まあシリアスな状況を乗り切るために最大限楽しんでいるというのが正解ですね。
状況が緊迫しているならそれを乗り切るためにどうするか。
私はそれを笑いに昇華します。
要は話し方次第、スポットライトのあて方一つで同じ話は全く別の様相を呈します。
すごく悲しいことやひどく落ち込んだときや何かにむかついたときってのはチャンスでして、それはちょっと視点を変えたら笑い話なんです。喜劇は悲劇の裏返し。その逆もまた真なり。
緊迫するような状況が面白くない訳がないんです。顔が引きつるような緊張感がある話しをしているときに、ちょっとその話しの軸をずらしてやる。そこには確実に笑いがあります。
「弱さを笑いにかえる強さを持ちなさい。」
これは小学校の時の恩師が私にくれた言葉で、今なお私を支え続けている行動指針の一つ。もはや私にとっての一つの宗教です。
暗鬱な話しを書くことにメリットは何もないでしょ。文字や言葉は私を盛り上げてもくれますが、同じく落ち込ますこともできます。結局多くの人が言葉(自分の考え)におどらされて気分の上げ下げをしているんです。そして、気分そのものをコントロールするのは難しいけれど、その前段階の言葉(何をどう話すか)はだれにでもコントロールできます。
例えば仕事上でとばっちりを受けて「アイツむかつくんじゃーーーー!」って思ったとして、それをそのまま〝アイツむかつくんじゃーーーー!〟って書いたり頭の中で考えるとそれは「アイツは嫌なやつ、ハラタツハラタツハラタツ!!」と自分の中で増幅されていきます。ひいては一時の感情がもとでその相手のことが生理的に嫌いになっちゃうかもしれません。
そんなときは滑稽譚にしてやればいいんです。そのために何が起こったのかを自分自身の感情を抜きにしてじっくり考えるんです。腹が立つというその感情を考えるのではなく、その感情がどこから起因しているのかを考えるんです。自分の感情がそんだけ高ぶったってことは絶対その原因になってるところの出来事は何かしら可笑しさを含んでいると考えていいでしょう。そしてその話しを誰かに話すことを考えます。どこをどうふくらましたらこれを笑いに昇華できるのだろう…。なんて考え出すともう腹が立っていたことなんて気づいたら忘れてしまいます。ひとつ話しのネタをくれてありがとうってむしろ感謝の気持ちまで出てくるかもしれません。
しかしまあ今回JICAに送ったのは報告メールですので、報告文を書くのに脚色する訳にもいきませんので、そのギャップに調整員さんがおどろいて電話をしてきてくれたのでしょう。ご心配の電話ありがとうございました。
四方八方どこからも風当たりが強そうな調整員さんの仕事は大変だなぁっていつも思いますね。私たちが後ろを気にせず活動できているのは調整員さんのお陰ですね。いつもありがとうございます。
おまけ
みなさんへ。
ちなみに私も暗い話をするときや書くときはありますが、それはきっと意図的なかまってちゃんやと思って相手をしてあげてくださいね。
めんどくさい男より。
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