2012年3月29日木曜日

うんこを漏らしました。(うんこーだい)

朝一番で、うんこを漏らしました。いや、あれをうんこと呼べるのならの話です。
こんなことは物心ついて以来、初めてのこと。さすがにプライドがズタボロです。

昨晩、夕食を終わらせたあと若干の嘔気を感じたのですが、特に気にせず生活をしていたら今度はひどい下痢が始まったんです。といっても日本でも基本的にお腹がゆるかった私は任地に赴任してからずっと下痢。でも、今回はいつもの下痢と何かが違う。晩飯を食べたのが6時ぐらい。そこから布団で横になる10時ぐらいまでに4,5回は便所に駆け込みました。
それからも便意をちょいちょい感じながらもこのままでは際限がないぞと思い、ビオフェルミンちゃんを飲んで眠りについたのが深夜12時ぐらいでしょうか。

5時。突然の便意で起床。窓の外を見るとだいぶ明るんでいました。

やばい、これは。下腹に力を入れ、起き上がろうとするも残念な結果に。
そうです。パンツの中に出してしまったのです。

昨日から下痢をしつづけていた成果でしょうか。一般的な内容物はほとんどなく、透明な泡状のものが大量に出てきました。とりあえず被害を最小限におさえようと、ゆっくりゆっくりパンツを押さえてそのままトイレへ。

朝の5時、フルチンになり、バケツに貯めた水でパンツを洗う28歳。
いやー、かける言葉も見つからないですね。

そして、悲劇は続くのです。
パンツを洗い終え、もう一度布団に横になったその30分後。

再び便意で目を覚ました私がまさかもう一度トイレに間に合わずに漏らすとは誰が予想したでしょうか。

朝の6時、再びフルチンでせっせとパンツを洗う28歳。

まだ、だれも起きてなくてよかった。本当にそれだけが救いだと思って部屋に帰りネットで〝下痢 泡〟〝下痢 対処〟〝下痢 原因〟なんて次々にGoogle先生に聞いていたら部屋をノックする音と一緒に、ママスの声が。

「コータイ!コータイ!薬を飲みなさい!」

いやー、こういう瞬間に本当に大事にしてもらってるなと思います。
おそらく、私がトイレを失敗したことに気づいていたものの、気をつかってその時には寝たふりをしていてくれたようです。というのもママスは自分の部屋をもっていないため、リビング(?)に寝ているんですね。だから、トイレに行こうとしたらママスがもし起きていたら必ず目にとまるはずなんです。

「下痢をしてるんでしょ?この薬を飲みなさい!」

あぁ、やっぱり全てばれていた。
気遣いはすっごいうれしいんだけど。最高に幸せなんだけど。
最後まで気づいてないふりをしてほしかったのもこれまた本音。

昨日の晩ご飯、ちゃんと火を通したし野菜だらけやったのに何があかんかったんでしょ。
そして、同じものを食べても家族のお腹は何の問題もなし。不思議だなー。

うん!うん!うんこーだいっ!
ららら、うんこーだいっ!われら、うんこーだいっ!

昔、自分の名前の前に〝うん〟をつけた「うんこーだいの歌」なるものを自作して大声で歌っていたのをふと思い出しました。でもまさかこんな形で〝うんこーだい〟が実現するとはその時は思いもしていなかったのです。

2012年3月28日水曜日

ホットケーキとクーリ。

朝、食卓にホットケーキが並んでいたのです。焼きたてほかほかのホットケーキ。どうやらママスが朝から焼いてくれたみたい。

もふもふ食べていたら、「マヨネーズをつけなさい!マヨネーズは嫌いなんか?」ってマヨネーズをごりごりで推してくるママス、さすがです。
マヨネーズは丁重に断りシロップもバターもなかったからそのまま食べたんですが食べ終わった瞬間になんとなんと冷蔵庫からママスが出してきたのは〝キュウリ!(チューク語ではクーリ)〟輪切りにしただけのキューリでしたが実に一ヶ月ぶりぐらいのステイ先でだされた野菜じゃないかしら。何もつけずにそのままぼりぼり食うキューリに感動している自分のことをあれこれ考えるとやっていけなくなるので考えるのはやめておきます。

パンケーキとキューリ、相性はいいとはいえませんが久々にとっても幸せな朝食をいただきました。


久々に家族に晩ご飯でも振る舞うかと思い、学校の用事で街に降りたついでに大きめのスーパーを覗くとなんとなんと野菜をいっぱい入荷してるじゃないですか。ここまでびっしり新鮮なのが並んでるのは本当に稀です。


