昨日、病院に行くとパパスが鼻から管を通していました。患部が臀部の肛門周りにあるので排泄物を出す度にバイ菌が入るからという理由で腹を切って管を通し排泄物を直接外に出すようにしたのが先週末。今日鼻から管を通したのは排泄物が上手いこと管から出てこなくなったからとのこと。つらいなぁ。どうりでパパスのお腹が腫れ上がってるなぁって思ってたんです。鼻から身体の中に通した管を通してゆるりゆるりと排泄物?(胃液のようなモノ)がゆっくりゆっくり出てきます。
この日記で私がパパスやママスという一見ふざけた表記を使う理由はただ一つ。ここにきてから自分を家族として扱ってくれるステイ先を自分も家族として受け入れているんですがお父さんやお母さん(あるいはオトンやオカン)っていう表記は日本におるオトンやオカンを指すために使いたいからです。特に父がもう他界してしまってる自分にとってステイ先のパパスのことをお父さんと書くのにすごく抵抗があるのです。まあ永久欠番みたいなもんですね。
しかし、ぐらりぐらりと揺れます。鼻の管を見た瞬間に明らかに動揺してしまった自分がいて、一瞬間の内にオトンのこと思い出して、ハッとここはチュークなんだと思い返したんですね。
キリスト教圏の国ですので毎日のようにお祈りをする機会があるんですが、神様がおるのなら神は残酷でございますなぁ。
人からもらう声の全てが疎ましい。あいさつすらも疎ましい。
〝いい朝だね!〟
ってよくねぇよ。最悪の気分。
多分自分の気持ちさえ落ち着いてご機嫌のときなら、人なつっこくていい国民性だなぁ!
ってほんわかした気持ちで受けいられるんでしょうけど。
なんでそっとしといてほしいときにそっとしといてくれへんのや!
って喚きたくなるんです。
そして、そんなちっこい自分に気づいてつくづく嫌になるんです。
まあ結局表面上は何も変わらずへらへらと笑って生活をしている訳ですけどね。
明日はカトリックの祝日で学校はないそうです。
少し気持ちを落ち着かせようと思います。
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