2011年8月31日水曜日

レインボーネシアプロジェクト。

日本の女子大生がフリーペーパーの取材とやらでうちの学校まで来ました。

彼女たちの作っているフリーペーパーのスポンサーにレインボーネシアプロジェクトがついているらしく、この取材旅行もレインボーネシアプロジェクトの一環なのだとか。
レインボーネシアプロジェクトとは日本にあるミクロネシア大使館(?)の公式〝国おこし〟プロジェクト。
歯に衣着せぬ言い方をすれば、日本の観光客に来てもらいたいからミクロネシアをプロモーションしようとしている訳ですね。

確かにネットでレインボーネシアのサイトを見ると、なかなか大層なビジョンが書かれてあるわけですが大きなことばかり言うけど実際にはなかなか動かないこの国のことなのでこのプロジェクトについても些か疑問が残りますね。

今のところ、この国は一部のごくごく狭いリゾートエリアにストップして、そこから無人島に行って宿泊したりダイビングしたりしか出来ないです。まあ、実際それでも一週間ぐらいの滞在だったら最高に楽しめるんだけどね。でもやっぱり、この国みたいなマニアックな国に旅行しようという人って、その国の文化にちょっとぐらいは触れたいと思うんですよね。
でも、この国は文化的にも急速に衰退していっているわけで、それは社会基盤が壊れてきているからだと私は思うのです。社会基盤の不安定な場所に文化もなんもないですからね。それはアメリカ様がお金をばらまいたおかげだとこの国の人間はいうけど、原因が分かっている時点で、自分たちが変わらないといけない段階にきているわけですよね。人のせいにしてちゃだめです。といっても、大半の一般人にはどうしようもない話で、局長レベルの人がそのばらまかれたお金を管理できないのが諸悪の根源なのです。自分のことしか考えられない上層部とその上層部からのおこぼれで生活している一般人。まあ難しいですけどね。

例えば電気。一昨日は遂に丸一日電気がありませんでした。昨日も普段の半分ぐらいしか電気がつきませんでした。今日もいつもの時間には電気がこず、明らかにここ三日間何かがおかしいです。理由を聞いたらオイルが買えないからだって。ん?おかしいぞ。何故オイルが買えなくなることがあるのでしょう。資源のなにもない島国だからもし物理的に買えないとかなら分かりますけど。それでも、それも考えてストックしておくべきものですよね。住民は電気代を払っているんです。プリペイドで、ちなみに日本の二倍ぐらいの高い電気代をね。電気会社がその金を集めて、ちゃんと運用していればオイルがなくなることなんてありえないんです。でも、実際にはオイルが買えないときがあるんだとか。何故か。それは、そのお金を横流ししちゃってる訳ですね。たとえば、コンビーフを買っちゃう訳ですよ。そういうのを管理者クラスの人が平気でしてて、それを知っている人もその恩恵を受けているから文句いえない、言ったところで何も変わらないし、立場悪くなるぐらいなら恩恵うけてるほうがいいかなぁ。ってなもんです。

まあ実際のところこれが本当かどうかは知りませんよ。何人かに聞いた内容をまとめただけだし、そもそも発電所で働いている訳じゃないし。でも発電所以外の他の省庁でも同じようなことがいっぱいあることからも、やっぱり当たらずとも遠からずというところでしょ。

食べ物に関しても特産品みたいなのにしても自分たちで何か土地のものを考えようというような発想が一切ないし、これだけ歴史的な遺産があるというのに自分たちの力で保護しようともしない。
すべて今日が大事なんですな。今日のことばっかり、自分のことばっかり考えているので何か明日の為に作る発想に乏しいのです。

未来を大事にしていないのは教育がないがしろにされているこの国の現状にはっきりと反映されています。
明日より今日を続ける限りこの国の〝国おこし〟は難しいだろうなぁ、今日より明日、明日より明後日がここにはほんとに必要なんですよ。

虹の沢山みえるミクロネシアに行こう、という意味でつけられたであろうレインボーネシアプロジェクト。
それが虹のように儚く消えていく、レインボーネシアプロジェクトでないことを切に祈ります。

2011年8月29日月曜日

第九週目。(今後のビジョン)

もうとんでもない長い時間この地に住んでいるような錯覚をしてしまう。

チューク隊員の大変なこととして他州隊員からは整っていないインフラが真っ先に挙げられますがそんなものは慣れてしまえば大したことはないのです。道路が水没していようが、電気がこなかろうが、下水が機能しておらず時々うんこがクーリングオフされようが慣れてしまえばどうということもない。
治安が悪い悪いと言われるものの、第六感を常にフルで稼働しつつ、目が血走っている酔っぱらいに気をつけ、住民の恨みさえ買わなければどうということはない。無差別殺人みたいなのを耳にする日本なんかよりある意味よっぽど安全かもしれないぐらいである。