特にピーマン!すごいぞピーマン!ピーマンはいつもしなしなでほとんど買ったことがなかったんですが今日のはつややか。ピーマン、キャベツ、タマネギ、ネギを買ってスパムとビーフンと炒めて晩ご飯にしました。

今日は久々に野菜でおなかいっぱい。幸せです。

野菜が特別ものすごい高いわけじゃないんだけどなぁ、缶詰の方がよっぽど高いです。でも、どうして家族は野菜を買わないんだろう。そして、別に野菜がものすごい嫌いなのかとおもったらそうでもなかったりするんです。だって、私が何か野菜をつかって料理をしたら美味そうにむしゃむしゃなんぼでも食べるんですよ。

野菜があるから肉が美味いのになぁ。まあ食生活ってやつだけは生まれたときから染みついたものなので変えるのは並大抵のことではありませんね。

2012年3月26日月曜日

6×5=?

テストをして採点をしていたらすごいのを見つけました。

6×5=Kotai

なるほど私は六かける五だそうです。
前にも答えを全部私の名前にした子がいたんですが、そんな場合はただ分からないからふざけて書いたんだろうなーとスルーできるんですけどね。今回の場合は少し状況が違います。だってこれを書いたのがクラスで一番できる子なんです。ちなみに他のかけ算はもっと難しそうな計算もちゃんと答えを書いていたし、全問正解だったんですよ。でもなぜか、6×5のみKotai。

×5だし、どちらかというとちょっと簡単だと思うんだけどなぁ。
なぜピンポイントで一ヶ所だけ私の名前を書いたのか、謎が謎を呼びます。


昨日の今日なので食事内容をさらしときます。

朝食、ビスケット。(電気がないのでご飯が炊けなかったため)
昼食、学校で売ってる1ドルの弁当。(ご飯&肉)

学校で売る弁当ぐらいせめて身体にええもんを扱ってほしいです。ちなみに今は近所の学校に異動してしまったイエズス会ボランティアのアメリカ人はこの弁当を1年食い続けたら痛風になったそうです。

2012年3月25日日曜日

三十九週目。(そのうち考えるのをやめた)

あと1ドルで電気代が切れてうちの家は真っ暗闇になる訳です。今夜は暑いので扇風機なしでは熟睡できそうにありません。ジェネレーターを回してくれますように。かしこみかしこみもうす。

とりあえず電気が切れる前に一回更新しときます。

24時間の電気がきたものの一日あたり10ドルぐらい、一ヶ月にすると電気代が概算で300ドル以上かかるのでそんなフルで電気代を支払える訳もなく、結局のところ金がないから電気がない(経済的停電)という状況がここ最近つづいています。ホームステイゆえ生活環境は家族の経済状況に大きく左右されます。

そして、一昨日にふと気づいたのですが、この前の任国外旅行からかえってきてこの方、つまりこの二週間ほどにわたってたったの一口もステイ先で野菜を食べていないことに気づきました。いや、一口どころか一欠片も食べていないです。以前はせめてタマネギぐらいはあったんですが、それすらもなし。

ちょっと前まではせっせと食育も頑張っていたし、その頃は食卓に野菜がならんだりもしていたんですけどね。(過去記事参照)

金曜日の晩に魚をむしゃむしゃと食べながら気づいたんです。プレートにのかっているのはご飯と醤油の汁で茹でた魚のみ。
もう野菜がならんでいないことに疑問すら感じていない自分がいることに気づいてしまいました。

疑問を感じることは不幸なのかもしれません。今、すごくストレスフルです。
何も感じず、それが当然であるかのごとく生活しているとき、それはある種の幸せ。

それがたとえある人からみたら明らかに不幸な状況であったとしてもね。


この現状から逃げたい、
あるいは忘れたい、気づかなかったことにしたい。

そして忘れたいと思っても忘れられないので
そのうちコータイは考えるのをやめた。

パソコンがよく壊れる国です。(バックアップをとりましょう)

この前の停電しているときに(24時間電気がきたと噂のチュークですがいまだにちょいちょい停電はあります)iPhoneを踏んでしまい液晶が割れてしまいました。
あと職場のPCが2台あったのですが、先々週の同日同タイミングで2台ともうんともすんともいわなくなっちゃいました。

