2013年6月26日水曜日

お世話になりました。

任地を出る前に何度となく更新しようとしたのですが通信事情が悪く、はたまたなかなか帰国前というのは忙しく、日本に帰って来てからの更新になってしまいました。最後は在外研修でパラオに行ったり、ウクレレを片手に島中ぐるぐる挨拶回りをしたりと忙しかったのですが、気づけば日本です。

チュークからポンペイへと最終報告のために発つ時、空港で号泣してしまいました。卒業式の類では泣いた事のなかった私にとって今回の別れに際してとめどなく流れる涙は意外なもので、自分にとってこの二年間のチュークでの生活が特別な時間だったのだと改めて実感させられました。


チュークを去る時に歌った歌(原曲:お世話になりました・井上順)

【日本語】
もうすぐしたらこの島を ぼくは出てゆくのです
チュークのみなさん お世話になりました
あなたの優しさを ぼくは忘れないでしょう
元気でいてください お世話になりました

【チューク語】
Ekiseno upwene feino seni ei fonu, chuuk
Menisin chon chuuk, kinisou chapur
Use tongeni monuki ami aninisoch me aramasoch
Tumunukemi, kinisou Osewani narimashita

チューク州滞在中はみなさん大変お世話になりました。直接的にあるいは間接的にみなさんの応援や支援があったからこそのこの二年間だったなと帰国した今実感しています。帰国してまだ一週間経っていませんが、今現在として思うことは日本は改めていいところだなってことぐらいかな。でも、チュークにいた二年間、喉から手が出るぐらい渇望していた日本的なるものが全て手に入るようになった今、今度は逆にチュークでの生活のありがたさが実感できるようになりました。日本で簡単に手に入るものはチュークではほとんど手に入らなかったけど、チュークであたりまえのように手に入っていたものが日本では貴重なものなんですね。それは物質的なものでも精神的なものでも同じ事がいえそうです。

ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの

帰国してすぐなのに、チュークに対してこんな郷愁を感じるとは、気づけばもうチュークも私にとってひとつの「ふるさと」になっていたようです。そして、チュークにいる間に絶えず頭の中から離れなかった日本もいわずもがな私にとって強く「ふるさと」なようです。

Ua fakkun positi kemi......

2013年5月9日木曜日

桑港(サンフランシスコ)丸。

昨日はテスト前の準備で授業がなかったので、ついに50メートル超の水深に鎮座する「サンフランシスコ丸」に潜ってきました。(写真等は後半にありますので、最初の文字はいらなかったら読み飛ばしてください)

赴任してからいつかはサンフランシスコ丸に…ともはや憧れに近いものを持っていたこの沈船。この沈船は何で有名かというと、その深度もさることながら甲板上に今も原型をとどめて残る戦車(95式?)ですね。しかも三台もの戦車がならぶすぐ傍にはトラックも眠っているとのこと。あと、自分が使っているダイブショップのイントラが一番好きなのは意外にも戦車やトラックはそっちのけで船首にある大砲だとのこと。
なんてことを聞いていたらこの二年間ずっとこのサンフランシスコ丸が気になって気になってしかたなかった訳です。しかしながら水深50メートル超で超上級者向きのこのポイントはなかなか潜る機会に恵まれず。あきらめようかと思っていた矢先に「もう日本に帰らなきゃいけないからどうしても行きたい」との旨をダイブショップに伝えるとまさかの急速でアレンジをしてくれたのです。

結果を先に言わせてもらうと、今回のダイビング。チュークに赴任して一番の素晴らしさでした。今まで「最初の感動が全てだろうな…最初に潜った時の富士川丸の衝撃を超えるものなんてないだろう…」なんて思っていたんです。ここにくるまでは日本の沖縄と海外に出た時にちょろっと潜っていただけの私にとってここチュークに眠る沈船の数々は毎回感動に値するものだったし、いままで退屈なダイビングというものは一度もなかったんです。でも、今回のそれは今までのものと全く別なるものでした。

前置きが長くなりましたが写真を交えながらサンフランシスコ丸を見ていきましょう。(初めてのポイントで緊張&心に余裕がなかったので写真はいまいちですいません…)

まず、何に感動したかというとこれです。他の沈船は20−30メートルあたりにあるのでエントリーの瞬間、あるいはポイントや海況次第では船上からでもその姿が分かるのですが、ここサンフランシスコは水深10−20メートルあたりまで潜行したところでぼんやりと姿を現します。そして、目に飛び込んできたサンフランシスコ丸の姿を見て鳥肌が立ちました。

見えますか?


