2011年12月29日木曜日

第二十五&六週目。(コリアン)

コリアンコリアンうるさいんじゃー。

ぼくはジャパニーズ。


フィリピンにいます。

どこにいってもコリアンといわれるのは私がコリアンフェイスだからか、それとも純粋にコリアンの旅行者が世界的に増えてきたから?

何にせよ先週はベリンジャー&葬式関係でどたばた、今週は任国外旅行、ということで更新全然していません。まあ明日も明後日もきっとしませんけど。


国外暮らししてから感じる他国と、日本からぷらりと出てきたときに感じていた他国。
同じ〝海外旅行〟なのに何かが違う。

自分の中で何かが知らぬ間に大きく変わってるんだなぁ。

とりあえず右下の親知らずが当たって歯が痛いです。
チュークには帰りたいような…。(家族が心配)
帰りたくないような…。(生活の不便さは世界に誇れるレベル)


フィリピンについては後日まとめます。
もう更新するか分からんので、みなさん良いお年を。

2011年12月21日水曜日

すごい男の歌。

今日は仕事納め。学校、最後の一日です。とゆうてもクリスマスプログラムとかゆうて、子どもが歌を歌ったり踊ったり芝居(チューク語でも芝居はシバイ)したりなので私は完全にゲストですけどね。

つまり、明日はグアムで、明後日はフィリピンなんです。

六ヶ月のチューク暮らし。長かったような、短かったような、長かったような…。
まあ、言えるのはそんなに悪いもんじゃなかったなぁってこと。

昨日、唯一のご近所さんで頻繁にお世話になったすごい男(シニアボランティア)の送別会をしたんですけども、そんなすごい男も言っていました。

「2年間、いろいろありました。でも来てよかったです。」
「チュークはどうしようもないけど、人はいいよね。」

最高の笑顔と泣顔をありがとうございました。
残ったチューク隊一同も、すごい男になれるように一層の努力をしようと思います。


先ほど、そのすごい男からメールが届きまして、「昨日は心あたたまる送別会をありがとう。みんながいつどうやって帰ったのかは覚えてないけど。」って書いてました。

やっぱりいろんな意味ですごい男です。

2011年12月20日火曜日

メリークリスマス!

学校に行くと突然「今日は二年生はクリスマスパーティーだから」と言われてみんなで仲良くセッティング。

じゃーん。南国風クリスマスツリー。


周りにはおもちゃがいっぱいおいてあります。これ、実は子ども同士のプレゼント交換のプレゼントなんです。先生に名前を呼ばれるときゃっきゃっといいながら前に進み出て受け取ります。

「メリークリスマス、だれだれより、だれだれへ」
みたいな簡単なメッセージ。

すると、突然、
「メリークリスマス、オチチョより、コータイへ」

私の名前を呼ばれました。
オチチョ!!!!
うちの学校で一番のワルガキんちょです。
くれたのはクッキーでした。


いつもぼこすかゲンコツをしまくってるのに…。
まあでも一番、手がかかる=目を掛けてるんですけどね。

ありがとう、オチチョ。

他にもなんか保護者から歯磨き粉とか石けんとかタオルとかもらっちゃいました。

そして最後は恒例のサアモガ。食べ物の量が半端じゃない。これが、一人前です…。
半分以上残しましたが、残飯はだれかがもってかえってくてたのでまた食べるか、犬か豚の餌になるのでしょう。


メリークリスマス!

2011年12月19日月曜日

生きてるだけでだいたいOK。

まじでか?うそやろ?

外でバーベキューチキンを食べていたら、てくてくとベリンジャーが歩いて来ました。
びっこをひいて、痛々しい姿でしたけど。

似てたけど絶対違う。そんなはずがない。

でも顔に付いていた近所の犬と喧嘩したときの傷。ベリンジャーです。
オトウトスと一緒に声をあげて喜びました。

近所のおばちゃん曰く、ベリンジャーを見つけて二日間ローカルメディシンとローカルマッサージをベリンジャーに施したら息を吹き返したそうです。うさんくさい話ですのでどこまでほんまかはしらんけど。

生きてるだけでだいたいok。(byマギー司郎)

とりあえず生きててよかった。
二転三転する話ばかりいつもすいません。

でも、やっぱり学校で命をテーマにした授業をしようと思います。

2011年12月18日日曜日

オトウトス。

いいタイミングで調整員さんが来てくれたお陰でこの二日間でかなりリフレッシュさせてもらいました。人が入ってくるとやっぱり気分が変わりますね。

さらに今回は調整員さんがパパスの病室にもお見舞いに来てくれたのですが、その瞬間にここ1週間程ずっと暗かったパパスの顔がいっきにぱっと明るくなりました。日本人大好き、特にJICAが大好きなうちのパパス。調整員さんの突然の訪問がかなり嬉しかったみたいです。ニコニコしているパパスを見ていると私も気づいたらニコニコしてることに気づきました。他人の表情は自分の鏡ですね。

昨晩はなんとなく帰りたくなくて同期隊員のステイ先に泊まらせてもらったんですがいつまでもそんなことをしておくこともできないので今日はちゃんと家に帰って来ました。

オトウトスに〝ベリンジャーの首輪を探してきてくれる?思い出として持っておきたいんだ。〟って言うと二つ返事でオバチャンたちのとこにいってくれました。誰が外したのかやら、どこにおいたのかやらをせっせと聞いて探してくれたみたい。

