2013年4月18日木曜日

研究授業。(ミクロネシアの教育現状)

学校で研究授業をしました。



この研究授業ってやつにはあんまり乗り気になれなかったのですが、もうすぐ広域研修があるので一応足並みを揃える意味で行いました。マーシャル、パラオ、そしてここミクロネシアの三国で年に一回を目安に広域研修なるものを開催しています。開催している理由はこの三国は共通の課題を抱えているから。とは言いましても、マーシャルやパラオに比べてここミクロネシアはかなり遅れをとっていると言わざるを得ないのが現状です。

この研究授業ってのは他の二国(マーシャル&パラオ)でうまいこといっているからうちの国でも取り入れてみようって流れで始まり、今や三国の共通の取り組みみたいになっている訳ですが…。
言わずもがな研究授業ってのは日本発祥の授業研鑽の方法です。アメリカとかでも一部で評価されていて〝Lesson Study〟なんて名前で広まっています。入念な授業準備と、授業の前には事前検討そして、授業後には事後検討。なーんてすごく日本的な方法だと思うんですね。どのプロセスをとってもこのミクロネシアにマッチしてると思えないものなんです。

ほんで実際、この国でどうなっているかというとなかなかうまくいっていない訳です。なんたって事後検討がちょっとくせ者で、この国の場合すごく小さな社会ですので、基本的に人のことを批判できません。何か意見を求めても、「いい授業でした」以上のものがなかなか出しにくいんですね。って思ってたのがちょっと前まで。最近はもうちょっと別の理由があると感じだしまして、そもそも授業が終わったあとに何かコメントを述べるというのはかなり高度な技術なんですよね。日本で研究授業に参加したとして日本語で私自身も出来るかと言われればかなりあやしいもんです。さらに付け加えると、この国にはいわゆる教員養成機関がありません。もちろん日本の様に教育実習みたいなことをした人が先生をしてる訳でもなければ、教職についてからも学校内に指導をしてくれる先生みたいなのもいません。そして、国民性としてだれかが教えてくれなくても自己研鑽に努めるぞ!みたいな人も基本的にはいない。つまり、「よい授業」ってもんを知る人がいないと言ってもいいような状況なわけです。よい授業ってものに対するイメージが明確じゃないのにそもそも他人の授業が評価できるのかって答えは自明ですよね。

研究授業ってのは「授業を磨くための方法」の一つだと思うんですけど、現状を見る限りミクロネシアで行われているの研究授業ってのは授業を磨くことにあまり貢献できていないんじゃないかなと。不必要に現場の先生をナーバスにさせて、ますます「授業を改善すること」を億劫にさせているだけなんじゃないかなと。そんな風に感じて今回は日本的なる研究授業を導入するのはやめました。

あくまで目的は授業改善。だから、改善すべきポイントを含めてカウンターパートに授業をしてもらいました。

今回、改善案として提示したのは以下の3点

・「めあて」を黒板に書くこと
・「まとめ」を黒板に書くこと
・「板書計画」のすすめ

上の二つに関しては現状うちの学校で実施できている先生はいません。私が赴任してから何度となく重要性を述べているのですが、全く根付く気配のない項目です。基本的に先生が黒板に問題やらなんやらを書いて、それを解いたら授業はおしまいっていうのが毎日のルーティンワークになっているので、毎時毎時の授業が何を目的としているのか、そして何を得たのかを子どもも教師もいまいち実感できないのが現状で、子どものためにも先生のためにもこれは根付いて欲しいなというこちら側の思いで提示させてもらいました。口で重要性を説くより、一度授業を見てもらったら感じるものがあるかもという淡い期待を込めました。
最後の板書計画ですが、こちらの教育庁の提示している指導案の書き方が実はあるんですがこれがまたこの国の先生方にマッチしないんです。ほとんど日本の指導案のフォーマットとそう変わりません。あんなコマゴマとしたものをこの国の先生がきっちり書くわけもなく、だから結局指導書に書いてある指導案をそのまま写すだけで、授業の進行と指導案は無関係というのが現状なわけです。だから、今回は板書計画を立てたらとりあず授業の体裁は取り繕えるんじゃないかなと思って提示させてもらいました。目に見える形で授業の終わり(板書)を先に紙に書いておくことで、授業がもうすこし安定しないかなという願いを込めて。


結果としてまあまあよかったように思います。決して大盛況って訳ではありませんでしたが。

参加者は計5名。
現地の先生4名。他職種の協力隊員1名。

現地の先生の内、2名は最初から最後までいましたがその内1名は教室の隅っこでごろりと寝ていました(椅子でうとうととかじゃなく、床にがっつりゴロ寝!熟睡!)、残り1名は終始真面目に参加してくれていました。あと1名は途中で一瞬顔だけだして帰っていった先生、もう1名は授業が終わったタイミングで何故か自分のクラスの子どもまで引き連れて教室に顔を出してくれた先生(実施時間を勘違いしていたのと、自分のクラスの子どもも授業に参加すると思っていたようです。)。他職種の協力隊員というのは同期の環境教育隊員が近くに仕事で来ていたので顔を出してくれました。

上の状況を読まれたらとんでもない事態を想像されるかもしれませんが(まあ実際とんでもないですけど)、他の先生の授業を潰したくなかったので学校の中休みを使って行ったのと、「興味があったら来てくれ」って伝えただけなので、1人まともに参加してくれれば上々、たぶん誰も来ないと予想していたので私個人の感想としてはまずまずの結果だったという訳です。

成果としては、最初から最後まで真面目に参加していた先生が後日、「”板書計画”はいい。教育庁や、この学校で書かされる指導案のフォーマットより取っ付きやすい。今度使ってみるよ。」ってわざわざ言いにきてくれたのと、実際に授業にあたっていたカウンターパートが「”めあて”と”まとめ”を提示してみたらよかった。授業がしやすかった。私は日本の授業の仕方を学べてラッキーだ。」って言っているのが聞けたことの二つでしょうか。

結論として、強く感じたのはやっぱり研究授業以前のものでたくさん足りていないものFSMにはあるなぁってことですね。他国の実践を借りてくるのはいいけど、やっぱりうまいこといかないのであればもう少し新しい方法を模索する必要があるんじゃないかなぁ、そういう時期にきてるんじゃないかなと思いました。

長々と書きましたがいまいちまとまりがなくてすいません。

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