写真のど真ん中あたり、ちょっと拡大してみます。


そう、マダラトビエイちゃん。しかも三匹も悠々と泳いでいるんです。(写真に入ったのは二匹のみ)
いかんせん水深があるため写真では青みがかかりまくっているのですが、実際にはもっと黒みを帯びていてその背中のスポットが美しく、巨大な沈船とのコントラストが幻想的でそれはそれは特別な空間でした。私たちが着底したときにはもう去ってしまったのですがそのマダラトビエイちゃんたちの去っていった先にはこれまた海の人気者がこちらをぼーっと見つめていたのです。


言わずと知れた超有名魚、ナポレオンちゃん。ナポレオンちゃんの下にあるのは戦車です。実は沈船ポイントでは(そもそもチュークではダイビング中に)マダラトビエイちゃんもナポレオンちゃんもあんまり見ないのでレアなんですな。

ちなみに、10メートルの水深では2気圧、30メートルの水深では4気圧、50メートルの水深では6気圧です。つまり、同じサイズのタンクを背負っていったとしたら、30メートルの水深では10メートルのところで吸える量の半分、50メートルの水深では三分の一しか吸えません。また、窒素の問題もあるので減圧症を予防するためにはこの50メートルの水深で過ごせる時間は12分間(もしくはエアーが半分を切るまで)というものすごく限られた時間しかないため、ナポレオンちゃんをおっかけて写真をとったりとかは出来ません。つまり、お魚さんたちの写真が遠くからの撮影になっちゃっているのにも意味があるのでございます。

エイじゃ!ナポレオンじゃ!なんて興奮していたらイントラが必至で指をさしているものに気づかずにいました。ものすごいでかい目標物なのに、視野に入っているのに気づかないなんて。完全に判断能力が低下している証拠ですかね。(水面下、水深が深くなればなるほど判断能力が低下していきます)

なんと、私が見逃していたのはコレです。そう、戦車。


こんなにでかくて、そのまんまの形をしているのに気づかなかった自分に驚きました。


逆のサイドには重なり合う二台の戦車があります。手前には朽ち果てたトラックがあるのが分かりますか。


手前のトラックだけを別アングルから。


デッキの下にもトラック。ハンドルがはっきり見えます。


戦車をもっと見ていたかったのですが、いかんせん12分間という限られた時間。イントラのお気に入りの船首に移動します。

確かに、すごい。富士川丸が有する大砲よりもっと重厚な造り。下の円盤状のもので方角を決めて発射するのでしょうか。


後ろを振り返ればマストがそびえたっていました。


マストに帆を巻き上げるウィンチかな。それとも碇用?
まだら模様の魚が群れていたのを撮影したら思いの外うまく撮れてお気に入りの一枚。


イントラのシンディさん。(イギリス人)


写真にあるように、小型のタンクを脇に抱えて一緒に潜ってくれるのでもしもの時のバックアップ用のエアも安心。また、船からももちろんバックアップ用のエアタンクをぶら下げてくれます。今まで私が利用してきたどのダイビングショップよりも安心感があります。ただ、それと引き換えに厳しいですので、ビシバシと怒られます。個人的には何も言わないダイビングショップは安全面でどうかなと思うので口うるさいぐらいが安心ですね。

エグジットして船に戻るとなんと我々の船の後ろにはぞろぞろと船が連なっていました。


これを見たイントラのシンディさんが「ごめんねー!今日のベストサンフランシスコは終わっちゃったぁ〜!エイにナポレオンに最高のビジビリティ!もう、君らにはどれも残ってないわよッ!」なんて吠えていました。でも、ほんとにそうだと思います。早起きしてよかった。

二本目は飽きるぐらい潜った富士川丸でしたが、「何か見たいものある?」と聞かれて「富士川は全部見たし…」なんて偉そうなことを言うと彼女に火がついたようで。

「知らない富士川を見せてあげる。」なんて。

エントリーからいきなり船底へ。こんなところに穴があったんですね。


同じ穴の内側からの写真、爆風のため内側に鉄板が曲がっているのが分かりますか。外から爆弾を打ち込まれたのが分かる一枚。


こっから先は、完全にもうテクニカルなダイビングで、写真を撮る余裕も撮れるほどの光量もなかったです。ただ、今まで潜った富士川で一番興奮しました。小さな窓一つ分ほどの隙間をぬって入り込んだ場所がすごい小さい小部屋で、その部屋の中も障害物だらけ。障害物のそれぞれが船の機材だったりするからいちいちライトをつけて入念に観察をさせてもらいました。


