それはそうと、こっそりちょこちょこ自習してたらチューク語で九九が全部言えるようになりました。ステイ先の子どもに掛け算を教えるためにね。会話に関しても相手が必死で伝えようとしてくれたら、簡単な文だけなら理解できるようになってきました。まあ日本の英語教育でゆうたらしょせん中1レベルですね。
ミクロネシアでは、英語が公用語とはいえ、英語ができない人は少なくはないです。特に小さな子どもや低所得な人、外から来ている人は英語がけっこうな割合で駄目。また、たとえ英語がペラペラな人だったとしても、日常生活で英語を使う人なんていないから、結局耳にするのはほとんどチューク語。だって、日本でも関西人がわざわざ日常生活で標準語使わないでしょ。だから、密なコミュニケーションのためには現地語は必須といえるのです。
しかし、三週間を過ぎ、少しずつチューク語が頭に入ってくる同時に、この島でチューク語を理解できるようになることは一概にいいことばかりではないことを実感してきました。チュークに30年以上住んでいる宝島レストランのオーナーが言っていた「俺はここでも日本語をしゃべるよ。俺は英語もチューク語も忘れることにした、しゃべれても何もいいことがない。彼らは何かを要求してくるばっかりだ。」というのも今なら分かるようなきがする。
先週金曜日、通勤中に20代の男とすれ違った。相手が明らかに不審な人間でない限りすれ違う人全員に挨拶をすることにしている。
ネソラニム!(おはよう!)
僕が元気よく挨拶をすると、彼はこちらに寄ってきた。
ワー モチェン モーリ(お金ちょうだい)
コセ モチェン(お願い)
手を出してくる彼。たぶん一週間前なら聞き取れなかったんだけど、残念ながら聞き取れてしまうようになった。
ウセ ウェウェ フォッセン チューク(チューク語は理解できないんだ)
ゲレーレ(ばいばい)
彼は着いてきて、
ギブミー ワンダラー(1ドルくれ)
と英語に切り替えて聞いてきた。
少し英語で話しかけたがほとんど理解できないようだったのでどうやらチューク語しかしゃべれないようである。
ウセ オール(持ってない)
そういうと一瞬で彼は帰っていった。
1ドルだったり、25セントだったり毎回そこは違うけど、これはよくある光景。
パン食べながら歩いてて、誰かがパン頂戴ってゆうてくるなら、喜んではんぶんこしますよ。だって、それがここの文化だから。でもお金はちょっと違う。実際、現地人に聞くとそれは彼らの生活のためではなく(シェア文化が根付いているここでは飢え死にするようなことはまずない)、そうやって集めた金でお酒を買うか、大麻を買うのである。そして、またお酒と大麻が切れると道をふらふら歩いて金を集める。その繰り返し。ほんで飲みすぎた挙句、時には誰かを怪我させたり、もの盗んだり。
全然英語が駄目な子どもに関しても、「ちょっとそれ使わして」「ちょっとそれ貸して」だけはばっちり英語を知っていたりして時々ゲンナリする。返事を英語でしてもたいてい理解してくれない。
シェア文化は好きなんだけどなぁ、所々ちょっと違う気がするんだなぁ。何かを共有するのはいいと思うんだけど、依存しちゃうと徐々に駄目になっていく。
でも、一方ではしかたないんかもしれんなーとも思うのです。ここには初等教育というものが皆無といっても過言ではないですからほとんどの人間が躾らしい躾を受けずに育っているし、その上に仕事もなければ、娯楽もない。ただただ延々と時間だけがあるのです。みんな暇で暇でしかたないんです。
やっぱりこの島は憎めないですよ。非常に原始的ですけど。
昨日の夜も、みんなが「教会」と呼ぶ近所のプロテスタントの人の集会(毎晩、うちのホストファザーが人を集めて庭で椅子を並べてしている)がありまして、みんなが歌を歌っている真っ最中にチューク恒例の停電になったわけです。
真っ暗闇の中、澄んだ歌声が響いて、空には天然のプラネタリウム。ここは海洋性熱帯気候のため、雲ひとつない空というのは存在せず、なかなかクリアな星が見れません。実は、初めてみたチュークの澄んだ星空。島内全域が一斉に停電するので、ほんとうに真っ暗闇の中の星空。
フフフフ
ハハハハ
誰かが笑い出すと一斉にみんな笑い出しました。
ガハハハハ
いい島じゃぁないですか。
いまんとこ、とりあえず出会ったチューク人にはほとんど、言っています。
ワ サーリ チューク!(ボクはチューク好きだよ!)
なるほどの連続です。勉強になります!
返信削除ただ時間だけが有り余っている所。現地のニーズって何なんだろう?
開発ってほんとに奥深くて難しいですね。
>ささまい
返信削除今度、JICAに志願しよかなーってひと対象の記事もかこかなーとおもっとー。
とりあえず、まあええ経験にはなるわー。