部屋で仕事をしていたら、オトウトスがドアをノックして「ニイチャン…?入っていい?」って聞くので招き入れると彼は神妙な顔をしてました。

「ベリンジャーがいなくなって寂しい。」
彼がぼそって言いながら見つけてきた首輪を渡してくれましたので、〝そうだね、ベリンジャーはもういないね。〟って答えたらオトウトスは続けました。

「カリン(猫の名前)もベリンジャーがいなくなって寂しいんだと思う。」

また泣きそうになったけど泣かずに答えました。〝うん、カリンとベリンジャーはいいライバルだったからね。〟

そうなんです、私がチュークに来たときにはカリンもベリンジャーも同じぐらいのサイズだったんです。どっちもほぼ生まれたての赤ちゃん。ことあるごとにカリンとベリンジャーは喧嘩ばっかりしてたんですよね。成長してからもつい三日前も餌を巡って火花を散らしていました。

ベリンジャーとカリンと一緒に私はチュークで成長してきたんだなぁ。
そして、オトウトスもずっと単身でハワイの親戚の家に居候していたので、私が来るのとほぼ同時にチューク生活を再スタートしています。

ベリンジャー、カリン、オトウトス、私。
四人はこの六ヶ月ほぼ同じようなペースで歩んできたんです。

そんなオトウトスが寂しそうな、悲しそうな顔をしていました。

近所の子どもたちは知らんけど、やっぱりオトウトスにとってはベリンジャーが特別な存在になっていたことに時間をおいたら分かったみたいです。完全にいなくなってみないと分からないもんですよね。家に帰ってきてもしっぽをふりふり跳びかかってくる駄犬ベリンジャーがいないんです。ずっと一緒やったのに。オトウトスには犬のしつけの仕方を教えたんです。オトウトスと一緒にせっせと仕込んだらベリンジャーは最終的にはお座り、お手、待て、が出来るようになったんですよ。そりゃおらんくなったらさみしいですよ。

なくして気づくものこそが本当に大切なもの。



今日は本当は別件でオトウトスを部屋に呼んで家族(兄弟)会議をしようと思っていたんですがやめました。
まあ会議というか躾というかなんというか。パパスとママスにオトウトスの世話を頼まれているので、定期的に口をすっぱくして憎まれ役を買わないといけないんですよ。8時以降は外出するな、勉強をしなさい、部屋を片付けなさい…などなど。

でも、今日はもういいや。
なんかちょっと嬉しかったし。

明日またちょっと話をしよう。

2011年12月17日土曜日

Peninja.(命の価値)

Peninjaは死にました。

昨日は仕事がたまっていたので部屋にこもって丸つけやら何やらで忙しかったんです。一息ついて外に出たのは夜九時をまわったぐらいかな。弟が「ベリンジャーが車にひかれて下半身ひきずってたよ」って平気な風でトランプ遊びをしていました。

どこにおるん?って聞いても「隣の家じゃない?」って曖昧な返事。

このチュークでは車の速度は20キロ程度、たまに犬がひかれたって聞いてもだいたいはぺしってぶつかったぐらいで弟の緊迫感のなさからもたぶんたいしたことないんだろうなと思いつつも心配なのでお隣まで足を運びました。

ベリンジャーはどこ?聞いたところでお隣さんも「知らんよ、何かあったみたいやけど。」って曖昧な返事。

ベリンジャーはどこ?子どもたちに聞くと聞き取れないチューク語で何かいいながら笑って放り投げるジェスチャーをしました。

「もう死んだから海に投げ入れられたらしい。」

弟がトランプのカードを山札に捨てながら言いました。

何で笑ってるん?
何がみんな楽しいん?

四日前にチュークでついに首輪を見つけたんです。青い首輪。ださださのしょぼしょぼの青いナイロンの首輪。私が買ってきて首に巻いてやると機嫌よくつけていたの。たった半日だけだけどね。夜にはもう誰かが外していました。葬式があるので繋いでいたら吠えるからとかがどうせ理由ちゃうかな。何にせよ私が買ってきたベリンジャーの首輪は半日で外されました。

パパスもママスも病院やし、ここ最近は私の発言権があまりなかったから黙ってたんです。今日の昼、近所の犬を追っかけて道路に飛び出すベリンジャーを見ながら危ないなぁ…って思いながらも黙ってたんです。

実は首輪は日本からちゃんとしたやつを彼女が送ってくれる予定でした。たまたま届く前にチュークで間に合わせの品を見つけたので試しに巻いてみただけで、今まではずーっと針金で作った首輪を巻いてたんです。首が荒れてしまってかわいそうやったから日本から送ってもらうことにしてたんです。

ロープももう買ってたんです。ロープの先に金具をつけるのももう出来てたんです。カチッてするやつね。
長さも二種類作って、いっこは繋ぐ用。もいっこは散歩用。自家製ベリンジャーセット。
来年からは一日一回はベリンジャーと散歩いくぞっ!て決めてたのに一回もいかれへんかった。

そういえばベリンジャー用のシャンプーも買ったんですよ。まあ人間用シャンプーやけど。これからはぼくが二週間に一回ぐらいシャンプーするからもう臭くなくなるしノミも減るよーってママスに言うてた矢先でした。ママスも大喜びしてたのに。そういえば明日が二回目のシャンプーの日やったね。

寝る時間でもないのに部屋に鍵をかけました。悔しくて悔しくて泣きました。何で誰一人ベリンジャーの心配をしてあげられなかったんだろう。いっぱい人おったやんか。そもそも道路に出る前に止められへんかったんかな。

何でケタケタ笑いながら死んだ死んだって言えるの?