50メートルも潜った後にこんなに水深をとっていいのかってぐらい水深をとっていましたが、ナイトロックス(酸素が多めのエアで窒素の影響が少ない)を使わせてくれたし、水面休憩も長かったし特に問題なく帰ってこれました。

何度潜っても新しい発見がある。富士川丸、やっぱりすごいです。

あ、そういえば富士川丸にエントリーした瞬間に馬鹿でかいバラクーダに出会ったのでおまけに載せておきます。


2013年5月7日火曜日

チュークの時間。

最近は帰国も近いのでシャッターチャンスを逃さぬよう学校にカメラを持っていくようにしています。朝からパシャパシャと写真を撮りまくっていると…
幼稚園の生徒がうさんくさい顔で、何かをかくしています。どうやら後ろに何かあるみたい。


彼の後ろに隠れていたのはクラスで一番の悪ガキでした。
(この時点では彼はまだ僕にばれていないつもりです)
頭隠して…ならぬ、お尻隠して頭隠さず。

目と目が合っている時点でもう見つかっているということに気づきなさい。


週末にJEEP島で日本からの観光客と話をしていると、自分のここでの生活が驚くほど特殊だということに気づきました。だから記録しておこうと私にとってはもはや驚きもしないチュークの日常の一コマもご紹介しておきます。

例えばこんな光景。


何をしているか分かるでしょうか。

これは、学校に来て、先生がくるのを待っている子どもたちです。それぞれ教室の鍵は担任が持っているので担任が来ないと子どもは教室の外でこんな風にして待ちぼうけをくらうのです。(あと、校長も各教室の鍵を持っているんですが、担任より校長の方が先にくることはまずないので…)

でも、この状態をみて「先生が時間に来ないなんて!!」とか、「子どもの学習時間をなんだと思ってるんだ!」なんて指摘はナンセンスだと思うんです。もちろん、来た頃の私だったらそう思っていたでしょうけど、今では全く違うんですな。

ここ(チューク)にはここ(チューク流)の時間の流れがあるのです。

時計なんかなけりゃいいのに。って最近よく思います。
そんなのなくても朝は来るし、夜も来るのになぁ。


写真はマングローグバー(トラックストップホテル内にある海上バー)からの夕日。
時計のない世界では一日の終わりの合図です。

2013年5月1日水曜日

帰国間際の憂鬱。

五月になりました。ついに「来月には日本」というところまできましたよっと。

帰国直前の人ってどんなことをしているのかなって疑問に思う方もいるかと思いますが、最近はもっぱらお勉強をしています。らしくないですが。

専門教養・一般教養・教職教養

そう、教員採用試験に向けてのお勉強です。自慢ではないですが集中力が全くなく、根性もこれっぽっちもなく、努力という言葉が誰よりも似合わない私。これまでも座学はからっきし駄目だったんですね。最後にまともに勉強らしい勉強をしたのは小学校六年生の頃でしょうか。でも、最近はもっぱら勉強を楽しんでおります。

なんたって退屈なんでね。思うに勉強なんてのは暇つぶしにやるぐらいがちょうどいいんでしょう。特に、教職教養なんていままでまともに勉強してなかった分、新鮮で面白い。

ところで、教員むいてねーなぁ。ってじわじわと思うようになってきました。かといって現状で他に何かある訳ではないのでこのままいけばまさに「でもしか教師」ですよね。実際、教師ってのはやりたいことに近いものではあるんですが、なんかちょっとずれてきているんですよね。路頭に迷っている感じで三十路間近の人間の発言としては実に痛いです。まあ、なんの算段もなく不用意な行動をとるのはアホらしいのでもやもやしている間はもうちょっと自分の中で熟成させてたらええんかもしれません。なんにせよとりあえず帰国してすぐの採用試験をパスするのが当面の第一目標。やれることはやろう。

後は、勉強の合間にせっせとウクレレを弾いています。隊員生活の後半、やたらとウクレレが楽しくなりまして今は替え歌じゃない完全自作バージョンの「チュークの歌」を完成させるため目下奮闘中。コード進行を作るためにちょっとだけ音楽のことを勉強した(ネットで拾える程度の知識ですが)のですがいろいろ調べれば調べる程に音楽ってすごい計算されたものなのね。ただただ感動いたしました。世の中知らんことばっかりだなぁ。