まあ、どうせ職場のPCはフェイスブックとソリティア専用機みたいになってたから壊れても仕事に大きな影響はないんですが、毎日のように「アイミスフェイスブックゥゥウゥゥ!ちょっとおまえのラップトップかしてくれぇぇぇ…。」みたいなことを言われて、正直めんどくさかったわけです。

そんでもって「日頃の行いが悪いからきみらのパソコンが壊れたんやで、もっと真面目に働け働けっ!」って冗談で現地の先生にゆうた日の午後のことです。

今度はまさかの自分のメインPCまでもが起動しなくなったのです。サブPCが壊れたのは以前の記事に書いた通り。つまり、日本からせっせと二台ももってきてたのにどっちも立て続けに壊れた訳です。

学校から帰っていつもの気分でPCを起動したら灰色画面の真ん中にアップルマークが出てその下で丸いのがくるくるくるくる。どれだけ待ってもくるくるくるくる。Google先生に聞くとハードディスクが死んでるからインストールCDを入れてディスクの修復を試してそれでもだめなら残念ながら工場出荷時に初期化しないといけないとのこと。

結果、ディスクの修復は「不」可能でして、工場出荷時に戻すの一択。
しっかーし、よくかんがえたらMacにはタイムマシンなるものがあるじゃないですか。

タイムマシンってのはMacのバックアップソフトウェアです。外付けのHDDにまるまるPCのバックアップをとっておいて過去の自分のPCにいつでもそのまんまもどせる夢のようなソフトウェア。とりあえずタイムマシン用のHDDと自分のPCを接続してタイムマシンを起動。

最新のバックアップ、2011年9月3日…。
約六ヶ月前のデータしかバックアップをとっていなかったのです。

やられた。
バックアップを復元したので、幸運なことにインストールしていた仕事で使うソフトウェアは全部復元できましたが様々なデータは消え去りました。

六ヶ月前に戻ったということでわざわざフィリピンまでいってアップグレードしていたOSも元にもどってしまいました。もういちどアップグレードしようにもこの国の通信速度では落とせないファイルなので残念ながら一時このまま使うしかなさそうです。

とはいえ初めてタイムマシン(バックアップ)のありがたさを実感しました。
今後はこまめにバックアップをとるようにします。
みなさんも、この記事を読みましたら現時点のバックアップをとることをオススメします。明日はあなたの番かもしれませんよ。

転ばぬ先の杖、壊れる前のバックアップです。
後悔先に立たず、くわばらくわばら。

2012年3月21日水曜日

バナナにご用心。

明日から朝8時から授業してくれない?

なんてリクエストを受けたのでいつもは9時過ぎ出勤だったのに早起きして学校に行ったらなんと子どもがみんな校庭で遊んでいるではありませんか。そしてチャイムがなった瞬間に時計を見ると8時40分。こんちくしょー。

でも、そんなことはもはや気にならなくなったこの南洋暮らし。


へこたれることもなく昼飯を買おうと購買部にテクテクあるいていると。

ズギュルンッ!

なんと足下に落ちていたバナナを踏んで転んでしまいました。

バナナの皮を踏んで滑るのはマリオカートの中だけの世界だけですがバナナの中身が入っていたらご注意くださいね。こいつはよく滑ります。特に落ちているバナナということはもう半分腐れかけのバナナですので、じゅるんじゅるんと滑ります。

2012年3月20日火曜日

あばばばば。

今日はオカンの誕生日。

〝誕生日おめでとう、何歳かもう知らんけど。〟
ってメールをすると
〝56才じゃ!親の年齢ぐらい覚えとけぼけ!〟
と即座に返信がきた。

56才。意外と若いのね。

誕生日ぐらいSkypeコールしようかとパソコンの電源を入れるように促すと、
「寒いから今日はもう布団に入るわ。サンキュー!」とな。

二十代もそろそろ終わり。
最近になって、親ってすごいなぁと改めて感じるようになりました。

この世界で最も強い力ってのは多分きっと子どもを前にした時の親の力ですね。

私も子どもと名乗れるような年齢ではなくなってしまいましたが、親からすると私は結局いつまでたっても子ども。なんだかんだで守られてるなぁと思うことがしばしばです。

親にもらった愛情はちゃんと自分に子どもが出来た時に受け継がないかんですね。

誕生日おめでとうございました。
もうそんなに現世に未練なさそうやけど、長生きしてくださいね。

交通事故、健康管理に気をつけて。

2012年3月19日月曜日

第三十八週目。(カウンターパートを失いました)