チューク隊員の大変なことは全くもってそんなことじゃないのです。最大のストレスはここが16平方キロメートルしかない監獄島(インペルタウン)だということ。三ヶ月目に突入したばかりだというのに、最初にもかいたがもうとんでもない長い時間をこの地にすんでいるような錯覚になるのは同じことの繰り返しが続いて何巡も何巡もしているから。想像してみてくださいよ、16平方キロメートルですよ。範囲としては、分からんけどちょうど小学校の校区に毛が生えたぐらいかな?そしてその内の半分以上は山なんですから、実質人が活動しているエリアなんてその半分ぐらいでしょう。

そんな狭い範囲ですので、最初の一ヶ月で一通り島内のほぼ全域を見終わりましたし、次の二ヶ月目で二巡、場所によっては三巡、四巡、五巡、いやいやそれ以上した訳です。そして、その結果分かったこと。これ以上、この島には掘り下げる場所がなさそうだということ。だって、たとえば日本だったとしても16平方キロメートルで区切ってその外に自由に行き来できなかったらすぐにすることなくなりそうでしょ?

ご機嫌に活動できている人にはこの海は美しい湖に見えるが、病んでいる人には日本と自分を遮断するそびえ立つ壁に見える。

そんな話をここに来る前に聞いていたが、今ではとてもよく理解できる。

そして、この国にどうしようもなくずうずうしく横たわっている「退屈」こそがこの国を腐らせているひとつの元凶であると思うのです。
退屈だからやる気がおこらないし、退屈だから刺激が欲しくて酒やマリファナに走るわけです。
そして、退屈だからたまーにあるイベントで興奮しすぎて事件が起こるし、退屈だから手に入った目新しい物にがっついちゃってすぐに失うのです。
退屈ゆえ、減り張りの一切ない世界。

目の前のことばかりを追い求めるので長期的なものがほとんど何も残らないのです。
即物的なイベントではなく、もっと根本から退屈を解消してくれるものってなんなんでしょ。

退屈なら勉強しろよな。
なんて思っちゃうんだけどこんな暑いとやる気おきないしね。そもそも時間があるからってそれが勉強に結びつかないのは自分自身の学生時代に実証済み。

でも面白ければなんでもすると思うんです。退屈だから。

そして、ある程度リーダーシップ発揮したら狭い社会やし、この国の人間は動いてくれると思うんですよね。但し、面白いこと、興味あることに限る。
狭い国は弱点にあらず。

この国に面白くて、建設的なことを増やしていく。
そんなうまいこといかんと思うけど、そんなことを頭の片隅において活動していこうと思います。

動機は「退屈の解消」
そして、利点としての「狭い社会」
最後に、目的は「建設的な何か」
で、終わった後に「楽しかったね」だけで終わらないもの。

2011年8月28日日曜日

トトロ。

学校帰りに日差しが強いと、同僚が心配して「あなたも一つ傘を持って行きなさい」と言ってくれた。
そしてゴソゴソと道路脇に行って採ってきてくれたのがこれである。


お!これはあのトトロで有名なアレか?
と思って同僚の使用している様子を見るとなんか違う。


そう、全く日除けになっていないのである。
それどころか暑さで萎びた葉っぱがより暑さを際だたせる。

チュークの風物詩。

退屈を凌ぐ技術。

日曜日は実に退屈である。ステイ先のパパスは教会へ、ママスは手首と足の裏が痛くて動けない(たぶんリウマチ?)といってゴロゴロ寝ている。ブラザーは「なんて退屈なんだ!」と嘆きながらもぐもぐラーメンを食べている。隣のオバチャンはご機嫌で踊りながら歌っている。

そんで自分はというとこれまたぼけーっと日がな一日を過ごす訳です。
暇な時間はしょうもないことを考えてしまうからいけないね。

って書いた後に、暇に任せて考え馳せていたことをうだうだと50行超ぐらい書いたんですが、全て消しました。なんといってもこの国でうだうだと考えるのはあほらしいね。現地人同様、することないときはただただひたすらに、ぼーっとする技術を身につけることにします。


ぼー。
ぼぼぼー。
ぼーーーーーーーー。


よし、久々に筋トレでもしよ。ラーメンばっかくってる弟でも誘って。

2011年8月26日金曜日

毎日うんこのことばっかり考えて生きてます。

今日の朝、うんこをしようとしたら隣の家のトイレまで遂にイカレてました。なんとも予想通り。朝から海に走る時間はなかったので、学校まで我慢して学校のトイレに駆け込んだのですがなんとなんとの使用中。

実は生徒用のトイレを使おうとおもったら使えるのですが、生徒用のトイレはドアがないのです。ドアがない上に、出口に向かって正面を向いて座ってやるシステム。つまり、どうか私の全てを見てくださいと言わんばかりにすべてをおっぴろげてしなければいけないのです。

それはいや、絶対にいや!海で用を足すよりも屈辱!

