首がまわらんぐらい痛いです。富士急のええじゃないかに初めて乗ったとき以来の激痛。
朝から肩が痛い痛いと痛がっていたら子どもが肩を揉んでくれました。
最初は一人の子どもがべったりと張り付いて肩を揉んでくれていたのですが、〝最高や!ええ気持ちやぞ!〟と言うや否やうじゃうじゃうじゃうじゃ集まってくる子どもたち。
気づいたら五、六人の子どもに肩を叩かれていました。いや、どつかれていました。
結果、悪化するかわいそうな肩。かわいそうな私。
どうも最近、遅刻が多くなってきました。といっても来いと言われている時間(自分の授業の始まる時間)までにはいってますけど、朝起きるとびっくりする時間になっています。最初は7時から7時半ぐらいの間には家を出ていたのに、今では8時ぐらいに目を覚まします。
「あかん、寝過ぎたっ!」
そう言って部屋から出ると、となりのオバハンに褒められます。
「ええこっちゃ!とりあえず、まあメシくえ。」
メシを食うことが最優先事項であるこの国では起きる時間が何時であれ、もう自分の授業の時間がせまっていようと関係ありません。何があってもメシはいらんっていう選択肢というものが選べません。さらに私が時間にルーズであればあるほど、何故かうちのとなりのオバハンは喜びます。そして実に嬉しそうに〝おまえはもう立派なチューク人やなっ!〟と言われるのです。
悪しき習慣!悪しきチューク人めっ!!
なんて思いながらもその悪癖に身を委ねて楽をしている自分、ここにアリ。
柳の木は折れないとか。
まあ一人だけ、せっせと肩を張って強情に真面目な日本人を貫いたところでボキッと折れるのが関の山。必至で努力して怠けようとして自ら怠けるぐらいでちょうどいいぐらいなのかもしれません。
八ヶ月の私の怠け計画が実ったのか、先週末に副校長先生から、遂に〝カー フォックン チュポン!(お前はほんまになまけもんやなぁ!)〟と言ってもらうことが出来ました。これは私の一つの活動実績と呼んでもいいと思います。
私はこの州の初の小学校隊員ですので特に何をせないかんみたいなのもないのです。ただ、第一歩として入るからには今後のとっかかりを作るのが自分の仕事かなと勝手に思い込み、今後の活動がしやすくなるよう、反発を生まないよう、〝現地人になりきる〟〝現地の文化、生活を受け入れる〟〝現地語習得をないがしろにしない〟といったことを中心に据えてこれまで生活をしてきたのです。
だから、チューク人と呼ばれ出した今こそぼちぼち活動の第一章(なまけもの編)を閉幕してもよさそうなのですがミイラ取りがミイラになってしまいそうな予感がしてきました。
そしてふと思う訳です。ここに来たから私はチュポン(なまけもの)になったわけではなく、日本にいるときからチュポンだったぞ、と。生まれてこの方ずっとチュポンだったぞ、と。チュポンの中で育ったからチュポンであるこの国の人と、世界にもまれに見る勤勉大国日本で育ったにも関わらず万年チュポンの私。どう考えても私のチュポンの方がレベル高いでしょ。これは実に王族クラスである。数万人に一人の才能。チュポンの権化。
そうです、類は友を呼ぶのです。ミイラ取りがミイラになるんじゃなく、私はそもそもミイラだったのです。チュポンの民に呼び寄せられたチュポンの王とでも言いましょうか。ということで、第二章はミイラの中で私がミイラの王となってみんなを率いる物語になる予定です。乞うご期待。
王様はボクだ、家来はキミだーーーーー。(きんしょー)
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