ネガティブな方向に大きな動きがありました。
カウンターパートがハワイに行ってしまうそうです。

ちなみにカウンターパートというのは国際協力に携わっている人以外には馴染みのない言葉なので補足しておきます。

カウンターパート:対応相手
国際協力において、受け入れ口になる機関や人のことです。まあ現地で活動する上でのパートナーみたいなもんやと思ってもらうといいとおもいます。
学校隊員の場合、自分が持っているクラスの担任のことをカウンターパートと呼ばれちゃったりするので誰をカウンターパートと呼べばいいのかというのは非常に難しいんですが、私の学校の場合、担任は文字通りただの担任で残念なことに私の活動にそんなに興味を持ってくれているわけでもなくカウンターパートと呼ぶべきではないでしょう。

一緒に活動して、一緒に何かを作り上げ、ほんで私が帰国した後にもそれを何かしらの形で引き継いでいってくれる人こそがカウンターパートであるべきと思うのです。その意味ではまだ具体的に大きな活動を一緒にした訳ではないですが、今回ハワイに行ってしまう彼はカウンターパートと唯一呼べるようになるはずの人でした。

三月中に話をつめて、四月の頭にはチューク州初の研究授業をうちの学校で開催しようと言っていたんですが、彼は先週まるまる一週間学校に来ていなかったんです。週末に教会でたまたま会ったので話をすると奥さんの病気が重くハワイに移送されてしまうからそれに着いて行かないといけないとのこと。

ちなみに、今年度はモデルとして研究授業をするだけになるけど、来年度からは完全に彼とタッグを組んで、低学年の全クラスをペアで一緒に受け持とうという案件を学校側にも既に通していたんです。夏休みには彼と一緒にカリキュラムとシラバスを作って、テキストを作ったらどうやって指導していくかの計画を練ろうねと話していた矢先だったんです。

彼も〝そうしよう〟と言ってくれていたし、学校も〝協力する〟と言ってくれていたことだったんですが。全て水泡に帰しました。

正直ちょっと参っているというのが率直な感想です。

2012年3月18日日曜日

グアムでわしも考えた。

コンチのおかげで滞在することになったグアム。まあもうコンチはじゃなくてユナイテッドと呼ぶべきでしょうか。

遅延保証としてオーロラホテル(aurora resort & spa)というホテルを四日間と朝昼晩の食事券を4枚ずつもらって滞在したのですが、単刀直入に言うといまいちなホテルでした。

ホテルの敷地内は綺麗じゃないし、立地もいまいち。そもそもSpaと名前についてるのにホテル内にスパなんて存在してなかったし、食事券が合計12枚もあったんですがホテル内のレストランはたった一軒のみ。しかも中華料理。チュークにいるときは中華が食いたい食いたいと思っていましたが、さすがに12回も間をあけずに中華ばかり食べさせられるとうんざりしてしまいます。

ちなみにこのオーロラホテルは元ホテルオークラを中国が買い取ったものだそうで、

Okura
Aurora

並べてみると筆記体の看板ではいまいち違いが分からないぐらいに酷似しています。
Okuraと間違って客がくるのを狙ってるのでしょうか。ちょっとそこは分かりません。

ただ、元オークラとあって客室はなかなかデラックス。特にバスタブやシャワー、トイレなんかはかなりのクオリティーだったので日頃バケツの水をかぶって生活している私としては大満足させていただきました。

と、そんなホテル情報はどうでもいいんです。

今回のグアム滞在で私が何をしていたかというとひたすらグアムにいるチューク人としゃべっていました。

ウェスティンホテルからDFSにむかう道で「しゃげき?しゃげき?ぱんぱん?」「すとりっぷ?ぱこぱこ?」ってニコニコ笑顔で絡んでくる現地人っぽいのは残念ながらチャモロ(グアムの現地人)ではなく、チューキーズです。

初日に、「しゃげき?しゃげき?」と話しかけられた時に、チューク語で「いらんいらん、ありがと!」って返事をしたが最後、四日間ずっと彼らに絡まれ続けることになりました。グアムやハワイには多くのチューク人が働いているため、チューク語が話せるとあっと驚くサービスが受けられることがあります。(タクシーがタダになったり、コンビニでディスカウントがあったり、他にもココにはかけないようなサービスもいっぱい。)