そして、明日にでも友達とふざけた会話をしながらゲラゲラ笑うであろう自分を想像したら涙がとまらなくなりました。ベリンジャーが消えちゃうみたいで涙がとまらなくなりました。

人の死も動物の死も徐々に消化されていきます。普通の何気ない生活を繰り返す中でゆっくりゆっくり消化されていきます。

でも最初からケタケタ笑いながら死んだ死んだという時、そこには「死」が存在してないんだろうなぁ。そもそも彼らは動物の「命」を直視できてないんじゃないかな。

彼らからしたら、お前もアリを潰すし、蚊も叩く、ゴキブリだって殺すじゃないか。みたいなレベルなんでしょう。もっと言えばドアが壊れるとかに近い感覚でとらえているような気がする。

そうだよ。何が違うんだって強気に言われると困るけど。やっぱり違う。

少なくとも、ベリンジャーはあなた達のことを好きでしたよ。変な酔っ払いが来たら狂ったように吠えるのにあなたたちの顔を見たらしっぽ振ってたじゃない。

ネットが葬式の前日からずっとプラグごと引っこ抜かれて使えないので彼女に電話をしました。いつぶりの電話やろ。メールはするけど、声はながらく聞いてなかったなぁ。

ベリンジャーが死んだよ。

首輪もう、買ったのに。
赤い首輪だよ。
ごめんね。送るのもうちょっと早かったらつけれたのにね。

電話越しで彼女も号泣していました。

ベリンジャーよかったね。
もう一人泣いてくれる人がいたよ。

ベリンジャーごめんね。
気づくの遅かったね。

せめて海に捨てられる前に会いたかったよ。
さむいね、さみしいね。

ぼくもさみしい。

ベリンジャーはどこ?
もうおらへんのやね。

ベリンジャーはどこ?
海に帰ったんやね。

放り投げられた近所は汚れて汚いないから沖に行くんやで。この島を離れたら世界一綺麗な海が広がってるからね。

よかったね、ベリンジャー。
チュークはあんまり誇れる場所ないけど海はすごいよ。
サンゴもお魚もいっぱい見れるね。

ごめんね。ベリンジャー。

悩んだけど、ぼくは彼らを許すことにするよ。今回の件は実に受け入れ難いけど。仕方ないんだ。彼らにとって「命」の持つ価値がそれだけのもんなんだから。

怒って喧嘩したところできっと何にも変わらない。さみしいね。

ぼくは先生やから先生として自分が出来ることをすると約束するよ。チュークの学校で命の話をしようね。ベリンジャーのことも伝えるよ。

だからいったん落ち着かなきゃね。
泣くのはやめるよ。

ごめんね。ベリンジャー。
ぼくは君を忘れないけどいつも通り楽しく過ごすよ。もういっぱい泣いたからね。

ありがとう。ベリンジャー。
もうチュークには生まれてくんなよ。

おやすみ、さようなら。

2011年12月15日木曜日

キミの家はオレの家、オレの家もオレの家。

葬式は無事に終了しました。最後に棺桶を土の中に埋めて、その直後にその上に墓石をコンクリートで作るんですが仕事が早い早い。一瞬にしてそれっぽい形になってしまいました。

ということで、マサオナカヤマ氏は我が家の庭に眠っています。

我が家と言っていますが、昨日知ったのですがこの家はマサオナカヤマ氏の家だったようで。うちのパパスの一番上の姉がマサオナカヤマ氏と結婚しており、うちのパパスとマサオナカヤマ氏は義理の兄弟ってやつです。

チュークでは家族と呼べる人間の範囲が広く、家の所有権みたいなのも結構アバウト。だからうちのパパスがマサオナカヤマ氏の家に住んでいられる理由もここにあるんですね。さらに色々聞いていたらうちのパパスのほんまの家は実は今住んでるところとは別にあるらしいです。今はだれも住んでいないみたいですけども。

いやー、チュークの人間関係は聞けば聞くほど、分かれば分かるほどに意味がわからんくなります。なんせ、小さい島なんで二人か多くても三人ぐらい人を辿れば親族ですからね。

「あんまり知らない方がいいっすよ?嫌なこといっぱいわかっちゃいますから。」
っていうのがもう帰国した先輩隊員の残してくれたメッセージ。
確かに…。今回実感しました。

具体的には書きませんが、上の情報を調べる中だけでも若干ではありますが知りたくなかったことを知ってしまったのは確かです。

限られた土地の中で、人間関係も濃密、人の流れもそんなにない。
ってなったらだんだん淀んでくるのも当然ですよね。

2011年12月14日水曜日

俺は俺の死を死にたい。

今日と明日は倉庫で眠ることになりました。私の部屋は遺体に近いので使ったらあかんらしいです。

そもそもマサオナカヤマ氏は生前の意思で火葬にしてくれってゆうたはずやのに遺体が空輸で運ばれてくるのがなにかおかしい。ちなみに国外で亡くなられた場合に空輸で遺体が運ばれてくるのはキリスト教のこの国ではよくあることなのですが、マサオナカヤマ氏の意思が尊重されていたら遺骨としてチュークにとどくはずなんですよね。どうやら教会が火葬に待ったをかけたみたいなんです。