冷や汗をダラダラ流しながら、学校のオフィスで腹を押さえて待っていると子どもがこともあろうに後ろから抱きついてきました。

むぎゅーーーーーー。

後ろから私のお腹に両手を回して、むぎゅーーーーーー。

その刹那トイレが空き、事なきを得たのですが、危うく海でするより、生徒用のトイレで全部さらけ出すより、もっと屈辱的かつ恥ずかしいことをするところでした。


そんな辛いことはあるんですが、今日学校にワイヤレスルーターが設置されました。
おかげでiPhoneちゃんもiPadちゃんも今日から機能します。

2011年8月25日木曜日

チュークはこんなん(困難)です。


パソコンを使っていたらキーボードの間から蟻がのそのそと出てくるぐらいではびっくりしないようになった私ですが、最近ちょっと困っています。
しょうもないダジャレをタイトルにしてしまうぐらい困っています。

昨日もつぶやいたのですが、うちの家のジェネレーターが壊れて二週間が過ぎました。そもそも日本にはジェネレーターが何かを知らない人がいっぱいいると思うのでまずはその説明をば。ジェネレーターとは、エンジンを動かして電気を起こすマシーンのこと。これさえあれば、停電中も電気が手に入るという画期的なマシーン。まあ家庭用発電機とでもいいましょうか。

そして、チュークに電気がないのはいまさら説明など必要としない周知の事実。実に一日の半分以上は停電しています。四時間ごとに切り替えをしているらしいのですが、計画停電という名の無計画停電。

電気がないとどうなるかわかりますか?

真っ暗になります。真っ暗ってゆうても日本で寝る前に電気を消した時とは完全に別物です。日本で電気消しても何かが光っているので実は明るいんです、試しに真っ暗にしようとしてみてくださいどんなに真っ暗にしようとしても一時すれば目が慣れていろんなものが見えてくるでしょ?少なくとも寝る時に天井は見えてるはず。しかし、ここでは天井も見えません。その瞬間に全ての家が停電になるから月明かりのみ。まあでも真っ暗な世界では月ってびっくりするぐらい明るいんやけどね。まあ満月の日以外は家の中にはいってしまえばそれでも真っ暗。真っ暗だから、もちろん本は読めませんし、パソコンもバッテリーが切れたらおしまい、仮にバッテリーがあっても画面が光っているせいで画面に虫がいっぱいたかってくるのでちょっと使う気になりません。まあつまり仕事の準備もできません。

じゃあ諦めて寝ろよって話なんですが、電気がないと扇風機も使えないからかなり寝苦しくなります。扇風機がないとなぜ寝苦しいか分かりますか?暑いからというのもあるのですがそれだけではないんです。扇風機のメインの機能は虫(蚊とハエ)除けです。蚊取り線香なんかより断然有効です。
また、電気がないと泥棒が増えるそうです。確かに最近は夜になると泥棒かどうかは別にしてもいっぱい変なのが家の周りを徘徊しています。

ちなみに夜12時から朝6時までの電気はほぼ100%止まります。例外でたまーに夜中2時ぐらいまで電気がある時がありますが、発電所のスイッチ切り替え担当の人がスイッチを切り忘れてるだけです。

ここまでは夜の話でこれは比較的みなさん容易に予想できたと思います。次は上級者向けの日中の停電について。
日中は基本的に6時〜10時、14時〜18時、22時〜24時の一日10時間コースか、10時〜14時、18時〜22時の一日8時間コースのどちらかで電気がきています。といってもスケジュール通りこないことも少なくなく、ひどいときは3日間電気がこないなんてこともあるそうです。まだ一日フルで電気がこなかったことは今のところ経験していないのですが、一日に二時間しか電気がこなかった日はありました。

そしたら、どうなるかと言うとまずご飯を作るのが困難になります。コンロは電気式が一般的なのでカセットコンロはあるものの、小さいので家族全員分のご飯を作るのには少し火力が足りません。だから停電の間は外でココナッツと薪を使って火を起こさなければなりません。

次に水を手に入れるのが困難になります。チュークでは貯水タンクに雨水を貯めて生活をしているのですが貯水タンクからそのまま水をくんで使う訳ではなく、貯水タンクからでっかいポリバケツに移動させて使います、ポリバケツは台所(料理用)、バスルーム(トイレ・洗濯・シャワー用)の二ヶ所に集中して置いてあります。そして、なにが問題かと言うとその水を移動させるためのポンプは電気で動いているので、つまり電気がないとメインの貯水タンクから他のポリバケツへの水の移動ができなくなるのです。水が確保できなくなると言わずもがな一気に生活基盤が崩れてしまいます。