2013年4月18日木曜日

やもり・Gekko・げっこー。

やもりさんは猫に似ている。
しゃーっと緊張感を漂わせたときは獲物を見つけた時。身体をぎゅっとすくめてびゅっと飛びかかるのだ。それは一瞬。

口からはみ出しているのは獲物。
最近家にやもりさんがたくさん生息している。

そのせいかな、ゴキブリさんがめっきりと減った。
やもりさんはハエさんを食べる。もしゃもしゃと食べる。
ゴキブリさんも食べる。ばりばりと食べる。

昨日の夜、ぼくの足元であかちゃんやもりがあかちゃんごきぶりを見つけた。
身体を低くさせて、ぷるりと身震い。ほんとうに猫のよう。
3センチと5ミリの戦い。3センチの勝ち。見事に捕食しましたとさ。

やもりの鳴き声をしっていますか。
けんかの時、愛をささやく時。やもりは鳴きます。
時に激しく、時にせつなく。

ケケケケケ。
キョキョキョキョキョ。
コココココ。
キャキャキャキャキャ。
カカカカカ。

ぼくはやもりさんが好きなんです。キョキョキョ。

研究授業。(ミクロネシアの教育現状)

学校で研究授業をしました。



この研究授業ってやつにはあんまり乗り気になれなかったのですが、もうすぐ広域研修があるので一応足並みを揃える意味で行いました。マーシャル、パラオ、そしてここミクロネシアの三国で年に一回を目安に広域研修なるものを開催しています。開催している理由はこの三国は共通の課題を抱えているから。とは言いましても、マーシャルやパラオに比べてここミクロネシアはかなり遅れをとっていると言わざるを得ないのが現状です。

この研究授業ってのは他の二国(マーシャル&パラオ)でうまいこといっているからうちの国でも取り入れてみようって流れで始まり、今や三国の共通の取り組みみたいになっている訳ですが…。
言わずもがな研究授業ってのは日本発祥の授業研鑽の方法です。アメリカとかでも一部で評価されていて〝Lesson Study〟なんて名前で広まっています。入念な授業準備と、授業の前には事前検討そして、授業後には事後検討。なーんてすごく日本的な方法だと思うんですね。どのプロセスをとってもこのミクロネシアにマッチしてると思えないものなんです。

ほんで実際、この国でどうなっているかというとなかなかうまくいっていない訳です。なんたって事後検討がちょっとくせ者で、この国の場合すごく小さな社会ですので、基本的に人のことを批判できません。何か意見を求めても、「いい授業でした」以上のものがなかなか出しにくいんですね。って思ってたのがちょっと前まで。最近はもうちょっと別の理由があると感じだしまして、そもそも授業が終わったあとに何かコメントを述べるというのはかなり高度な技術なんですよね。日本で研究授業に参加したとして日本語で私自身も出来るかと言われればかなりあやしいもんです。さらに付け加えると、この国にはいわゆる教員養成機関がありません。もちろん日本の様に教育実習みたいなことをした人が先生をしてる訳でもなければ、教職についてからも学校内に指導をしてくれる先生みたいなのもいません。そして、国民性としてだれかが教えてくれなくても自己研鑽に努めるぞ!みたいな人も基本的にはいない。つまり、「よい授業」ってもんを知る人がいないと言ってもいいような状況なわけです。よい授業ってものに対するイメージが明確じゃないのにそもそも他人の授業が評価できるのかって答えは自明ですよね。

研究授業ってのは「授業を磨くための方法」の一つだと思うんですけど、現状を見る限りミクロネシアで行われているの研究授業ってのは授業を磨くことにあまり貢献できていないんじゃないかなと。不必要に現場の先生をナーバスにさせて、ますます「授業を改善すること」を億劫にさせているだけなんじゃないかなと。そんな風に感じて今回は日本的なる研究授業を導入するのはやめました。

