2011年10月16日日曜日

ヌッスン。(ブライアン先生の教え)

学校にいるお気に入りの犬の名前がヌッスンなんです。






かわいいでしょ。

ヌッスン、ヌッスン!

でも家の店番をしている時に分かったんですがヌッスンはチューク語で「おつり」っていう意味だったんですね。
「ヌッスンがあるよ!」みたいな使い方をします。

ヌッスン、ヌッスン!

それだけだと思ったらヌッスンはもっと意味がありました。引き算を教えるとき、「八匹の犬がいます、三匹どっかにいきました。今何匹残っていますか?」の「残っている」もヌッスンなんですね。
つまり、全部の犬がもしヌッスンっていう名前やったら、「八匹のヌッスンがいます、三匹のヌッスンがどっかにいきました。今何匹ヌッスンがいますか?」ってなりまして、最後のヌッスンは犬の名前なのかな、それとも「残った犬」っていう意味でヌッスンなのかな?という疑問なんかがね、自然に発生しちゃいますよね。

ヌッスン、ヌッスン!

いやぁ、日常生活で全く役に立たない情報をあなたの頭に叩き込みたい。
無駄のあるすばらしき生活を世界中のみなさんへ。

ヌッスン、ヌッスン!

実家のオカンが心配してくれました。チューク語なんかしゃべれるようになっても何の役にもたたへんやろ、英語でも勉強しとけよと。確かにほとんどのこの国のボランティアが英語で活動をし、現地語を学ぼうとしません。まあ一応英語が公用語ですからね。確かに世界中で五万人しか使わないチューク語なんて必要ないのかもしれません。でもこの二年は何かと言えばこの現地語に集約されてくると私は信じています。

日本で関西人がいつ標準語を使うでしょうか。仕事でどうしても使わないといけないときぐらいでしょう。でも、その仕事を支えているのは日常生活です。日常生活なくして仕事なんて存在しません。日常生活で使う言語は何かといわれると関西人はやっぱり関西弁を使うんです。日常生活でしょうもない話をし、その中でその土地の人が必要としているものを見つけ、仕事に生かしていく。英語が公用語だからといって実質この国で英語を使っている人なんていません。外国人(他州人を含む)を相手にするときぐらいです。じゃあこの国で仕事するためにはやっぱりこの国の言語が必要になってくると思うんですね。英語はたしかにこの国でほとんど伝わります。でもそれでは現地の人々の会話には参加できません。もう一度繰り返しますが、仕事を支えているのは日常生活です。関西の企業に勤めて、プレゼンはバリバリできてバシっと決まってるんだけど、そのあとのパーティーで仏頂面している人と信頼して仕事ができるかなーっていう話です。それでもなんとか会話に参加しようとしてたらそれが伝わろうと伝わるまいと周りは認めてくれるとおもうんですけどね。ただ、ここでの参加しようとするというのは英語を使って参加しようとするっていうのは違いますよ。あくまで現地語をしゃべろうと努力をしている必要があると思うんです。そこで英語を貫くのって、さっきの関西弁の例で言うと自分だけ標準語で周りの関西人に混じっていくことと同じだと思われるかもしれませんがこれは根本的に違います。関西人が楽しそうに関西弁でしゃべっている中に入って、「きみたちも標準語をしゃべりなよ!」っていいながら自分は標準語で会話に入ってくるようなもんです。絶対ムッとするでしょ。なんで、全部お前にあわさなあかんねんと。出張で来ただけの相手とかならまだしも、二年間もここにおるんならお前もちょっとはこっちに合わせろよって思いませんかね。私なら絶対に思います。

私の英語の先生が言っておりました。英語の一番の勉強方法は英語「を」勉強することではなく、英語「で」何かを勉強することだと。
今私は英語「で」チューク語の勉強をしています。もしチューク人が日本語ペラペラなら英語の勉強になんてならないですが、結局英語っていう言語を媒介にする時点でチューク語の勉強をしようと英語の勉強をしようと英語の勉強にはなるんですから、ついでにもう一個覚えてもソンはないでしょ。

公用語と別に現地語がある国に派遣されたみなさん。是非積極的に現地語を習得していきましょう。それこそが無駄なようで最も意味がある活動だと私は信じています。

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