また沢山住んでいるとはいえ小さなコミュニティーですので〝チューク語をしゃべれるチュークに住んでる日本人〟ってだけで彼らの中ではすぐに情報は広まります。だから歩いていると遠くから手招きされ、近づいていくとなんとイスを用意してくれて挙げ句の果てはビールまで買ってきてくれる始末。

路上(といっても用意されたイスに座って)もらったビールを飲んでいると、
「チューク人はもう抱いたのか?!」
なんてゲスい話が始まります。

ちなみに、チュークでも何度となく問われますが私は抱いていませんし、今後抱くつもりもございません。

でも逆に「日本人はもう試したか?」と聞いてやると彼らは嬉しそうに答える訳です。
「一回や二回じゃないぜ。日本人は最高だ!」とね。

彼らの話は要約するとこうです。

クラブで気に入った女の子を見つけたら一緒に踊って、〝きみのホテルでもうちょっと飲もう〟って言うだけでだいたいゴールイン。
グアムは日本人観光客だらけのくせに、せっせと知らない女の子をエスコートして踊れるような日本人男性がほとんどいないので、手を取り気分良く踊らせてくれる外人にうっとりするんでしょうね。

もちろんホテル代とか飲み代の支払い能力などあるはずもないので気分良くなっちゃった女の方が全部おごってやるのでしょう。

そんな話を聞いて、グアム最大のクラブ〝グローブ〟に顔を出すと確かにその通りでした。
シーズンがシーズンでしたので、九割方が日本人で埋め尽くされているのにまともに踊っているのは1割以下。ダンスホール内に入っているものの何をしているのか分からない団体様と、後は中にも入れずどうしていいか分からないといった表情をしてる団体様。

その中でギラギラと目を光らしているのは現地人の男たちです。気に入った女の子をみつけると手を引いてダンスホールまで連れて行って一緒に踊り出します。最初は緊張をほぐすために女の子の動作に合わせて動いているものの徐々に慣れてくるとこれみよがしにいちゃいちゃし出します。そして、女の子は恍惚な表情になっていく訳です。まあ日頃、そんなことされることもないでしょうからまさに初体験をしているので仕方ないのかもしれませんけど。
ただね、あなたが手を引かれてるその男は毎日そこで次の獲物を探してるんですよ。その証拠に私が年末にフィリピンに行く前にこのクラブで見た男連中と今回の連中はまるっきり同じメンバーでしたから。

なんだかね。色々と考えちゃった訳ですよ。

グアムでハメをはずしちゃった。外人男との夜は最高だったわ。
みたいな話はちょこちょこ耳にするけど、結局その裏方はこういう話だった訳です。

いい(歳こいた)女なら、せめて酒代とホテル代ぐらいは口説いてきた男に出させろよと思うんですね。もっと言えばハメをはずし終わった後に、男の財布の中身を全部抜き取るぐらいのスキルを持って下さいと。自分を安売りして股を広げる女より、それを金に換える風俗嬢の方が私にとってはリスペクトの対象です。

その反面で、日本人男性は国外に出たら法外な価格で女を買うでしょ。せめて現地の女を声かけて落としなさいよ。その方がお店で買うよりいい経験できて安上がりですよ。

女はタダ同然に外人に食われ、男は大金をはたいて外人を買う。
グアムでわしも考えた。
日本人ちょっとかっこわるいっす。

2012年3月16日金曜日

パラオ。(ダイビングとくらげとインドカレーと日本食)

パラオはコンチのトラブルのおかげで短い滞在になった(8日滞在の予定が4日滞在に短縮)が、一応予定していたことは一通りすることができた。

初日は到着が深夜2時で、そのあとパラオ隊のSVと明け方までおしゃべりをしていたにもかかわらず、そのままダイビングに行った。睡眠時間2時間ほどでへろへろになりながらダイビング。

ブルーコーナーとニュードロップオフとジャーマンチャネルという結構パラオパラオした場所につれていってもらった。欲を言うとブルーホールに行きたかったのですが、まあなかなか満足したのでよし。