そこで便利なのがジェネレーターという訳で。その便利なステイ先のジェネレーターがここ二週間程壊れているのです。
でもね、別にいいんです電気がないぐらい。一般的にはジェネレーターを確保出来ている家庭なんてほとんどないし今までたまたま確保できていただけだし。三日も電気ないのはさすがに活動に支障をきたしそうだけど、一応一日平均8時間ぐらいは電気きてるし。それが現地の生活やからしかたなし。
何より今月中には何とかなるらしいし。

そうです、ここまでは前置きだった訳です。
さてさて、私が今困っているのは何なのか。

先ほどバスルームの話をしましたが、でかいポリバケツの中にはいってる水を小さいバケツでくんで頭からかぶることをシャワーと言いますし、トイレといっても出すものを出したら同じくバケツで汲んだ水でじゃばっと流すシステムなわけですな。まあ、最初はなかなか違和感があったんですが、今となっては寝起きにバスルームに行って頭から水をザブザブとかぶるのなんて最高に気持ちいいんですよ。目がしゃきーんとしますしね。

しかーし!
今、少し問題があるわけです。
バスルームの水が一切排水が出来ないのです。

トイレして、「ばいばーい」とバケツの水を流すとゴボゴボっと水洗の音がした後に床の排水溝から「ただいまー」とうんこちゃんたちが帰ってきます。
シャワーをしようと頭から水をかぶると、排水できずに足下にプールが出来ます。もちろんうんこちゃんも「おじゃましまーす」ってゆうて出てきます。
うちの家は二つバスルームがあるんですが、そのどちらもが同じ状況。

だから、今はトイレは隣の家のやつをかりていますし、シャワーは屋外で真っ暗の中ドラム缶に貯まっている雨水をかぶります。屋外に全裸で飛び出してめっちゃ冷たい水をかぶって頭洗って身体を洗う訳ですな。
しかし、排水溝がおかしなってる原因を学校で聞くとこの前の大雨のせいで下水の水位が上がってしまってそのときに家の近所のメインの排水管がつまったらしく排水できないのだとか。つまりは隣の家のトイレがあかんようになるのも時間の問題な訳です。

使えるトイレがなくなるとどうなるか。
さー、みんなで考えよう。

そう、答えは簡単。海に入るしかないわけですね。
腰まで海に入ってぷりっとね。

基本的に現地スタイル受け入れ型でここまで来ている私ですが。
海まで走っていって出すもん出して、家に帰って屋外のドラム缶で公開シャワーをするなんてのはさすがに辛いぞ。
まあでもそうするしかないってんならやるけどね。

以上、同期のヤップ隊のブログがなかなか甘ちゃんなことを書いていたので対抗してチュークの現状をレポートしました。
とりあえず誕生日おめでとうございます。

2011年8月23日火曜日

第八週目。(ピサールとかポコとか)

飛ぶように時間が過ぎる。ずっとずっと夏のこの島には季節感がないからかな。

授業が終わった後は、校長か副校長の許可さえ取れれば基本仕事を早抜けできることが分かったため、先週末から今日にかけてポンペイ隊とヤップ隊のアテンドをしていました。といっても、ただ勝手にもぐり込んで好き放題しゃべってただけなんですけどね。

金曜日はダイビング。
ローカルプライスとやらを準備してくれるということで、ポン隊とヤッ隊に混じって初の外国人ショップ利用でのダイブ。日頃からしゃべりまくってる自分が圧倒されるぐらいにおしゃべりなオバハンイントラが英語で説明してくれるのですが、それはそれは早口。自分の語学力では聞き取れるか聞き取れないかのほんとにボーダーです。まあいい勉強になりそう。潜ったポイントは「富士川丸」と「一式陸攻(Betty)」でしたが、この二つは既に潜ったことがあったので説明は控えておきますね。

土曜日から日曜日にかけてはピサール島(管理人常駐の無人島)で1泊2日のサバイバル生活。ピサールはこの前にピクニックで行った場所ですが、今回は初の宿泊をしました。しかも、あの有名なジープ島でストップして、シュノーケルをした後にピサールへ。

これがジープ島。

ジープには不思議なことにハナエという名前の日本語が堪能な現地人の子どもがいます。

ピサールでは浮かんだり、

狩りをしたり、
(サンゴにへばりついているシャコ貝をナイフを駆使して素潜りで捕獲します。)

歌ったり、

そんなことをしていたら夕暮れ時に虹がかかったり、

カレーを作ったり、
(生木とココナッツの殻しかないので火を起こすのが至難の業でした。)

夜はやっぱりキャンプファイヤー!

