2011年11月10日木曜日

ゲンコツ。(体罰について)


どうやら明日もまたまた祝日で三連休です。学校の行事予定表に書き忘れていたらしく今朝突然言われたので肩すかしを喰らいました。まあ嬉しいんやけど今はJICAボランティアとしての仕事以外にもステイ先のパパスの仕事も手伝っているので、明日は朝一で空港にいってパパスの手伝いをすることになりました。ちょちょっと空港のパソコンをいじくるだけやけどね。


さて、タイトルにも書きました「ゲンコツ」ですが、最近ちょいちょい使っています。日本の伝統的な体罰やでーってことで、翻訳することなく「ゲンコツ」と呼んでいます。

「えっと、キミは〝ゲンコツ〟が欲しいのかい?」

体罰は楽しく効果的に。

今から怒られるというのにクラス全体の注目を集めて得意げな子ども。

「えっと?今から何されるんかな?」

「…ゲンコツ?」

「正解!」

どーーーーーーん!

「うっぉおおおおお!いってぇぇぇ!!!」
と、ちょっと涙目で席に戻ると大げさに痛がってみんなの笑いを誘います。

ゲラゲラゲラゲラ

まあ一発だけとはいえ渾身の一撃を喰らわせているので実際にかなり痛いとは思います。

こっからは自分の演技力がモノを言いますね。
さっきまでのコミカルな調子と打って変わって一喝します。

指導は厳しく高圧的に。

「なんでおまえらは笑ってるねん?!全員ゲンコツを喰らいたいんか?」
これは教育話法ってやつですね。腹の底からの一撃必殺で教室が凍り付きます。そして、せっかくの粛々とした空間ですので一時放置しておきましょう。ものの15秒ほどですら長時間に感じられます。

「元気なクラスは好きやけど、今はみんなで勉強がしたいねん。協力してくれるかな?」

最後は優しく下手に出ましょう。

「かしこーく出来る人、手を挙げて。ええやん。最高のクラスやな。さぁ勉強しましょ。」


まあ、体罰については賛否両論あるでしょうが、私は別にかまわんと思っています。体罰なんかもってのほかっていう考え自体もごくごく最近出来た一つの流行みたいなもんですしね。どっちが正しいかみたいなんはまだまだ考え続けるべき段階やと思うんですね。どうせどっちにしろそれらは可能性の一つでしかないんですから、どっちかに凝り固まって意地になってまうのが一番あかんとおもうんですね。その本質を考えなくなってしまうから。

私は今日本にいるわけでもなく、現に他の先生は少なからず体罰をしている状況で私だけが体罰をしないのは百害あって一利なしだと思うんですね。もし、ほんまに体罰があかんと思う場合でも矛盾しているようですが体罰をする中で変えていくしかないと思うんです。教育だけじゃなく全てのもんは歴史の中で動いてるんです。まあ人の成長になぞらえて発達段階ってゆうてもいいかもしれへんけど。

ただの暴力としての体罰はそら明らかに駄目でしょう。問題外。でも、大抵の場合に体罰をしている先生はそれがベストやと思ってやってる訳です。だから、そういう先生と一緒になって体罰を面と向かって考えてやればいいんです。よりよい体罰をね。ほんで、考え続ける中で、やっぱり体罰だめやわってなったら自然に体罰は淘汰されるでしょうし、もし体罰をやめてやっぱり体罰必要やわってなったらまた自然に発生するんですよ、きっと。まあ逆にゆうたら実際にあと数年後に日本に体罰をもっとせなあかんっていう風潮が出来てる可能性だって大いにありえるわけですよ。

とりあえず現段階で私が気をつけているのは教師の一方的な権力にならないようにすることだけかな。私がしていることがおかしかったらいつでも文句ゆうていいよ、お母さんにゆうてもいい、お父さんにゆうてもいい、他の先生にゆうてもいい。あるいはキミが直接にでも先生を殴ってきたらいいよ。っていうのが自分のベースにないと体罰は存在したらあかんと思うけどね。
どうやってそれが実現しているかどうか確認できるのって聞かれるとなんとも難しいところなんやけど、まあ少なくとも自分の中にそういう考えがあるかないかは大事やと思いますね。

まあ、だいぶ前の記事(過去記事:怒り方。)とでも合わせてお読み下さい。

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