あくまで目的は授業改善。だから、改善すべきポイントを含めてカウンターパートに授業をしてもらいました。

今回、改善案として提示したのは以下の3点

・「めあて」を黒板に書くこと
・「まとめ」を黒板に書くこと
・「板書計画」のすすめ

上の二つに関しては現状うちの学校で実施できている先生はいません。私が赴任してから何度となく重要性を述べているのですが、全く根付く気配のない項目です。基本的に先生が黒板に問題やらなんやらを書いて、それを解いたら授業はおしまいっていうのが毎日のルーティンワークになっているので、毎時毎時の授業が何を目的としているのか、そして何を得たのかを子どもも教師もいまいち実感できないのが現状で、子どものためにも先生のためにもこれは根付いて欲しいなというこちら側の思いで提示させてもらいました。口で重要性を説くより、一度授業を見てもらったら感じるものがあるかもという淡い期待を込めました。
最後の板書計画ですが、こちらの教育庁の提示している指導案の書き方が実はあるんですがこれがまたこの国の先生方にマッチしないんです。ほとんど日本の指導案のフォーマットとそう変わりません。あんなコマゴマとしたものをこの国の先生がきっちり書くわけもなく、だから結局指導書に書いてある指導案をそのまま写すだけで、授業の進行と指導案は無関係というのが現状なわけです。だから、今回は板書計画を立てたらとりあず授業の体裁は取り繕えるんじゃないかなと思って提示させてもらいました。目に見える形で授業の終わり(板書)を先に紙に書いておくことで、授業がもうすこし安定しないかなという願いを込めて。


結果としてまあまあよかったように思います。決して大盛況って訳ではありませんでしたが。

参加者は計5名。
現地の先生4名。他職種の協力隊員1名。

現地の先生の内、2名は最初から最後までいましたがその内1名は教室の隅っこでごろりと寝ていました(椅子でうとうととかじゃなく、床にがっつりゴロ寝!熟睡!)、残り1名は終始真面目に参加してくれていました。あと1名は途中で一瞬顔だけだして帰っていった先生、もう1名は授業が終わったタイミングで何故か自分のクラスの子どもまで引き連れて教室に顔を出してくれた先生(実施時間を勘違いしていたのと、自分のクラスの子どもも授業に参加すると思っていたようです。)。他職種の協力隊員というのは同期の環境教育隊員が近くに仕事で来ていたので顔を出してくれました。

上の状況を読まれたらとんでもない事態を想像されるかもしれませんが(まあ実際とんでもないですけど)、他の先生の授業を潰したくなかったので学校の中休みを使って行ったのと、「興味があったら来てくれ」って伝えただけなので、1人まともに参加してくれれば上々、たぶん誰も来ないと予想していたので私個人の感想としてはまずまずの結果だったという訳です。

成果としては、最初から最後まで真面目に参加していた先生が後日、「”板書計画”はいい。教育庁や、この学校で書かされる指導案のフォーマットより取っ付きやすい。今度使ってみるよ。」ってわざわざ言いにきてくれたのと、実際に授業にあたっていたカウンターパートが「”めあて”と”まとめ”を提示してみたらよかった。授業がしやすかった。私は日本の授業の仕方を学べてラッキーだ。」って言っているのが聞けたことの二つでしょうか。

結論として、強く感じたのはやっぱり研究授業以前のものでたくさん足りていないものFSMにはあるなぁってことですね。他国の実践を借りてくるのはいいけど、やっぱりうまいこといかないのであればもう少し新しい方法を模索する必要があるんじゃないかなぁ、そういう時期にきてるんじゃないかなと思いました。

長々と書きましたがいまいちまとまりがなくてすいません。

2013年4月7日日曜日

へきちのトイレ事情。

部屋のネットワークが不通になってから久しいです。だからちょくちょくインターネットをするためにわざわざ街のレストランに下山しているのですが、これは昨日の話。急な便意が襲ってきて、トイレに駆け込んだんです。へきち暮らしをしていて急な便意というともはや日本のそれとは大きく違っています。それは閃光。稲妻のように急に身体を突き抜けるものです。怪しいなと思うものを口に入れたらその直後に間髪を容れずに襲ってくる衝撃。それはさながらピーピーキャンディー。便座に座って用を足して、大いなる問題に気づきます。

紙 が 切 れ て い る !

そんなことはよくあるんです。でも、だいたい事前に気づくし、気づかなかったとしても大抵は自分の鞄の中に緊急用の紙も常備しているんです。でも、今回はなんたって急だった訳です。突如発生したイベントのせいです。急な腹痛とへきちのトイレ事情ってやつが手を組むとこんなことになります。でもへきち暮らしも2年目を迎えようとしている私にとってこんなことなんということはない。

ここでクエスチョン!
トイレで紙がなかった場合はどうしたらいいでしょう?