いやー、この何もない地にいる間に日に日にたくましくなってきている気がします。
夜はハンモックで寝ていたら豪雨が突然降り出しびしゃ濡れになり、小屋に移動するものの今度は蚊の大群と朝まで戦っていました。

帰りにはオローラ島に寄ってもらい有志のみで1本ファンダイブ。いつも沈船ばかりなので久々に全然沈船と関係ないお魚さんポイントを泳ぎ回りました。

そしたら、ついに写真とれましたよ。ポコさん。ポコはチューク語でサメのこと。



なかなかでかいポコちゃんでした。
最後はヤップ隊と記念写真。

まーたー、あーうー、ひまでー。

2011年8月18日木曜日

授業参観。

今日は授業参観があった。といってもヤップの協力隊員2人とポンペイのシニアボランティアとその奥さんが来チュー(チュークに来ることをこう言うらしい)ということで学校まで遊びに来てくれたのである。前日に突然言われたのでもちろん特別な授業を準備することなど出来ず、素の授業を見てもらうハメになりました。授業をスタートしてちょうど約一週間でまさかの四人ものベテラン隊員相手に公開授業どころかここまでくると公開処刑。完璧に上手く流せたとは言えないものの、とりあえず現地の小学校の雰囲気を感じていただけたならチューク隊員冥利に尽きますね。

そのあと、学校の許可をとり早上がりし、ナビゲータ-(?)として島内の主要観光スポットを一緒にまわったのですが、他州隊員が回る場所場所でやたらと驚いてくれる訳ですよ。膝丈まで水がたまっている道路だとか、必要以上にじとじと見てくる島民だとか、まあ何に感動していたのかもこちらとしては把握できてないぐらいいちいちリアクションがあるわけですね。でもそういわれてみれば、ほんの一ヶ月ちょっと前までそうだったのかなぁとか思う自分がいたりして。ほんとね、何もかもがなんじゃこらーと思っていたんですよ、最初の頃。でも、もうじゃあそんな心動く瞬間はないの?と問われれば、一ヶ月以上滞在してるし、もうさすがにびっくりすることはないよなーとか思っていてもまだ何かあるのがこのチューク。良くも悪くも、まあ良い部分はほとんどないですけど底が知れない島です。

ただ、ほんとに任地がこの島でよかったなと思います。
電気ないし、ゴミだらけやし、人間がせこいやつばっかりやし、そもそも怠け者だらけやけど。
教育も成り立ってなければ、警察も機能してないし、耳を疑うような最低な噂話しか聞かへんけど。
食べることばっかり考えてて、粗野で、血の気が多くて、自制心のかけらもない民族やけど。

書けばきりがないぐらい最低な島なんですけどね。
じゃあ、なんでそこでよかったん?と聞かれたら答えに詰まるのですが。
もし、選択権があったとして状況を全て知っていてもここを選んだの?と聞かれたらもはやどう答えるか自分には分からないのですが。

でも、ここ以外じゃなかったらあかん理由がないわけです。
だって、ここそんな全否定せなあかんほど全てにおいて悪くないもん。

日本で自分が生きてきたこの二十数年間。
この二十数年間で出来上がった素っ裸の自分が何が出来るのかというのを試すのにこれほどいい場所はないと思うんですよ。
言葉も違う、考え方も違う、何にもない、全て一から、いやゼロから、いやいやマイナスから。
だから正直、何も出来なくてもいいんだろうな、しかたないんだろうなとは思うんですけどね。
でも、そんな状況でも意外と何か出来るわけですよ。

その出来た何かが素っ裸の自分なのかなぁ。なんて書いてたらまるで自分探ししてる中学生みたいで恥ずかしいですね。

今日の写真は我が家の近く、ピシピシでの一枚。ポンペイ、ヤップ隊員と。


あと、ステイ先のママが最近毎日弁当を作ってくれる様になりました。



ソーセージしか入ってないけど、まあ日の丸弁当の友達みたいなもんです。幸せ!幸せ!
Kinisou mama!!!!

2011年8月15日月曜日

第七週目。(戦争とチューク)


暑中お見舞い申し上げます。
第七週目突入、日本離れてだと第八週目、早二ヶ月が経とうとしています。この調子だと二年はすぐ終わりそうです。

この土曜日に山に登ってきました。下から見たらそんなに険しくない山だったからどうせ楽勝だろうと登りだしたものの、そんなに易しいもんではありませんでした。山に入るとチュークの子どもの能力は8倍ぐらいに伸びます。道らしい道はほとんどないのに、ずんずんと大きなナイフを片手に彼らは道を切り開いていきます。彼らは完全に道を体で覚えているから何の迷いもなくどんどん奥へ奥へ。森を駆け巡る彼らの姿はまるでロビンフッド!