メガネモチノウオ(ナポレオンフィッシュ)ちゃんがのぺーっとわんさかいるし。ダイバー慣れしてて好奇心旺盛なのでどこまでも近づいてきます。


それに比べて、愛想のないモンガラカワハギちゃん。
必死でおいでおいでしたのにぷいっとどっかにいっちゃいました。


バラクーダの群れ。潮流があまりなかったので群れって言うほど群れてなく、バラバラに泳いでいる感じで少し残念でした。


チュークではカメの食べ過ぎのせいかめったに見れないウミガメちゃん。
久しぶりに見た感想は、「うまそう…」
微妙に現地化している自分を再発見です。


ジャーマンチャネルではエントリーしてクリーニングポイントに着いたと同時にマンタが正面にやってきました。ただ、ヤップ経由でパラオにきた自分としては、マンタ欲があまりなかったので、周りのダイバーと感動を共有することができず…。


そうこうしてるうちに、マンタはきびすを返して帰っていってしまいました。
一瞬で消えたマンタちゃん。消えた後になってなんだかレアな体験をした気分になります。


パラオはどこもかしこも魚影が濃いですね。
わしゃーっとどこもかしこも魚だらけ。しかも一匹一匹がでかい。


夜は居酒屋「美登寿司(みとずし)」さんへ。
ここは同期のSVさんの行きつけの店らしく、焼酎をキープしておられました。
二日連続でここに連れてきてもらい、焼酎を2本も空けてしまいました…。
SVさんごめんなさい…。
店員さんの雰囲気もよく、料理も日本のへたな居酒屋なんかよりだんぜんいけてます。
店内にいるかぎり、日本に帰ってきたかのように錯覚してしまいます。

さんまのピリ辛焼き。


寿司。(卵が絶品)


「ここは大統領もちょくちょく使ってるんだよ。」と、SVさんが言いながら「あっこらへんからぷらっと大統領が出てくることがよくあってね」って店の奥を指さすとなんとそのタイミングで指をさしたまさにその場所からパラオの大統領が出現。さすが島国。そこらへんはミクロネシアも似たようなもんですね。

さらに、ご機嫌に飲んでいたら上の階にあるインド料理屋さん「ザ・タージ」のオーナーが来店してきたから、「私は今チュークに住んでてチュークにはインド人がいるのにインド料理屋がない。日本では週に一回はインドカレーを食べていたのに。もうインド料理が恋しくてしかたないんだ。絶対に滞在中にキミのレストランを訪れるからね!ミクロネシアの隊員の間でキミのレストランはすごく人気なんだよ。みんながおいしいって言ってるから、楽しみにしてパラオに来たんだ!」なんて言いながら仲良く話していたら。オーナーは「今日、この後すぐに上にあがってこい!」なんて言ってくるわけです。
言われるがままに、美登寿司を出て、SVさんと別れた後、「ザ・タージ」の店内に入るとなかなかしゃれたバーみたいになっていました。しかし、この店は超高級インドカレー屋でめっちゃ高いんですね。カレーとチーズナンを頼んで待っていると、オーナーが飛んできて「ほんまに来てくれたんかっ!!」なんて言いながらビールを持ってきてくれた訳です。このビール…サービス?それともチャージされてるの?なんてびくびくしながら会計をしようとすると、やっぱりビール代はつけられていました…。しょぼん。総額30ドル弱ぐらい。まあ値段相応ぐらいの味でしたので(本当に美味しいです)まあ文句もないんですけどね。

机に40ドルを置いて、店員のおつりの計算を待っていると…
再びオーナーが奥から飛んでくるではありませんかっ!!

オーナーはがしっと40ドルを掴み、私の手に再び握らせると「それは間違っている。私はキミを招待したんだよ。招待した客から金をとれる訳がないだろ。来てくれてありがとう。またいつでも大歓迎だよ。」

やばいっす、オーナーかっこよすぎる。
というわけで、なんだかしらないけど金を全く使わずにインドカレーを食べるという目的を達成させていただきました。
みなさん、パラオにいったらインドカレーを食べにいきましょう。


翌朝はコロール市街からパラオパシフィックリゾートまで朝食ビュッフェを食べるためだけに1時間かけて歩いて行きました。日本食がわんさか。でも高い。約25ドル。

せっかくだからすごい日本食だらけのご飯にしてやったのです。
ごはん、うどん、納豆、味付け海苔、だし巻き卵、焼き鮭、味噌汁、生卵。
どれもチュークでは手に入らぬものばかり。


特に…生卵っ!!!!!!
実はこの9ヶ月、夢にまでみたものが卵かけご飯なんです。
チュークの卵は古いので恐くて卵かけご飯ができません。

ご飯の上にかぽっとわって。


醤油を垂らして。


ぐちゃぐちゃぐちゃ!!!!!