正解は「手で拭いて手を洗う」でした。

でも、今回の場合はコレは正解ではありません。へきちでは、問題の対処マニュアルなんてものはないのです。いつもフレキシブル。手を洗う場所が近くにないのです。手で拭いて手で洗うっていうのは特にどこぞの家のトイレをかりた時の緊急事態に効果を発揮する解決策です。トイレのすぐ前に水を使える状況がある時にのみ効力を発揮する方法ですよね。模範解答が適用できない場合は別解を自分でつくる必要があります。では今回の場合の解答はなんでしょうか。

もちろん「便器の上にあったトイレットペーパーの芯を裂いて、ペーパー状にしてやわらかくし、それを使って優雅にお尻を拭く」が今回の場合の正解です。もちろん、やわらかトイレットペーパーの芯とはいえ、そこそこの硬度はございます。使用後は流すことはせず、速やかにゴミ箱に封印しましょう。

なんてことも日本に帰ったら懐かしくなるんだろうなぁ。

I miss~

っていう英語の表現があるけどこれは結構直訳できない言葉ですね。こっちに来てすぐの頃。ステイ先の家族に「お前は何かをmissしているか?」と言われたことがあるんですが、その時はいまいちmissの意味が分からなかったんです。

でも、今では、分かったよプロシュート兄ィ!
「言葉」でなく「心」で理解できた!!

私たちは日々いろんなものをmissして生きています。
日常的にあったものがなくなると人はmissするんじゃないかな。

あと数ヶ月。確実に私はここでの生活をmissするのでしょう。

片手にヤシの実を持ってふらふらと散歩をするこの〝日常〟も、とろとろと走っているトラックの荷台に飛び乗って移動するこの〝日常〟も、全てmissしつつある今なんでしょう。それは私の支配の中にあるようでいて、支配の外にある。さながら抗えない大自然の驚異みたいなもんですね。

まあ、へきちでトイレに行くときは気をつけましょうって話です。

2013年4月6日土曜日

帰国コワイコワイ病。

きっこくきっこく!

帰国シタイシタイ病にかかったのは遥か一年ぐらい前でしょうか。いざ、帰国が近づいてくると今度は帰国コワイコワイ病が発症しました。日本社会はオソロシイです。

時間の概念の存在しないこの南国暮らし。時計なんて持ち歩く必要のないこの今の生活。
起きた時間が出勤時間、勤務時間は自分次第。まあ全部、夏のせいなんです。

さて、日本という枠に戻れるのでしょうか。

五月の中頃には今年度が終わって夏休みになってしまうので、概算してみますと帰国までの私の仕事時間は24時間程度しかないみたいです。そう、ぎゅっと凝縮したら一日で終わってしまうのです。

この国で予定を確認するときに、〝アメリカ時間で〜〟なんて冗談めいて言う事がよくあります。それはつまりオンタイムでいきましょう。時間厳守でお願いします。なんて時につかってるんですね。そんときに、「〝日本時間〟だと、オンタイムじゃなくて、30分前には最低でも集まっている必要があるよ。」なんてことを現地人に冗談で言っていたんですけど…。

もう冗談じゃないですよね。
8時からの仕事だと7時半とか7時に職場にいるのが当たり前の恐ろしい国ジャポン。
この国だと8時からの仕事だったら9時〜10時ぐらいに職場にいれば十分なのに。たとえば雨が降った時用の時間割があるんですよ。今、私が住んでいるこの島では。雨が降ったら公式に全員遅刻です。

ああ。日本は狂っているよ。

終わる時間だって今ならすることがなくなったらいつでも帰宅時間なのに、日本だと勤務時間が終わって帰る人なんてほぼいませんよね。

最初はこの島のことをオカシイオカシイと思っていたんですが、今となっては日本だってとんでもなく〝普通じゃない〟と気づくのです。

「お前はいつまでここにいるんだ?」
「あと2ヶ月程だよ。」

ここは島国。小さな小さな島嶼国。
芭蕉ではありませんが、みんなが船の上に生涯を浮かべているんです。それぞれがそれぞれに旅人。住処なんてのはまさに仮のものなんです。きっとそれは無限の時間を持つ島の人特有の感性なんだろうな。

私たちにとってのお別れと現地の人にとってのお別れは少し意味が違います。

「まあ、またくるんだろ?」

程度に言われるのですが、今みたいな形でこの島に停泊するのは出来ないことを私は知っているんです。きっとまた来ることは来るけど。次に来たときはもうきっと日本人。

ああ、コワイコワイ。帰国コワイコワイ。

2013年2月18日月曜日

ピス(ピース?)島。

先輩隊員がもうすぐ帰国ということで、願いを叶えよう企画の第一弾。まだ行った事のない島に行ってきました。
環礁の一番外れにあるPiis島。住んでいる島からボートで1時間ちょっとぐらいかかります。


環礁上の島なので、起伏はなく平坦な島。島の周辺は水深が浅く、エメラルドグリーンの海が広がります。出発日の朝、天気が悪かったので船が出せるのかどうかびくびくしていましたが到着したころにはいい空模様でした。


