2011年7月29日金曜日

モガ文化。

ついに、努力が実りました。
野菜の大切さを伝え続けて約一ヶ月、やっとやっとこんなご飯が出ました。

これはもう感動です。

メイ オッチ!!ママ!(ママ!最高!!)
ママをべた褒めすると、ポーズを決めてくれました。
実は他の家族に内緒で、おかあさんに「お父さんの健康が心配なんだ!」「お父さんに野菜たべさせなきゃだめ!」と毎日言い続けていたのです。いやー、愛する夫のために食生活を変えるママ。なかなか泣かせてくれるじゃぁないですか!
それではここで我が家の食生活の変遷を振り返ってみましょう。
これがベースになっていた我が家の食卓。ラーメンライス+ラーメン。まさかの炭水化物×3。らーめん写真に写る自分の表情も悲しげですね。
アップで見てみましょう、とてもかわいそうです。
野菜を食べなきゃだめだと伝えた次の日!なんとこんなん出てきました!
なななんと、ゴーヤ&ポーク!この時点でチュークでは革命です。
べた褒めすると、翌日も!ゴーヤが!ゴーヤ&チキン!!
この澄んだスープはほんとにうまかった!博多水炊きみたいな感じ。 
が!!!!翌日、何も言わなかったらこんなことになりました。
チョンモン チュコ!!!(大量のチキン!)


さらに大量の魚!

   
まあ、正直我が家の魚もチキンもめちゃめちゃ美味いからいいんですけどね。
チュークではめずらしく、うちの家族は料理の仕方を知っているのです。
チキンなんてケンタッキーより美味いです。



ただ、残念ながら、小さい魚は保存のために大量の塩に漬かっているので、ちょっと食べるのは難しいです。
ウセ サーリ クックン イーク!ワ サーリ ワッテ イーク!
(小さい魚は嫌い、おっきいのがいい!)
ってわがままいったら、小さいのは出てこなくなりました。


しかし、おいしいからといってフライドチキンやバーベキューチキンや脂っこい魚ばっかり食べていてはだめなので、思い切って言いました。

ラーメンは体に悪いし、ラーメンをスープと呼ぶのをやめなさいと。日本ではラーメンは時間がないときに仕方なく食べるだけで、そのときも野菜いっぱいいれるんだと。スープは自分で出汁を作って、具を何かいれるのだと。

そしたら、その日にスープがでてきました。


うほ、カニのココナッツミルクスープ!ちなみに、このカニは陸のカニです。なかなかクリーミーでいいスープ。
この日もちろんお母さんをべた褒めしてこれで野菜もあったらもう最高だと言うと翌日についに野菜入りのスープが!


これなんかなかなかいけてるでしょ。
でも、最後の一押しで、お母さんに野菜の中でも緑黄色野菜が一番体にいいといったら、最初にうpしたにんじん入りのチキンスープになったのです。めでたしめでたし。

ちなみに昨日からお父さんと「ノーラーメン、ノーシュガー、エキス(ちょっとだけ)ミート、チョンモン(いっぱい)ヤサイ」をスローガンに生活習慣の改善に取り組んでいます。
私たちがコータイの言うことを素直に受け入れているのはコータイが私たちの文化を受け入れているからだみたいなことをゆうてくれたのは素直にうれしかったですね。

こっから先はローカルフードのご紹介。

これが最強(凶?)のローカルフードのオポット。パンの実をパウンディングして1年から2年醗酵させたもの。ものすごいニオイがするのと、すっごいスッパイです。普通の日本人が食うと確実に腹壊します。ちなみに自分はトライしましたが、現隊員の中で一番チュークに馴染んでいる人すら避けて通った道らしいです。たとえるなら外人にとっての納豆みたいなもん。


オポットほどスッパクないけれど、パンの実を1ヶ月とか2ヶ月醗酵させたものがこれ、コーン。これもなかなか強烈でした。


ほんでこっちはプラと呼ばれるパウンディングしたタロです。


これは、バナナだけどイモみたいな味がするバナナ。料理として出てきます。


これはマンゴー。緑のスッパイマンゴーをリンゴの丸かじりみたいな感じでかじって食べます。 


ここからは特別行事編。
これはゼビア高校でパーティーがあったときにでた食事。


前日に豚を潰したらしく、ポークが大量に出たのですが、よくみてください。そうです、毛が生えています。口当たりがとても悪くゾウの皮膚みたいな感じ。この豚の角煮みたいなんはなかなかアンヌー(おいしい)。


これは葬式のときにでた食事。


ほんでこっちは結婚式。とりあえず、葬式やら結婚式ってゆうたびにみんなで食べものを持ち寄ってこんな感じの弁当をつくって食べます。


 アー ウェシ!(おしまい!)

日本から救援物資が届きました。オカンありがとー!
そして日本のみなさん、給料日には郵便局にいってボクに何かを送りましょう!