宗教のことはよくわからんし、あんまし口出ししたくないけど横暴だなぁ。

宗教そのものは割と興味深いし好きですが異質なモノを認められないタイプの宗教観は嫌いです。

っていうのを書いたのは昨日の昼間のこと。
倉庫の中で寝るのもそんなに悪くはなかったです。

2011年12月13日火曜日

南国時間。

あれ?
自分の授業時間に教室いったのに別の先生が授業やりだした…。しかも今はじまったばかりっぽいぞ…。

これは、授業時間が大幅に遅れてるパターンやな。
なんで時間感覚こんなにおかしいんかなとおもったら理由はやっぱりあるわけで。

まず時計がおかしいんです。
メインオフィスの時計ですら常にこの状態です。


時計なんて常備しているひとはほとんどいないので人によっては太陽の傾きで動いている人もいるぐらい。
のらーりくらーり動く南国時間は嫌いじゃないけどね。

2011年12月12日月曜日

カリンの悲劇。

病院から帰ると夜も遅いにもかかわらず家にはまだわんさか人が集まっていました。どうやら式場設営は無事に終了したみたいです。

いつも通り、〝カリーーーーン!〟と名前を呼ぶと。
ミャーーと言いながらどこからともなく現れたカリン様(猫の名前です)。

身体も顔も真っ白のペンキまみれ。
ふつふつと怒りがこみ上げてきます。

そういえば昼頃に帰ってきた時には家のペンキの塗り替えが終わってなかったので若者が数人で協力して取りかかっていたのです。頭にべたり、そして身体になんてべっちゃり。どう考えても誰かにベタってされへんかったら汚れないようなペンキの付き方なんです。

カリンは子猫の時からずっと大事に大事にしてきたので、今では完全に人間に心を許していたんです。動物がゴミ(あるいは食料)のように扱われるこのチュークでは珍しいんですよ、この状況。名前を呼ばれたらどこにおっても駆けつけてくるんです。猫のくせに犬みたいな懐きっぷり。最初は私にしか寄ってこなかったのですが、近所の子どもにも動物に石を投げないようにせっせと教えると同時に、べたべたに懐いているカリンを通じて動物は愛情を注いだらその分懐いて返ってくるんだよっていう様子を具体的に見せていると、徐々に近所の子どもたちの動物に対する反応も変わってきていたんです。ほんで、つい最近は子どもが来ても逃げないようになってたんですよ。それどころか子どもにも甘えるようになって、それが嬉しいのか子どもたちもカリンのことを大事にしてくれるようになってたんです。

そんな矢先。

もうもはや家に手伝いに来てる人数が多すぎて誰が何をしたのかも分かりませんし、もしかしたらカリンが自分でペンキのところにぶつかったのかもしれませんけど。日頃のカリンの行動からして、綺麗好きなので自分からペンキべたべたになることはないと思うんですよね。もしペンキがつくとしてもちょろっだけやと思うんです。ちょっとでも付いたら多分嫌がってもうそこには近づかないと思うんですね。だから、ペンキ塗ってる人のところに甘えてすり寄っていったらハケを振られてべちゃっと追い払われたって可能性が濃厚だと思うんですけどね…。

猫は毛繕いを舐めてするので、ペンキをぺろぺろと舐めたら大変だと思い、大慌てでせっせとシャンプーを持ってきて洗おうとしたんですが怒る怒る…。
自分の穿いていたズボンをペンキでどろどろにしながらもカリンをホールドしてシャンプーでちょこちょこ洗ったのですが、すすぎの水がどうやらものすごく恐いのでしょう、最終的にはひっかかれまくって私のズボンの上からじょじょじょじょじょーっとオシッコをぶっかけた上で、そそくさと逃げられてしまいました。

パパスの容態を具体的に聞けて、少し気分が楽になって帰宅したのになぁ…。
さすがに少し気分が悪いですね。

とりあえず明日はマサオナカヤマ氏の葬式。授業が終わったらすぐに早退して遺骨が到着するのを待つ予定です。

第二十四週目。(メイークラブシマス)

朝から懐かしい顔を見た。私がチュークに来てすぐのときには、なぜか彼はうちの家の外にある棚の上で寝泊まりしていたんです。でも夏が終わるころ(といってもチュークの夏は終わりませんが、あくまで日本基準)にどっかの島にいってもたよーって聞いたなり見ていなかったお兄さん。彼の名前もナカヤマさん。つまりマサオさんと同じ一族です。

そういえば、私がチュークに来る直前に大きな葬式(パパスのお母さんの葬式?)があったと聞いていますので、もしかしたらあのときも彼は葬式に参加するためだけに帰ってきていたのかもしれません。

来た当初にはまったくコミュケーションが取れなかったお兄さんですが、今朝は少ししゃべれました。彼はまた違う島の方言を話すのです。大別をすればチューク語に位置する言語なんですが、発音などは全然違います。鹿児島とか熊本の方言がきついおばあちゃんとかと会話することを想像してもらったらええんちゃうかと思います。相変わらず何をいってるのか聞き取るのが難しかったですが一応よく聞いたらチューク語みたいですね。まあそんなことが分かるようになったのもこの半年で私が成長した証拠かもしれません。

学校の授業ですが、正直もう消化試合のような状況になってきました。とりあえず九九を読む練習をしているのですが、元気よく楽しく発声することから覚えるために発声することに昇華するための手立てを考えている段階です。ただ、勝手に私が作ったチューク語もどきな九九なのにせっせと頑張って発声してくれてる姿は感涙モノ。チューク語九九の歌を作ろうかと思ってるのですが、音楽作成ソフトがうまいこと扱えず苦戦しています。

