程がなかなか決まりません。

手元にありますスクールカレンダーとやらによりますと9月の27、28日が第一クオーターのテストになってる訳ですがもう今は10月も半ばになろうかとしています。今週末にするから、今週末にするからといいつつプリンターのトナーが金がないから買えないという理由でずっと先延ばしになっていたテスト。プリンターのトナーが届いていたから今週末かなと思ったら今週末もなぜかテストは実施しないそうです。来週末と言っていますがどうなることやら。

ちなみに、もう自分の分のテストは印刷済み。いつテストになるか分からないから、ずっと授業は復習をしているのですが、もう2週間。もし来週になるならさらに1週間で3週間も復習を続けることになる訳で。もし、来週実施しないとなると一ヶ月も…。

もう、予定通りにならないならスクールカレンダーなんて作らないでくださいと心から思う訳ですが、かといって一年前のようにイライラすることも一切なくなりました。南の島で時間を気にすることはもはや無駄な行為であることを、ついには身体までもが理解したようです。

最近、カリキュラムの必要性だとか授業準備の重要性だとかってのを必至で啓蒙することが決してこの国にとって必要なのかどうかが甚だ疑問なのです。もちろん大事なんだけど、別にそれでどうにかなるわけじゃないし。この国の人は確かに〝愚か〟ではあるけれど、決して不幸ではないと思うのです。

「教育はとても重要」

これはそうなんですよ。いつの時代でもどんな場所でももちろん変わらない普遍の真理です。でも教育っていうのが日本人である私が考える「教育」である必要はないと思うんですよね。というか、もはやおおよそ全ての人が考える「教育」じゃなくていいんじゃないでしょうか。この国で学校なんてものが全部なくなっちゃってもいいと思うんです。それでもたぶん教育はなくならないんじゃないかな。

山に行けば食べ物がわんさかあって、海に行けば魚もわんさか。

その中で生きていくための知恵さえ伝える手段があれば、そしてその中でのルールさえ持ち合わせていれば特にこの島に「教育」なんて必要さえないのです。この島にとっての教育ってのは自然に生活の中で出来あがってくるようなものだと思うんです。日本の教育も、他のどの国の教育ももちろん徐々に体系化してきて今に至っているのでしょうが、そもそも南の島に自然状態で複雑な教育が育つとは思えないのです。そんな場所に、教育末期(少しの皮肉を込めて〝末期〟としておきます)の日本の教育やらアメリカの教育を持ってくることにどんな意味があるのでしょうか。

でも、そんな資源を狙って食い尽くそうとするのは結局のところ外国なんですね。この国にとって別に私たちの考える「教育」なんて全く必要ないとしても、結局この外国様(日本も含む)のせいでこの国は「しっかりと」学ばないといけないという矛盾…。そして、そのために日本が「支援」するんです。また、矛盾。

まあ、眠いし、もはや何を言いたいのか分からなくなってきたので。このへんで。

2012年10月5日金曜日

嵐が去って。

ようやく、嵐が去りました。

今週一週間は大荒れに荒れたチューク州。赴任以来初めての台風(天気予報を見た訳じゃないので台風級の天気といっておこう)の襲来でした。
海に沿って道があるだけの小さな島なのでちょっと波がたつととんでもないことになるこんですね。波が立つ度に一瞬で水没する道路。日頃は鏡面の如く穏やかな環礁内の海がこの一週間は別の顔を見せていました。でも、そんな荒れ狂う海であえて遊ぶ子どもたちの多いこと。海に飛び込む飛び込む…。日頃、海に波が立つことなんてないので興奮してしまっているのでしょう。公式なデータは出ないだろうけど、この台風で何人か子どもが死んだんじゃないかな、と冷静に予想しています。

嵐の前の静けさみたいな言葉もありますが、南の島では嵐の前には突風が吹きます。嵐だけじゃなく、スコールの前には常に風が吹くのです。びゃーって風が吹いたらその後にはほぼ間違いなくザーっと雨が降るのです。

先週、学校で授業を終えて、街に向かっていたら正面からすごい風が。自転車が全く前に進まないぐらいの突風。

「パラグライダーは向かい風で飛ぶ!」
なんて言う人もいますが、僕は断然追い風が好きです。人生楽してなんぼ。なんでわざわざ苦労して風に逆らう必要があるのでしょうか。そもそも僕は高所恐怖症ですので、高く飛ぶことよりも楽に地面を歩く方に興味があるのです…。なんてことを考えていたら頭の上からバケツをひっくり返したような雨。そう、この瞬間が嵐の始まりだったのです。

嵐のときはヤシの木の下を通っては行けません。
上からヤシの実爆弾が落ちてくるからね。

水が氾濫した道はもう川のよう。
パンツの中まで濡らして土砂降りの雨の中を向かい風に突っ込んでいったのに、1ミリも空を飛べなかったよ。

飛べない豚はただの豚。
A pig doesn't fly is nothing but the grounded pork.

さて、減量でもしましょうかね。

そういえば、気づかれている方もいるかもしれませんがこのサイトのタイトル画像と背景を変えました。ずっと沖縄の座喜味城跡の写真をタイトル画像にしていたのですが、いい加減チュークのものに変えようと思いJEEP島の半水中写真に、背景はヤシの木からチュークの珊瑚に変えました。ぜひ、スマートフォンからだけではなくPCからもご覧ください。(スマートフォンからでもPC表示にしたら見れますけどね。)

2012年10月1日月曜日

中秋の名月。(島隊員としての資質)

あれからもう一年か。(アレはリンク先を参照:お月見。
昨日は中秋の名月。
今年は天気が悪かったのでお月様は見えなかったけど、団子は作ったのです。


そして、なぜか最近やたらと肌寒いのです。もしかしたら秋かな。他の隊員と「秋が来たってことはぼちぼち冬がくるんじゃない?」「冬が来たら何をするか考えて一日をつぶそう。」なんて意味の分からぬことを真剣にしゃべっている今日この頃です。

南の島隊員にとって最も必要な資質って何かなって考えれば考えるほどに、この〝一日をつぶす〟能力だと思うんですね。

「何にもない南の島で生活したい!」
「あわよくばいつかは移住したい!」

なんてことを真剣に考えた事がある人は少なくないと思いますが、実際の南の島には何があるかというとそこには延々と続くかのような「時間」が横たわっているわけです。そして、悠久の時間が作り出すのは「退屈」そのものなのです。

ということで、最近はもっぱらコレです。


歌はいいね。歌は心を潤わしてくれる。リリンの生み出した文化の極みだよ。

この前の、日本に一時帰国のときにギターちゃんを持ってきたのです。元々持ってきていた三線ちゃんとウクレレちゃんに仲間入りしたギターちゃん。高校の時に買ったもののFで挫折したギターちゃん。時間があるので目下特訓中。

ナイロン弦のウクレレに比べてやっぱりギターの弦はかたく、最初痛かったんですが、指も順調にカチカチになってきて、最近ではF系のコードもなんとかなりそうな兆しが見えてきました。というか、ジャカジャカと機嫌良く弾いていれさえすれば別にコードなんて間違ってもたいした事はないのです。たぶん、高校生時分の僕はきっとかっちりと音を鳴らしたかったんだろうなぁって思いますね。年を取って適当にやることの大切さを覚えました。

歌を歌えば気分がまぎれる。時間がつぶれる。
そして、人が集まり、自然に友達が増えます。
南国生活に楽器はマストアイテムだと思いますね。