環礁上にあるということは島の片面には外海が、もう片面には内海が広がるのです。
外海につながる方の海岸線。マーシャルやコスラエを思わせる独特な海岸線。波打ち際に形成されている岩の様なものは珊瑚なんでしょうか。ずでーんと長い一枚岩のような不思議な海岸地形。


特に決まってすることもなく、だらだらとボートを出してくれた知り合いの親戚の家に転がり込んでごろごろ。ご飯もつくるのも食材を持ち込むのもめんどくさいということで、ご飯と缶詰とラーメンという現地人のようなスタイルでだらだらごろごろ。

長い夜は修学旅行ごっこ(真っ暗の中でしょうもない話をだらだらする)をして、気づいたら夢の中へ。

翌朝激しい雨の音で目覚めました。

バケツをひっくり返したような雨の中でびちゃびちゃになりながら島を一周したのですが30分強で出発地点に戻って来れる小さな島でした。

ずぶ濡れのチューク隊。


こじんまりした小学校。島ある学校は小学校が一つだけだそうです。


途中でとんでもないものを発見しました。漫画の中でしか見た事のないような家。

いや、家?


小屋が海の上に浮いていて、モーターエンジンが3基もついています。


雨でレンズに水がついてぼやけていますが、横から見るとなんと農業用のトラックも乗っています。

なんのために誰がつくったのかわからないこの水上小屋。先輩隊員が言うには、これはちょっと前までは私たちの住んでいる島の方に停泊していたとのことですので、どうやらちゃんと移動が出来るそうです。

Piis島。楽しかったのは楽しかったんだけど、距離が結構あるしもうこないだろうなぁ…。

ちなみに余談ですがこのピス島は日本のテレビで特集されたことがあるそうです。
「日曜ビックバラエティ」の〝仰天ニッポン滞在記〟という企画。

http://www.tv-tokyo.co.jp/sun/backnumber/379.html

いろんな国の家族を日本に招致してホームステイしてもらい日本人家族との交流をとりあげるという趣旨の番組らしいんですが、そのいろんな国の説明が毎回〝原始的な生活をしている…〟〝電気・水道・ガスもない…〟っていう決まり文句から始まるっていう若干悪趣味な番組です。

バックナンバーを見ていたら今まで全4回、チュークからはピス島・シス島の2回。残りの2回はパプアニューギニアだそうです。

日本に置けるこの国の知名度を上げるのに貢献できる、形はどうであれ現地の人が日本に行ける(日本を知ってもらえる)などといい側面もありますが、どうしても「見せもんにしてんじゃねぇよ」って気分が拭いされないのが私の中の本音ですね。当のチューク人は特に何も思っていない(むしろ喜んでいる)と思うので別に私がどうこう言うことではないんでしょうけど。

2013年2月15日金曜日

ハッピーバレンタインズデイ。

本日はバレンタインですね。

日本では男子にとってもナーバスで、女子にとってもなんだかんだでナーバスな一日ですが、ここチュークではバレンタインは全くもってナーバスな一日ではございません。気軽に「ハッピーバレンタインズデー」なんて声を掛け合う程度のもので、そもそも日本みたいにチョコ配って告白云々のイベントをしているのは特殊な例ですからね。

中休みに私の教えているクラスの女の子がテクテクと近づいてきたと思ったら、
「ハッピーバレンタインズデー、てぃーちゃーこーたーい!」とな。

手に可愛く折り畳んだ紙を持っているのです。


チューク語の子音にはDがないので、発音もスペルもDの部分がTになりがちなのですがなんとちゃんと「TO:Kodai」とな。これはほんとに珍しいんです。大人でもKOTAIとスペリングすることが多いのです。そして、「こーたい」と呼ばれるのです。

でも、下の写真にあるようにちゃんとKodaiですよ。Kodai。


嬉し恥ずかしの手紙。


「算数を教えてくれてありがとう」の、〝算数〟がなぜか〝マタマティックス(Mathamatics)〟になっていますが、そこらへんはご愛嬌。でもとっても字がお上手でしょ。多分英語の文面はお父さんかお母さんが考えたんだと思いますけど、なんにせよ不意にもらう手紙ってのは嬉しいもんですね。