停電大国チュークはイルミネーションらしいイルミネーションもあまりないのですが、子どもも職員もクリスマスムードでうきうきしています。「メリークリスマス!」ってのは12月になると挨拶になるんですね。日本ではない感覚やからちょっと戸惑いつつも「メリークリスマス!」ってゆうてます。現地人に、〝日本のクリスマスの意味は違う、恋人同士が街で遊んで、メイクラブするんや。メリークリスマスじゃなくてメイークラブシマスやな。〟ってオヤジみたいなことゆうたらドン引きされました。敬虔なクリスチャンの前でいらんことは言うもんじゃないですね。

今週末は期末テスト。それが終わったら実質もうクリスマスバケーションです。
メイークラブシマス!

2011年12月11日日曜日

チュークの葬式場、設営風景。

葬式の式場設営が着々と進んでおります。
朝起きたらいつのまにやら家の周りに柵ができていました。柵の周りでは女性陣がヤシの葉っぱをつかって目隠し(カーテンみたいなの)をこしらえております。


ズームしてみましょう。こんな感じ。奥の右手のちょこっとみえてるのがうちの家です。
こんなでかい葬式会場みたことないです。この規模の大きさからもマサオナカヤマ氏の偉大さが伝わってきます。


そしてつい先ほど、もう一度外を見に行ってきたらこんなに組み上がっていました。向こう側がもう見えないでしょ?


一方こちらは外にある炊事場。午前中はメンズがせっせと料理をしておりました。日頃はご飯を作るのは女性の仕事であることが多いのですが、大きなイベントの時には何故か男性が調理をする姿をよく見ます。


私は全然参加せずに部屋で自分の部屋の大掃除をしていただけなのですが、分け前をいただきました。

チューク風カレーです。



非常にみずみずしいものの、キャベツが入ってるのがすばらしい!!って思ったら私がビーフン用に買い置きしていたキャベツを見事に全部使われてました。まあでも自分も食べたからいいか。

これは病院からちょろっと帰ってきたママスがご飯を食べてるシーン。右手前のイーッてしているのがママス。食事中のママスはいつでも幸せそうです。今回もなかなかいい表情をしています。


そしてこれが今。


みなさんそろって家のペンキの塗り替えをしてくれています。外だけじゃなく中も全部せっせと塗り替え。

パシャパシャ写真をとってまわっていると、後ろに愛くるしい女の子!
〝日曜日なのにみんなよく働くなぁ…〟って目で見つめていました。

私の宗教。

今の家の状況の報告メールをJICAにしますと調整員さんが昨日電話をかけてくださりまして、「メールの状況とBLOGの状況を照らし合わせたところどっちが正解か分からない。一体全体あなたのおかれている立場はシリアスな状況なの?それともものすごく楽しんでるの?どっち?」と聞かれたのですが…。

まあシリアスな状況を乗り切るために最大限楽しんでいるというのが正解ですね。

状況が緊迫しているならそれを乗り切るためにどうするか。
私はそれを笑いに昇華します。

要は話し方次第、スポットライトのあて方一つで同じ話は全く別の様相を呈します。

すごく悲しいことやひどく落ち込んだときや何かにむかついたときってのはチャンスでして、それはちょっと視点を変えたら笑い話なんです。喜劇は悲劇の裏返し。その逆もまた真なり。

緊迫するような状況が面白くない訳がないんです。顔が引きつるような緊張感がある話しをしているときに、ちょっとその話しの軸をずらしてやる。そこには確実に笑いがあります。

「弱さを笑いにかえる強さを持ちなさい。」
これは小学校の時の恩師が私にくれた言葉で、今なお私を支え続けている行動指針の一つ。もはや私にとっての一つの宗教です。

暗鬱な話しを書くことにメリットは何もないでしょ。文字や言葉は私を盛り上げてもくれますが、同じく落ち込ますこともできます。結局多くの人が言葉(自分の考え)におどらされて気分の上げ下げをしているんです。そして、気分そのものをコントロールするのは難しいけれど、その前段階の言葉(何をどう話すか)はだれにでもコントロールできます。

例えば仕事上でとばっちりを受けて「アイツむかつくんじゃーーーー!」って思ったとして、それをそのまま〝アイツむかつくんじゃーーーー!〟って書いたり頭の中で考えるとそれは「アイツは嫌なやつ、ハラタツハラタツハラタツ!!」と自分の中で増幅されていきます。ひいては一時の感情がもとでその相手のことが生理的に嫌いになっちゃうかもしれません。
そんなときは滑稽譚にしてやればいいんです。そのために何が起こったのかを自分自身の感情を抜きにしてじっくり考えるんです。腹が立つというその感情を考えるのではなく、その感情がどこから起因しているのかを考えるんです。自分の感情がそんだけ高ぶったってことは絶対その原因になってるところの出来事は何かしら可笑しさを含んでいると考えていいでしょう。そしてその話しを誰かに話すことを考えます。どこをどうふくらましたらこれを笑いに昇華できるのだろう…。なんて考え出すともう腹が立っていたことなんて気づいたら忘れてしまいます。ひとつ話しのネタをくれてありがとうってむしろ感謝の気持ちまで出てくるかもしれません。

しかしまあ今回JICAに送ったのは報告メールですので、報告文を書くのに脚色する訳にもいきませんので、そのギャップに調整員さんがおどろいて電話をしてきてくれたのでしょう。ご心配の電話ありがとうございました。
四方八方どこからも風当たりが強そうな調整員さんの仕事は大変だなぁっていつも思いますね。私たちが後ろを気にせず活動できているのは調整員さんのお陰ですね。いつもありがとうございます。


おまけ

みなさんへ。
ちなみに私も暗い話をするときや書くときはありますが、それはきっと意図的なかまってちゃんやと思って相手をしてあげてくださいね。

めんどくさい男より。

2011年12月10日土曜日

I'm lovein' it!