一方、自分はと言うとぬかるんでいる斜面では盛大に滑るし、落とし穴みたいになってるところに見事にホールインワンしてしまうし、本当に泣きそうになりながら足を進めたのです。でも、危ない場所では、小学校3年生ぐらいのチビが何度も手を取り足を取り助けてくれたので無事に目的地へ到着。


そう、目的地はここ、防空壕。
こちらでは、今でもボークーゴーって言えば通じます。
防空壕は自分が想像していたよりも大きな大きな穴でした。穴と穴は内部でつながっており、大きな大きな暗い穴を抜けると今でも砲台がしっかりと原型をとどめています。
一台、二台。大きな穴にそれぞれ設置されています。



土曜日は13日、お盆真っ最中。なんだか難しいことを子どもたちに言ってしまいそうになったのですが、ケタケタと笑いながら砲台の上によじのぼる子どもたちを見て、辛気くさい話をするのはやめました。多分この地で散っていった日本の兵隊さんたちが欲しかったのはこんな日常だったんじゃないかと思うのです。いつか戦争が終わって、日本に帰ったら自分の子どもや家族とたわいのない話で盛り上がって、飯を腹一杯くって、笑って過ごすのを夢見ていたただの何処にでもいるお父さんであり、ただの兄ちゃんだったんでしょう。家族が好きで、だから上から言われるままに国を守ろうと必死になって、家族や兄弟、好きな人や子どもの写真を握りしめてまさに今自分が立っているこの場所で死んでいった人がいる。そんなことを考えていたらどうしようもなく切なくなってこっそり涙が流れました。真っ暗な防空壕の中で、だれも気づかないぐらいの音で手を合わせて「ありがとうございました」と。

山頂は草っ原になっていました。服を脱ぎ旗にして振り回す子ども。大人げなく走り回る自分。





やっぱりみんな揃ってケラケラと笑っています。


このかつて激戦区であったチュークで子どもが砲台をおもちゃにして遊んでいる姿を見ているとしたら、きっと彼らは笑っていると思うのです。
一度は火の海になったこの島で子どもが今はもう楽しそうに走り回っている。

戦争は美化してはいけないと思うし、確かに間違っていたのです。
ただ「日本は悪いことをしました」と卑屈になって全てにフタをしてしまうこともいけないと思うし、それもまた間違っていると思うのです。
私たちは日本が何をしていたのか、何をしようとしていたのかをもっと知る必要があるし、そうする義務があると思うのです。

ここに来てからある程度年配の現地人が口を揃えて言う言葉。

「日本が統治していた時代はよかった。」
「彼らは私たちと一緒に汗を流して働いてくれた。」
「ものを教えてくれた、働き方をおしえてくれた。」

「アメリカが統治するようになってこの国は変わってしまった。」

あの時代の日本とは何だったんでしょう。

「俺の名字は日本人の名前なんだぜ!曾お祖父ちゃんは日本人なんだ!」
「私の名前は日本語で書いたらどうかくの?」

とてもとても日本が大好きなチューク人。驚くほど日本びいきです。
さて、日本とは何なのでしょう。

終戦記念日の今日は慰霊碑の前にJICA有志で集まって黙祷を捧げました。



アホな話しか基本しないし、特段真面目に話し合わないチュークメンバーですが、この特殊な環境ゆえおそらくぞれぞれに思うことはあるのでしょう。

Sipwe iotek ngeni kinamwe, pwe sipwe oput maun.
(平和の為に祈りましょう、戦争はだれも望んでいないから。)

2011年8月13日土曜日

ほうれん草に感じる愛情。

うちの学校には給食みたいなシステムは存在しておらず、弁当を持ってくるか、スナックバーに行くか、行商にくる弁当屋で弁当を買うかをします。食事の時間に子どもの家から持ってきた弁当を見て回るとすべからく悲惨なことになっています。

米の上にスパムとウインナーが乗っていてその上からケチャップがぶっかけられています。たまたまその子だけかなーと思ってクラスをぐるっと回って一通りチェックしてみるとほとんどみんな同じものを食っています。容器の中に缶詰の肉とご飯。ちなみにスナックバーはご飯としては唐辛子味のラーメンしか扱っていないし他は二種類ぐらいのお菓子を置いているだけ、弁当屋の弁当もご飯の上に、スパムとものっすごい薄い卵焼きがのっかっているだけです。

で、ふと思い出したのが子どもの時にオカンが作ってくれてた弁当。
隅っこには毎回ほうれん草のおひたしが入っていたんですよね。あれが憎かった訳ですよ。まさに憎悪の対象でした。
「なんでオカンこんなんいっつも入れんねん!俺はハンバーグとウィンナーと卵が好きやねん!」

ほんで、もう一回チュークの子どものお弁当を覗き込む訳なんです。
あー!そうか!