   
毎回乱文ですいません。停電にまるまでの限られた時間で文章を編集しているのでなかなか推敲らしい推敲ができない現状です。
ちなみに、次回予告!!
次回はみんなが興味津々であろう、チューク人のラブアフェアーについてアナウンスする予定です。
乞うご期待!

2011年7月26日火曜日

第四週目(良くも悪くもチューク)

ポナペに滞在していた期間も含めると、すでに日本を離れて一ヶ月が過ぎた。チューク生活四週目である。ジャパンシックを感じつつも、こちらの生活に対して少し慣れが出てきた。ぼちぼち何かしらトラブりそうなので、ここいらでもっかい気を締めようと思います。

それはそうと、こっそりちょこちょこ自習してたらチューク語で九九が全部言えるようになりました。ステイ先の子どもに掛け算を教えるためにね。会話に関しても相手が必死で伝えようとしてくれたら、簡単な文だけなら理解できるようになってきました。まあ日本の英語教育でゆうたらしょせん中1レベルですね。
ミクロネシアでは、英語が公用語とはいえ、英語ができない人は少なくはないです。特に小さな子どもや低所得な人、外から来ている人は英語がけっこうな割合で駄目。また、たとえ英語がペラペラな人だったとしても、日常生活で英語を使う人なんていないから、結局耳にするのはほとんどチューク語。だって、日本でも関西人がわざわざ日常生活で標準語使わないでしょ。だから、密なコミュニケーションのためには現地語は必須といえるのです。
しかし、三週間を過ぎ、少しずつチューク語が頭に入ってくる同時に、この島でチューク語を理解できるようになることは一概にいいことばかりではないことを実感してきました。チュークに30年以上住んでいる宝島レストランのオーナーが言っていた「俺はここでも日本語をしゃべるよ。俺は英語もチューク語も忘れることにした、しゃべれても何もいいことがない。彼らは何かを要求してくるばっかりだ。」というのも今なら分かるようなきがする。

先週金曜日、通勤中に20代の男とすれ違った。相手が明らかに不審な人間でない限りすれ違う人全員に挨拶をすることにしている。

ネソラニム!(おはよう!)
僕が元気よく挨拶をすると、彼はこちらに寄ってきた。

ワー モチェン モーリ(お金ちょうだい)
コセ モチェン(お願い)

手を出してくる彼。たぶん一週間前なら聞き取れなかったんだけど、残念ながら聞き取れてしまうようになった。

ウセ ウェウェ フォッセン チューク(チューク語は理解できないんだ)
ゲレーレ(ばいばい)

彼は着いてきて、
ギブミー ワンダラー(1ドルくれ)
と英語に切り替えて聞いてきた。
少し英語で話しかけたがほとんど理解できないようだったのでどうやらチューク語しかしゃべれないようである。

ウセ オール(持ってない)

そういうと一瞬で彼は帰っていった。

1ドルだったり、25セントだったり毎回そこは違うけど、これはよくある光景。
パン食べながら歩いてて、誰かがパン頂戴ってゆうてくるなら、喜んではんぶんこしますよ。だって、それがここの文化だから。でもお金はちょっと違う。実際、現地人に聞くとそれは彼らの生活のためではなく(シェア文化が根付いているここでは飢え死にするようなことはまずない)、そうやって集めた金でお酒を買うか、大麻を買うのである。そして、またお酒と大麻が切れると道をふらふら歩いて金を集める。その繰り返し。ほんで飲みすぎた挙句、時には誰かを怪我させたり、もの盗んだり。

全然英語が駄目な子どもに関しても、「ちょっとそれ使わして」「ちょっとそれ貸して」だけはばっちり英語を知っていたりして時々ゲンナリする。返事を英語でしてもたいてい理解してくれない。

シェア文化は好きなんだけどなぁ、所々ちょっと違う気がするんだなぁ。何かを共有するのはいいと思うんだけど、依存しちゃうと徐々に駄目になっていく。

でも、一方ではしかたないんかもしれんなーとも思うのです。ここには初等教育というものが皆無といっても過言ではないですからほとんどの人間が躾らしい躾を受けずに育っているし、その上に仕事もなければ、娯楽もない。ただただ延々と時間だけがあるのです。みんな暇で暇でしかたないんです。

やっぱりこの島は憎めないですよ。非常に原始的ですけど。
昨日の夜も、みんなが「教会」と呼ぶ近所のプロテスタントの人の集会(毎晩、うちのホストファザーが人を集めて庭で椅子を並べてしている)がありまして、みんなが歌を歌っている真っ最中にチューク恒例の停電になったわけです。

真っ暗闇の中、澄んだ歌声が響いて、空には天然のプラネタリウム。ここは海洋性熱帯気候のため、雲ひとつない空というのは存在せず、なかなかクリアな星が見れません。実は、初めてみたチュークの澄んだ星空。島内全域が一斉に停電するので、ほんとうに真っ暗闇の中の星空。

フフフフ
ハハハハ

誰かが笑い出すと一斉にみんな笑い出しました。

ガハハハハ

いい島じゃぁないですか。

いまんとこ、とりあえず出会ったチューク人にはほとんど、言っています。

ワ サーリ チューク!(ボクはチューク好きだよ!)