寝起き一番の楽しみはアドベントカレンダー!(過去記事:アドベントカレンダー
今日のところを開けると懐かしのうんちくんキャンディーが!!


ぷりっ!

今日も朝からビーフンをせっせと作りました。安いし、味付けをそのまま反映してくれるし、何よりご飯炊かんでええしええとこだらけのビーフンちゃん。一時こればっかりになりそうです。I'm lovein' it!
ある程度気に入ったら同じメニューが永遠に続いてもご機嫌で食べれるのはじいちゃんの家系の血らしいです。飽きもせずに一ヶ月とか二ヶ月とかずっと昼食は同じラーメン屋で同じメニューとかでも問題なし。さすがにまずかったら嫌やけど。病院の横のレストランなんて二週間毎日行って同じもんを注文しつづけたから店員さんと仲良しになっちゃいましたしね。(過去記事:今日も病院。

昨日からずーっと電話やら訪問客やらがひっきりなしで休む間がありません。電話も訪問客も高確率で英語が話せませんのでチューク語でゴリ押ししてくるのが正直ちょっとしんどいです。仕事と家族(特にママスとの会話)以外でチューク語はできたら使いたくないのです。といっても最近は英語の方がわからんくなってきましたけど…。

電話はほんまに難しいです。英語でもチューク語でもむずかしい。日本語でも難しいけど。駒ヶ根の訓練所でそういや電話の練習なんてしたなーって大昔の出来事のように思い出すのですがすっかり忘れてしまっています。顔が見えないってことや、受け答えの難しさもあるんですが、その前段階としてこの国の場合電話機が高確率で壊れているので通話品質が悪すぎて聞き取れないっていう難しさがそれにプラスされますからね。

挨拶の後の決まり文句。
イオ エン?(あんただれ?)
っていう発音も特に難しくもないし、短い言葉一つすら聞き取れない&聞き取ってもらえないないことが多々あります。

そしてその後の名前…。これが聞き慣れない名前だからまず分からない。そして分かったとしてもスペリングが分からない。

電話がなる度にずーんとテンションが下がるのです。
まぁそもそも夜中に電話かけてくるなっ!ってね。


そういえば、のべ10時間ぐらい掛けてダウンロードしていたクロノトリガー(iPhone用)がようやく落とせました。


昨日の時点で、
約100時間かかるってなってたので正直完全にあきらめてたのに。

期末テストの作成も終わったし今日はちょっとゲームでもして過ごそうかなぁ。

2011年12月9日金曜日

誰がためにメシを作る。

昼の2時からずっと電気がある…。絶好調すぎて恐いです。噂で来週からアメリカから送られてきた発電機が動き出すので24時間電気が来るようになると耳にしましたが裏切られたときが辛いので話半分で聞いときましょう。

今日は仕事を終えて家にかえるとなんかいっぱい家に人がたまっていました。


写真だけではあんまりうじゃうじゃおるようにみえないですが20人弱ぐらいかな。ちなみに私の家は左の平屋の方ね。奥の二階建てもある意味でうちの家みたいな感じですが正確には違います。今月の13日にマサオナカヤマさん(過去記事:マサオナカヤマ)の葬式がうちの家で執り行われるそうでそのための準備にみなさん来てくれてるようです。

しかし、せっせと働いてたのは数人だけであとはテンプラ(ドーナッツ)食うてたり、鼻歌交じりで踊ってたりとよく分からない空間が広がっていました。チュークだなぁ。

私はというと家におったら色々手伝わされそうだったのでエスケープ。日が落ちるまでまだ二時間ぐらいあったので昨日結局いけなかった散髪屋さんに行ってきました。小さいオカマみたいなオッサンのフィリピーノ美容室。コーダァァァイ!とか甘い声で名前呼ばれるとおもったら散髪終わった瞬間からなんか本気マッサージが始まって最終的にはうしろからぎゅっと抱きつかれました。このオッサンはガチやな。まあお陰で下半身以外をしっかりもみほぐしてもらえて得した気分。これで5ドルは安いですね。

帰り道、もうめんどくさいから外食で済まそうかなと思ったんですがそういやオトウトスが昨日なんかニイチャンの作ったやつ食べたいってゆうてたのをふと思い出したんでスーパーで買い物をしてから帰ったんです。

人生初のビーフン料理。店ではちょいちょい食べるもののつこたことなかったんです。


ニンジン炒めて、スパムと炒めて、キャベツを放り込んで。
最後に湯にちょっと晒したビーフンと一緒にしてじゃっじゃっじゃ!

それっぽくなったやん。って思った瞬間に衝撃の事実。


となりのオバチャンが家にきて〝今日はもうオトウトスは病院にステイするらしいからカギをもう締めときなさい〟だってさ。

なんてこったいっ!!
誰かの為につくった料理を自分で処分せなあかんときの切なさったらないね。
アッチョンブリケッ!!