 ンマァァァァイっ!
この感動は多分、チューク隊にしか伝わらないと思いますので日本で読んでいる読者の方はあっさり流して下さい。


 最終日はジェリーフィッシュレイクツアーに参加。
6月からエントリーパーミッションが35ドルから100ドルに引き上げられるといわれ、なんだか今ならすごく得なような気分になって参加をすることになりました。

まあもともと興味はあったんですけどね。

海水が入り込んでいる湖なので海水の70%ぐらいの塩分濃度らしいです。しかし、外敵が入ってこれない環境のため、クラゲさんは毒を持たなくなったのだとか。


ぷかぷか、とりあえず大量にクラゲが発生しています。


これもヤップのマンタと同様に静止画では大量っぷりが伝わらないと思うので、動画を張っておきます。


宇宙を感じられるとか広告では謳われてましたが、まさにそんな感じ。


最終日の夜は、パラオのコロール隊員とSVさんと一緒にタイ料理屋で乾杯。


上のビールはパラオの地ビールです。
そう、パラオにも生ビールがあるんです。ずるいっ!

駆け足でまとめましたが、パラオもなかなか楽しませてもらいました。
パラオ隊のみなさん、特にSVさんどうもありがとうございましたっ!

2012年3月15日木曜日

ヤップ。(石貨とマンタと戦跡)

隣の州なのに、同じ国なのに、ヤップに行くにはグアムを経由しなくてはいけない。実に腹立たしいことである。
以前にも書いたがヤップ州は最も伝統文化を重んじている州で、いまだに石貨が使われている。といっても冠婚葬祭や、村レベルのトラブル、交通事故などといった大きな出来事の時に石貨のやりとりが行われるだけで、日常はUSDを使っているんですけどね。

ということで一発目の写真は石貨銀行。


このように集めて管理している場所以外にも、島のあちらこちらにゴロゴロ石貨が転がっている。最初の数時間はいちいち感動していたが、あまりに大量に石貨がありすぎて一日を待たずして感動すらしなくなるレベル。家の軒先にも、レストランの入り口にも、どこにでも石貨はある。

そういえばダイビング中にも石貨を発見した。


私が右手の先にあるのが石貨である。パラオのロックアイランドから切り出してヤップから運ばれ、その過程の困難さ(例:何人が死んだか)によって価値が付くといわれる石貨。この石貨をここで落っことした人の落胆ぶりを想像するとやりきれない。

石貨と同じぐらいヤップらしいストーンパス(石畳の道)


上の写真のような綺麗に整備された石畳の道が島内を横断している。集落と集落は基本すべてストーンパスで繋がっているそうである。この綺麗な道を維持できているのもヤップのコミュニティーの強さの証。

チュークほどではないが、ヤップにも戦跡があった。
ランドツアーで連れて行ってもらった旧飛行場跡の近くの零戦。


爆撃で飛び立つ前に破壊されたようで無残な残骸と化している。


高射砲かな?


ヤップには戦争当時、岡山隊が駐在していたようで、勝ち目がないと分かった彼らは滑走路に「GIVE UP」とペンキで大きく書いて降伏したそうである。やっぱり兵隊さんも人間だなぁ。

ランドツアー中に発見したKADAI VILLAGEの看板。
惜しい、実に惜しい。一文字違えば私の村。


ただ、このヴィレッジのお陰でヤップではすぐに名前を覚えてもらえたのも事実。
ありがとう、KADAI村。


マンタレイが好きな人。ヤップに行きましょう。
通年マンタにほぼ確実に会えます。(保証はしませんが)

今回も1ダイブで18枚ものマンタの群れが見れました。


びっくりするぐらい近くまできたなーと思ってシャッターを切ると、


そのまま突撃してきました。


完全に頭の上を通過。

これでは群れという感じがしないので動画をアップしときます。


マンタの群れを見て、マンタなんてもう珍しくもなんともないな、なんて思ってたらマンタより珍しいのを発見しちゃいました。
マンタを見ながら水中で絵を描いてるダイバー。


ブライアンウィリアムズという方で滋賀に40年も住んでいるらしく日本語ぺらぺら。
仲良くなったのでマンタの写真をあげると、お返しに実家に画集を送ってくれるとのこと。

ダイビングの後はマンタレイホテルでフライドポテトをかじかじ。
ヤップ隊がケチャップで「Welcome to yap」って書いてくれました。


注目すべきは、左手の横。

生ビール!!!!
ヤップではマンタレイベイホテルの船上レストランで生ビールが飲めるのです。

そんなこんなでヤップを満喫してきました。
ヤップ隊のみなさん、ありがとうございましたっ!