一つに肉とご飯だけの食事が好きなんですよ。うちのステイ先の家族も大好きです。

自分の弟なんて、
「ハワイでは野菜をいっぱい食べさせられた!ここでは肉とご飯しか食わんでええから天国や!!」
ってこのまえゆうてたぐらいですから。

そして、もう一度あーそうか!
お母さんも子どもが好きなんです。
そこは日本と同じ。
子どもが好きだから、ほうれん草を入れる訳ですね。健康のために。
でも、チュークでは子どもが好きだから、ウィンナーしか入れない訳です。好きな子どもに好きなもんを食わせてあげたいわけです。
栄養学みたいなのを知らないから。

だから、うちのステイ先のママなんかも少しそれぞれの野菜の効果を教えてあげて、それが息子にどう影響するのかとか夫にどう影響するのかを教えてあげるとちゃんと野菜をとらそうと工夫をはじめたんだと思うのです。

ほうれん草の中にも親の愛みたいなんが感じられるんだなぁ。
ちなみに、チュークでほうれん草と言うと空芯菜のことを指します。
さらに、チュークではセリというとこれまた空芯菜のことを指します。


少し母親のありがたみを知ったボクは今日、せっせとカレーを作りました。
チュークに来て初の料理。
実家のオカンに送ってもらったカレーのルーで野菜の使い方を実演。
これならみんなの苦手な人参も食べれちゃいます。
また、うちに泊まりに来ていた先輩隊員も自慢の野菜炒めで野菜の美味さをうちの家族に見せつけていました。

ほら、なかなかいい写真。食事はコミュニケーション。
みんなで揃って食べるのって大事ですね。


2011年8月12日金曜日

にこにこめらめら!

学校にいったら副校長から担任がいないから授業をフルでするようにと言われた。もちろんホームルームやらなにやらも全部するハメになりました。当日になって外人相手に突然さらりと言うからすごいよね。だから今日はほぼ一日まるまる話しっぱなし立ちっぱなし。頭がパンクしそうでした。いいえ、実にパンクしました。

しかし、怪我の功名とでもいいましょうか。三日目にしてようやく生徒のツボが少しだけ分かるようになりました。どうやって乗っけたらええのかがなんとなくね。低学年の子どもなので、ものすごく素直で、本当にこちらの思い描いた通りのリアクションをしてくれます。

せっせと用意したテストの成績が壊滅状態でしたがそんなことどうでもよくなるぐらいに今日の授業は楽しかった。まあ、テストといっても自分が教えてきた訳じゃないし去年までの先生が何をしていたのかをはかるためのテストだから自分がショックを受ける理由なんてどこにもないのです。二年後(一年後?)にこのテストを100点とらすつもりで精進します。

強制せずに、学級全体が自分の思い描いている通りに動いたときの感動こそが教師の醍醐味。
発問を工夫して、システムをもうちょっと整えてやればチューク語の壁をなんとか乗り越えられそうな気が少しだけしました。

今日のおまけの写真。
放課後の教室でせっせとつくったニコメラカード。
注目すべきはちょんまげ!
子どもに言葉なしでこっちの感情を伝える方法としてアネキの意見を参考につくってみた。
こちらは来週から利用する予定です。

ニコニコサイド

メラメラサイド

2011年8月11日木曜日

ツクレルモノダラケの島。

うちのクラスは教科書がない!
低学年の子どもには英語は通じない!
だいいち英語での教え方もよくわかってない!
いや、むしろ日本語でも2、3年生に教えたこととかない!
あ、そもそも小学校の教員経験ない!
それなのに、現地語でしかしゃべれない!
そして、この世界にチューク語で書かれた算数の教科書なんて存在していない!

ない!ない!ない!ない!ない!

それでもここには学校があるし、教育をしている訳だから普通に考えたら何か教えるためのプリントなり、教科書みたいなものなり、それがなかったとしても算数のその土地の教え方みたいなのはありそうなものですがここには一切が存在していないのです。(去年まで何をしていたの?なんてのは愚問。)
誰も知らないこと誰もしていなかったことをする訳ですね。
これぞまさに文字通りの前人未踏、空前絶後。

とりあえずいろいろ考えた末、現地語の学習プリントを作ってみた。

理由は、大きく5つ。
1 授業が30分しかないから。
(ただでさえ現地語が分からずまごつくので、30分なんてすぐに過ぎてしまいます。)
2 子どもはノートを取るのに慣れていないから。
(そもそもノートは一冊しかないからぐちゃぐちゃ。教科を分けて書くという発想そのものがない。)
3 二年後には自分の使った教材を学校に残していくことが出来るから。
(二年後自分が何も具体物を残さずに帰ったらすぐに元に戻ることが容易に予想される。)
4 授業っていうのはこうやって準備をしてから教室にいくもんなんだよ!っていう現地教員への無言のアピール。
(現地教員はほとんどが授業準備らしいことをしていません。)
5 暇だから。
(結構こういうのが好きなんです。)

目標は一日一枚。
誰もが使いやすいものにする。
毎回のプリントの目的(めあて)が明確なものをつくる。
余力のあるかぎり、どうやってこのプリントを使って教えるのか(教えたのか)を記録として残す。

ないものだらけのこの島で、ないものを数えたらキリがないので。
「ないもの」=「つくれるもの」と脳内変換して、この2年間でつくれる限りつくってやろうと思います。

この島にはつくれるものが溢れかえっています!
つくれるものだらけの島!
創造欲を駆り立てるなんていい響き!