続How are you?考。

How are you?の訳語を教えてくれと頻繁に聞かれるのですが、これを聞かれるがままに〝元気ですか?〟って機械的にあてて教えるのはやめたほうがいいと思うんです。

言葉は私たちのものの考え方を如実に表しているとおもうんです。
日本で〝元気ですか?〟って滅多につかわんでしょ?

日本人が〝元気ですか?〟を使える状況を考えてみました。

・久しぶりに連絡を取る場合でなおかつ顔が見えないとき。(手紙や電話の場合が多い)

何個かあると思って箇条書きしていこうかとおもったらまさかの1個で終わりました…。
直接会うときに久々でも元気ですか?に近い言葉を使うことはあるんですがその場合も〝元気にしてた?〟って聞く場合が大半でしょう。目の前に顔があるので今現在が元気かどうかはわざわざ聞かないのが日本式。

日常的に〝元気ですか?〟を許されている唯一の例外は猪木さんだけです。

だから私はこう教えるようにしています。
直訳するなら〝元気ですか?〟とか〝調子はいかが?〟みたいなんになるけれど、一般的に日本人は元気かどうかが目で見て明らかな場合には確認しあわない。でも体調が悪そうだなとか気分が優れなさそうだなって時は〝大丈夫?〟とか心配するような言葉をかけると喜ばれるよ。ってね。
言葉を教えるっていうのは私たちの考え方を教えることなんだと思うんです。だって、突然日本語しゃべれる外国人に〝元気?!〟って聞かれたら「えっ?なんで?!そんなに私は沈鬱な顔してたかしら?」ってなるでしょ。

ほんで、そんな話を一通りした後、いつも一つだけ私の一番オススメの挨拶を教えます。一番よく使って、これぞ日本人っていうグリーティング。

〝お疲れ様です。〟

これがすらっと口から出てきたらものすごい自然な日本人っぽいよって言いながら、直訳するとYou look tired.とかになってちょっと不思議な感じなんだけど、これにはWell done!やとか、Are you ok?やとか、Take care!やとか、God bless you!みたいないろんな意味が含まれているんだよって説明しています。〝お疲れ様です〟って言われた時の返事も〝お疲れ様です〟でオッケー。すごい頻度で使うから日本人にとってHello!とかHi!にあたるのがこれやと思って間違いないって言うとものすごいびっくりされますね。

ついでに、日本人はぐだぐだになって疲れ果てるまで働くのが美徳とされてるので多くの社会人が朝は冗談みたいな早い時間から夜は日付変わるぐらいまで働いてたりするから顔を合わす度に〝お疲れ様です〟ってお互いを労いながら生活するようになってしまったんじゃないかなーなんて自分なりに考えたこの言葉の語源を話しているので、働かないことをよしとするこの国の人にはなかなかいい刺激なんじゃないでしょうか。
(ちなみに私の住んでいるこの州では〝お疲れ様です〟のちょうど真逆のグリーティングが存在します。〝あんまり働きすぎんな!休憩!休憩!〟って声を掛け合っています。)

それでは、みなさん。
今日も一日お疲れ様です。

挨拶の交わし方。(友達が倍増します。)

How are you?

に対する返事はI'm fine.だと思っていたらちょっと恥ずかしかったりする。カジュアルに話すときにI'm fine.はほぼ聞いたことがない。ほとんどI'm good.

まあGood!とかPretty good!とかだけでもよく使われるけど。

I'm fine, thank you. And you?
なんて教科書の例文みたいなんばっかり毎朝ゆうてたら退屈なやつやと思われちゃいます。

まあでもそんなことは大した問題ではないんです。駒ヶ根の語学研修の時に、私は挨拶代わりにThank you!を使ってました。まあほぼインサイドジョーク化されてしまったオリジナルグリーティングですが。名前を呼ばれるだけで超ハイテンションにしてTHAAAAAAAANK YOOOOOOOOOOU!と毎日毎日あほみたいにでかい声でゆうてました。私はこれがほんとの意味での挨拶だと信じています。

ちなみに、チュークに来てからはThank you!がPochokun!になっただけでこの挨拶は続いています。

PochokunはIfa usun?(How are you?にあたる言葉)に対する最もノーマルな返答方法。

POCHOKUUUUUUUUUUUUUUUUUUNN!(強いぜーー!)
と大きな声で言いながら両腕で元気いっぱい力こぶを作ります。大げさなぐらいの大きなアクションで、ノリノリで声もだしちゃいましょう。手なんて力をいれすぎてぶるぶると震えるぐらいがちょうどいい。勢いあまってジャンプなんかもしちゃったりね。

How are you?に対するFine!だったりGood!だったりっていうのはもうただの慣用表現であって意味をなさないんです。ただ刺激に対する反応として口に出してるだけ。条件反射の類です。その証拠に病気してる時ですらとっさにネイティブが口から出すのはFine.やGood.です。

Fine…
Good…
Pochokun…
どの言葉にしろぼそって言ってしまうともうその人とはその瞬間でおしまい。だって、相手にとっても自分にとってもただ口から条件反射で出てきたような言葉なんですから。

でも、これがもし、
Fiiiiiiiiiiiiiiiiiine!
Verrrrrrrrrrrrrrry Gooooooooood!
Pochokuuuuuuuun!
ってゆうてたら間違いなく条件反射の枠を飛び越えられます。少なくともびりびりと今日はみなぎってるぞってのが伝わるのです。自分の元気っていうのは確実に拡散していくので、それだけで自分の周りの人間が生き生きしてきます。楽しい空間にいる人は自然に仲良くなる。つまり自分が元気であればあるほど友達が増えていくチャンスに恵まれるというカラクリですね。

挨拶は形式的に流してしまったら本当に中身の何もないものになってしまいます。でも、挨拶はもっとも有益なコミュニケーションツールになりうるんです。
元気な挨拶で一日の流れを確実に掴みましょう。

How are you?