おまけ。
ヤップの教会に描かれていた絵。


イエスがふんどし姿で、現地人が石貨を献上しています。
完全に現地化したキリスト教観は面白い。

第三十六、七週目。(帰チュー、ホームステイの変化)

どうも、チュークから離れていたため更新はほぼできませんでした。ぺこりんちょ
グアムの続き、ヤップのこと、パラオのことは別枠で更新しますのでここでは割愛。

空港に帰ってきたら、暇人の高校隊員がわざわざ迎えにきてくれてました。まあ授業があるからとそそくさと帰ってしまったのですがね。
ほんで、宝島レストラン&ホテルのオーナーの大矢さんと空港で「ステイ先に電話してないからたぶん迎えは来ないと思う」なんて話していると遠くから大きな声で

「コーーーターーーイっ!」っと懐かしいママスの声がするじゃないですか。
グアムの親戚のおばはんが家族に伝えてくれてたようです。

家に帰ったら家族が増えていました。
元大使息子の息子と娘と嫁さん。

総勢で5人ぐらい増えたのかな?
ちょっとまだ正確な人数は把握できていませんが。

相変わらずメンバーの増減が多く戸惑いの連続なホームステイですが気持ちを入れ替えて頑張りたいと思います。

このまえのフィリピンの時のような感情はもうないです。
やっぱり私はチュークのこと好きですよ。

日本に帰りたいけど、正直ちょっと南国暮らしに飽きてきたので。日本が恋しいですけど。でも、ここも好き。

もうすぐ日本は桜の頃ですね。

2012年3月3日土曜日

ヤップデー。

3月1日、2日はヤップデーでした。
いやー。ヤップデー楽しかったなぁ。

ヤップデーとは、ミクロネシア連邦が誇る伝統文化の宝島ヤップ州最大のイベントのことです。ヤップ州っていうのはですね、いまだに石貨が使われていたり女はトップレスだったりする幻のアイランドなんです。といってもトップレスなのは若干年配の人だけみたいですけど、ヤップデーの時だけは若い娘もトップレスなんだそうです。

とりあえず、ヤップデーはトップレスなんです。

27日に自分がしなければいけない仕事(採点と成績つけ)を終わらせ28日のフライトでグアム経由のヤップ。

…の予定だったんですが、まさかのいまだにグアムにいます。
グアム国際空港。

27日の便がまさかの11時間遅れでヤップに接続の飛行機がもう飛び立ってしまっていたんです。ちなみに、グアムでのトランジットの待ち時間8時間以上もあったのに乗り換えれなかったとか考えられませんよね。

次のヤップ行きの便はなんと3日ですとな。
1,2日がヤップデーなのに、3日にグアム発ヤップ行きって…。
これぞまさに文字通りのあとの祭りじゃないですか。

ということで、28日から3日まで急遽グアムにステイすることになったのです。

幸いホテル代と食事代と電話代はコンチネンタルが持ってくれました。
宿泊費$721.50
食費$280
移動費$25
通信費$3
合計で$1030ほどですね。

いやー、こんだけ保証してもらったらいいじゃないって思うかもしれないですけど本来の目的を失いましたからね。というか、別にそもそもグアムなんてトランジットでちょっと買い物をできたら満足なんで南国暮らしをしている自分としてはそれ以上は全くステイしたい場所ではありません。
また、我々協力隊員は年間に20日しか任国外に出ることが出来ません。年末年始にフィリピンで12日使ったので、残り8日をパラオに使おうとしていたのです。グアムに4日ステイした分、今度はパラオが4日しかなくなってしまったのです。

今回の旅行の目的はヤップデーとパラオだったのに。
その両方をコンチネンタルに蹂躙されてしまったのです。
しかも、もし来年のヤップデーに参加するとしたらまたチケットを買わないといけないのです。悲劇以外の何ものでもない。かわいそう、実にかわいそうです。

グアムでは考えることがちょっとあったので次の記事にまとめます。