なんだかこの手紙一つで今日は一日ほっこりとして過ごせました。ありがとう。

学校が終わって午後からは、街中にあるトラックストップホテルのバーがオープニングイベントをするからという事で参戦してきました。クリスマスにオープンする予定で年末にせっせと建てていたのに、間に合わすことができず、ここ最近はめっきり作業速度がダウンしていたんです。なるほど、次のそれっぽいイベント(つまりバレンタインズデー)に合わせてオープンする作戦にいつの間にか変えていたようですね。


名前はマングローブバー。
海の上に柱を組んで建てているバーなのでマングローブのすぐ隣でお酒が飲めます。よく言えば海上バーですね。ウエノ写真の奥にある緑のがマングローブ。そして柵の下はすぐ海です。


オープニングイベントということで酒の肴程度の食べ物が置いてあったり、ビールの値段が通常価格よりぐっと安かったり、途中でケーキをサービスでくれたりとまさに至れり尽くせりでした。これで夕日が見れたら最高だったんですが生憎の雨。しかし、店の雰囲気は全て木の暖かみがあって海のそばにあるのでさわやかな風を感じてビールを飲むのにちょうどよかったです。
みなさんも何かの機会でトラックストップに宿泊の際はぜひとも夕食後にマングローブバーを利用してみてはいかがでしょうか。そして、マンブローブバーでビールを飲んだ後は、同じく敷地内にありますハードレックカフェ&バー(ハードロックカフェ&バーのパロディ、〝レック〟は沈船という意味)をおすすめします。


勝手にトラックストップ情報

部屋   :★★★★☆
コスト  :★★☆☆☆
水回り  :★★☆☆☆
食事   :★☆☆☆☆
サービス :★★★☆☆
立地   :★★★☆☆
ダイビング:★★★★★
バー   :★★★★☆

酷評しているように見えるかもしれませんが、チュークでどこに泊まるのがオススメか?と聞かれたら私は迷わずトラックストップを推します。個人的にはかなりいいホテルだと思いますので是非ご利用くださいませ。

2013年2月14日木曜日

灰の水曜日。(Ash wednesday)

今日は灰の水曜日でした。

灰の水曜日というのは私たちが神によって土から造られた存在でそして灰となって消えゆく儚い存在であることを忘れないための日だそうです。まあキリスト教の世界では現世は仮の人生ですから、あまり執着してはいけないのです。あくまで来世ありきの現世だということを忘れないことはきっと大切なのでしょう。

ということで、低学年は中休みまでの授業で終わって教会へ。教会では列を作って並び、順番が来たらおでこに灰で十字架を書いてもらいます。

得意げな表情の子どもたち。おでこの灰の十字架が分かりますか?















たまには学校隊員っぽく子どもの写真をあげてみましたがいかがでしたか。
なかなかチュークの子どもたちもいい表情をしているでしょ。


ついでに、チュークの子どもの遊びを一つご紹介。
おでこの灰の撮影をしていたら子どもたちがちょうど横で遊び始めたので撮影をさせてもらいました。

あらよっと、こなれた感じで逆立ちをする子ども。


すると、その横にも続々と逆立ち小僧が並びます。


そして、バトルがスタート。これぞチューク流のカポエイラ!!
相手を足で威嚇して先に崩れた方が負け(?)。


低学年の子どもなので壁を使ってやっていますが、高学年の子どもや低学年でも運動神経のいい子どもの場合は壁なしで完全に逆立ちをして戦うことも少なくありません。

最後に今日の嬉しかったことをシェアしてお終いにします。
このノートを見てください。


これ、幼稚園の子どもでこの半年以上なんの勉強もしなかった(自分からは鉛筆を持とうともしなかった)子どものノートなんです。
14という数字の横に、○が三つならんでいるのが分かりますか?
そこまでは、子どもの手を掴んで、一緒に鉛筆を握って私が書いたんです。

ちなみに、14個のりんごの絵を描こうという課題です。

三つならんだ○の横に、りんごらしきものが並んでいますよね。
そうです、初めて彼がノートに自分で何かをかいたのです。

彼は他の子どもより1、2歳年下だけどなぜか(まあ託児所代わりですね)入学してきて、座っていることもまともに出来ないんです。そんな、彼にとって鉛筆をとって言われたことに反応して何かをしようとしたってだけで、大きな成長なんじゃないかな…と親ばかっぷりを発揮して写真まで撮ってしまったのでした。

〝親ばか〟と書きましたが、幼稚園では何故か彼は〝広大の子ども〟と呼ばれているのです。そして、彼自身も「べいびーべーいーびー!」といいながらつきまとってくるのでまんざらでもないようで…。

日進月歩。
子どもには成長をしていない瞬間なんて存在しないのだと本気で思います。