2012年10月10日水曜日

教育は絶対に必要なんだ。

テストの日程がなかなか決まりません。

手元にありますスクールカレンダーとやらによりますと9月の27、28日が第一クオーターのテストになってる訳ですがもう今は10月も半ばになろうかとしています。今週末にするから、今週末にするからといいつつプリンターのトナーが金がないから買えないという理由でずっと先延ばしになっていたテスト。プリンターのトナーが届いていたから今週末かなと思ったら今週末もなぜかテストは実施しないそうです。来週末と言っていますがどうなることやら。

ちなみに、もう自分の分のテストは印刷済み。いつテストになるか分からないから、ずっと授業は復習をしているのですが、もう2週間。もし来週になるならさらに1週間で3週間も復習を続けることになる訳で。もし、来週実施しないとなると一ヶ月も…。

もう、予定通りにならないならスクールカレンダーなんて作らないでくださいと心から思う訳ですが、かといって一年前のようにイライラすることも一切なくなりました。南の島で時間を気にすることはもはや無駄な行為であることを、ついには身体までもが理解したようです。

最近、カリキュラムの必要性だとか授業準備の重要性だとかってのを必至で啓蒙することが決してこの国にとって必要なのかどうかが甚だ疑問なのです。もちろん大事なんだけど、別にそれでどうにかなるわけじゃないし。この国の人は確かに〝愚か〟ではあるけれど、決して不幸ではないと思うのです。

「教育はとても重要」

これはそうなんですよ。いつの時代でもどんな場所でももちろん変わらない普遍の真理です。でも教育っていうのが日本人である私が考える「教育」である必要はないと思うんですよね。というか、もはやおおよそ全ての人が考える「教育」じゃなくていいんじゃないでしょうか。この国で学校なんてものが全部なくなっちゃってもいいと思うんです。それでもたぶん教育はなくならないんじゃないかな。

山に行けば食べ物がわんさかあって、海に行けば魚もわんさか。

その中で生きていくための知恵さえ伝える手段があれば、そしてその中でのルールさえ持ち合わせていれば特にこの島に「教育」なんて必要さえないのです。この島にとっての教育ってのは自然に生活の中で出来あがってくるようなものだと思うんです。日本の教育も、他のどの国の教育ももちろん徐々に体系化してきて今に至っているのでしょうが、そもそも南の島に自然状態で複雑な教育が育つとは思えないのです。そんな場所に、教育末期(少しの皮肉を込めて〝末期〟としておきます)の日本の教育やらアメリカの教育を持ってくることにどんな意味があるのでしょうか。

でも、そんな資源を狙って食い尽くそうとするのは結局のところ外国なんですね。この国にとって別に私たちの考える「教育」なんて全く必要ないとしても、結局この外国様(日本も含む)のせいでこの国は「しっかりと」学ばないといけないという矛盾…。そして、そのために日本が「支援」するんです。また、矛盾。

まあ、眠いし、もはや何を言いたいのか分からなくなってきたので。このへんで。

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