おまけの写真は、今日のランチ。
学校を歩いていたら次々に子どもが何かをくれます。
今日の一番はゆで卵!!!(ラーメンの中に入っています)

2011年8月10日水曜日

初授業。


学校はちょっとした丘の上にありまして、丘を下るとお店があるんです。村の雑貨屋さんってところかな。そこのおばちゃんに「何年チュークに住んでるの?チューク語でいつも買い物してくれるけど。なんでしゃべれるの?」と言われて調子に乗ったのはついこの月曜日のこと。

そして、自分のチューク語力の足りなさに愕然としたのは今日のこと。三日天下とはこのことか。チューク語だけで喋るという壁。これは自分が予想してたより遥かに険しい道のようです。

自分の担当になった二、三年生は英語がほとんど理解できません。家の近所の子どもとしゃべっとる気分。

二年生の教室
名前、住んどる場所、日本のどこから来たか、チュークに何をしにきたか…などなど。
自己紹介を一通り住ませたあと、

オムサノ ティピス ウセ シレイ フォッセン チューク
ワー エキス エキス ウェウェ フォッセン チューク
ンゲ ワー シレイ イファ ウスム アイティケミ
オウセ モチェン アイテイ フォッセン チューク
ワー チョック キャオ フォッセン チューク
プェ ワー モチェン シプェ チエチ
(要約すると、仲良くしたいからチューク語教えてね!ってとこ)

と言ったが最後、授業中はもちろん、休み時間も飯食ってても放課後もチューク語。

休み時間終了後の点呼
ただ、子どもが必死でボクとコミュニケーションとりたがっているのはひしひしと伝わってくるのでほんまにちょっとチューク語マスターしたろうと思います。

語学を置いておいたとしても、二、三年生にどうやって算数教えたらええかも分からんというのに。しょっぱなからスランプ陥っています。
まあ語学の壁だけは焦ってどうにかなるもんでもなし、最初のひと月ぐらいは様子見がてら教室のルール作りに勤しむ予定です。

小さな島なので、本当に噂の流れるのが早く、こちらが全然しらない現地人からも最近はよく、
「お、俺お前しってるで!コータイやろ?チューク語しゃべれるってきいてるで!」
と切り出されるようになりました。

いつでもどこでもガツガツとチューク語で話しかけてくれるのはほんとにうれしいんですが、そんなしゃべれるってゆってもらえるほどしゃべれないですから。

あー、だぁー!スランプ!

2011年8月8日月曜日

第六週目。

六週目に突入しました。先週に感じていたスランプはすっきりと脱し、相変わらず機嫌良く生活しています。書きたいことが山のように積もってきたんですが、今日はどうしようもなく暑いので今度にします。

文字に変えまして写真でどうぞ。
平安丸とゼロ戦それに一式陸攻です。
ゼロ戦はシュノーケル、それ以外はダイビング。

平安丸。


ヤカンにも海軍印が入っています。


マスト。


これが船内への入り口。


魚雷倉庫。内部なので暗いです。



穴から穴へ移動していきます。ほんとに真っ暗。


お皿。


回廊かな?


巨大スクリュー。


船に見とれてふと顔をあげるとでっかい魚影が見えました。
ものすごい離れてたのにこのでかさ。


こちら、船の上で興奮して飛び込む関西のオッサン。


ゼロ戦、上から見たらひっくり返っているもののはっきり形が分かります。


素潜りで近づいていくとこんな感じ。



一式陸攻とよばれる大日本帝国軍の爆撃機。


少し離れた場所に転がっていた二つのエンジン。




先端部は無惨なことになってしまっていました。


先端のなくなってしまった所から内部に侵入し、


この側面の穴から外にでます。



これも離れた所に飛んでいってしまっていたトイレ。


無線機。


コクピット。


この日が6日だったのもあって、ほんとうにいろんなことを考えさせられた一日でした。チュークに来てから戦争のことを考えない日は正直一日もないです。明日は長崎に原爆が投下された日、そして一週間後は日本が降伏をした日。

日本にとって戦争はなんだったんだろうか。そして、今なぜ日本はこうも卑屈な民族になってしまったのか。
今夜暑くなかったらチュークで一ヶ月生活して感じた自分の思いをまとめます。