2011年7月22日金曜日

サアモガ。

フィッテ、サア モガ!(ちょっと、ご飯食べていきなさい!)
誰か人を見つけると、呼び止めてご飯を食べるように言ってきます。

キリソウ、ワー ムット!(ありがとう、お腹いっぱい!)
そういわないと、是が非でも何か食わされます。

とりあえず、ひたすらずっと食べ続けるのがチューキーズカスタム。
最近はステイ先の家族に対して食生活について啓蒙活動をしています。

こんな感じで…

帰宅するとテンプラ(チュークでドーナツのことをテンプラと言う)を食べているママと親戚のおばちゃん。二人は声を合わせて言ってくるわけです。
コータイ!フィッテ、サア モガ テンプラ!(チュークではコーダイとコータイの発音の区別はない)
しかし、ボクは負けません。
ウセ モチェン モガ テンプラ!(ドーナツは食べたくない!)
コセ チョック モガ チョンモン テンプラ!(そんなに大量にドーナツを食べてはいけない!)

何個食べたんや!って聞くと、ニヤニヤしながら親戚のおばちゃんは「フルー」っていいながらピースサイン。 フルーは2、つまり二個もすでにドーナツを食うてるおばちゃん。
そんな食ったらあかんよねってママに同意を求めると、なんとママは「ルエール」とニコニコしながらダブルピースをしとるわけです。ルエールは4、つまり四個のドーナツ。
さらに、ママは続けます。「調子がいい時はフィス(7個)は食べるよ」とな。

こちらの人は太ることが美しいという。チューク語でどういうかちょっと今忘れてしまいましたが、「君の足はマグロのようだ!」って言うのがここでの女性への最高のほめ言葉。そういわれると女性は大興奮してしまうようです。
だから、必死で太ろうとします。ご飯の上にわざわざ缶詰の残り油をかけて食うし、炭水化物+炭水化物な食事なんてごくごく普通です。ご飯の上にラーメンをかけて食べたりね。もちろんラーメンの中にはコンビーフとかツナ缶を油ごと入れるのでギトギトだったりします。
もうすべてが太るための食事。そしてその行き着く先が糖尿病で手足を切り落とさなくてはいけなかったりするわけです。

でも、一方日本やアメリカでは痩せることが美しいという。体を壊してまで痩せようとするのと、体を壊してまで太ろうとする根源は同じなんだろうなぁ。日本やアメリカでは雑誌だったり、テレビだったりがあおる流行としての体型へのあこがれであるだろうし、ここチュークのような閉ざされた空間では、男からの評価への執着や、母親や兄弟の体型に理想を抱いていたりいたりするわけです。

つまりは、一種の集団心理、強迫観念。流行へのあこがれなんだと思うのです。

健康であることが一番で、その後に初めて美しいだとか醜いだとかっていう価値観があるべきだと思うわけです。
健康的でニコニコしてる女性はみんな美しい、そんなふうな価値観が世界中に広まることを切に望みます。

2011年7月19日火曜日

第三週目(チューク初ダイブ)

チュークに着いて約三週間が過ぎた。健康上の不安は少しあるものの、ここでの生活にいまのところすごいストレスは感じない。チューク語のボキャブラリーも徐々に育ってきて、英語が全然通じない近所のチビとも楽しめるようになってきた。
サマースクール(夏の補習みたいなの)に参加しているものの、現段階では特に仕事らしい仕事はなく(たまにこない先生がいたら代打で授業するぐらい)のほほんと毎日を過ごしています。ちなみにチュークのスクールイヤーは夏休みを過ぎたらスタート、つまり8月に入学式やら始業式があって、五月に卒業式やら終業式があるのです。
現段階で、自分の受け持つ学年は「君次第」、カウンターパートも「君次第」、いつから授業を持つのかも「君次第」、どんな授業をするのかも「君次第」です。これは生徒に対しても同じで、あまり指導らしい指導はみられず、すべて「生徒次第」という感じ。そしてこれは残念ながら生徒の自主性を〜みたいないい話ではなく、どちらかというと悪い意味で放任主義のかおりがぷんぷんしています。まあ南国らしいっちゃ南国らしいのです。


この日曜日にポンペイ州から隊員が来ていたのでダイビングをしました。初のチュークダイブ、それも富士川丸。
ブランクが半年ほどあったので、最初は少しもたつきましたが波も穏やかで、最高のダイブ日和。

チュークが世界に誇る富士川丸、しかと見てきました。
いくつか写真ピックアップしておきます。




















あと、こっちは五星丸。富士川丸と比べると大分見劣りしますが、これもなかなかのもの。














いままで正直沈船なんか見てなにが楽しいんやろう、と思っていましたが、レックダイビングなめていました。スケールが違いすぎる。
しかし、時々涙が出そうになる瞬間があるのにやはり自分が日本人なんだなと改めて感じたチューク初ダイブでした。