2011年12月8日木曜日

いじわるニイチャン。

「ちょっとシャワーしてくるわ。」

オトウトスがわざわざ私の部屋まで報告にきました。パパスもママスも病院にいるのでほぼ二人暮らし状態のオトウトス。全ての行動を逐一報告しにくるところが子どもっぽくて実にかわいらしい。

まあそんなかわいらしいオトウトスに「風呂場にさっきお化けがおったで。」ってさらりと意地悪をゆうたったんです。ちなみにこの国の人は超常現象みたいなんをすごく信じています。ブラックマジックやらホワイトマジックやらがまことしやかにささやかれているぐらいなので信心深いんですね。

てっきりめっちゃびびるとおもったら、「そいつなら俺の友達やで!」と平気な顔で切り返してきたオトウトス。…成長してきたなぁ。しんみり。毎日のようになにかしらアホなことばっかりゆうて騙してきたので日に日に彼も成長しているようです。

さらに、「じゃあそのお前の友達の名前は何ていうんや?」っていう質問にも「〝ハロー〟って言うねん」ってなかなかの素早い切り返し。

「Mrか?それともMsか?」って聞いたら「もちろんMrや!」

ここで私が負けてしまいました。

トイレにスタンバイしているオトウトスの友達のお化けがおって名前がMrハロー。

想像してたら思わず吹き出してしまってそっから二人で笑い転げていた今日の夕暮れ。

ちょっと悔しかったので彼がシャワーを浴びだしたと同時に家のブレーカーを全部落として風呂場のドアを激しくノックするとオトウトスは「ニイチャン?ニイチャン???!」って風呂のなかでめっちゃ焦ってましたけど。

さぞかし怒るやろなーと思って部屋で待機してたら、
「発電所のくそやろー!!」
って怒りながら出てきたオトウトス。さすがチューク人。日常的にほぼ電気がないのでブレーカーを落としたなんて思いもせず、普通に発電所の問題で停電してたと思ってたらしい。まあ一日に長くても10時間しか電気ないしその限られた発電時間すら不安定なチュークで生活してたら自然にそうなるか…。

今月はオトウトスの誕生日。ちなみに去年まではオトウトスはパパスとママスと離ればなれになってハワイで長いこと生活していたんです。ほんでやっと今回久々に親と一緒に誕生日を迎えられると思った矢先のパパスの病気。両親ともちょうど誕生日直前ぐらいでハワイの病院にいっちゃう予定なのでオトウトスにとっては実に残酷です。

さすがにしょんぼりしているオトウトスのためにニイチャンがひと肌脱ぎましょうかね。

チュークサンダル。

一日最低でも2時間近くは歩いているので駒ヶ根で買ったクロックスももうつんつるてんで普通に歩くだけでスケート場のようなスリルを感じられるようになりました。ほんとに大げさじゃなく、一日に2〜3回は漫画のようにすってんころりんと転ぶし、転びかけるだけなら二桁はかたいです。ポンペイに行けばコロースという冗談みたいな名前のクロックスのバッタモンを買えるんでそれまで待ってもよかったんですが我慢しきれずに買っちゃいました。

他州隊員のお土産としても大人気のチュークサンダル!!(3ドルぐらい?)

じゃーーーーん。
新品の香りがするでしょ。いろんな色があるんですが、ちょっと大人っぽく紫にしてみました。そう、欲求不満のカラー。


ところがそのほんの数十分後…。どろどろどよーん。
これがチュークの底力です。


ちなみにふくらはぎのあたりなんてこんなもんじゃありませんよ。
べちょべちょーん。


こんなべちょべちょになって何をしにいったかというと警察まで行って運転免許証を作ってきたのです。


協力隊員は派遣期間中は運転できませんのでただのIDカードですが、これさえあればIDが必要な時にパスポートを持ち歩かなくていけます。あとフィリピンでカードを使って買い物をする時にパスポートともう一つなにか証明が必要なことが少なくないらしく、その時にも使えますね。(日本語で書いてる免許証は不可)
まあ一番のお目当ては右上にあるチュークフラッグ。この州の州旗が大好きな私はママスの免許証を見せてもらって以来この免許証が欲しくてしかたなかったんです。

免許証を発行するのに要した時間は20分程。テストなし、身分確認も特になし、パスポートをコピーされるでもなし。なんとも効力のなさそうなIDカードでございます。

フィリピン人がいっぱい!

今日は学校が休みなので何時もよりちょっと長々と寝た後、テクテクと散髪屋へ歩き出したのですが、朝食を食ってなかったことに気づいて寄り道を。

「ローズガーデン」という名のフィリピン人経営のレストラン。ちなみに、チュークにあるレストランは半分以上がフィリピン人経営です。この前に注文したここのカルビは絶品だったので今日のスペシャルと書いてあった炒飯を頼んでみたんですが、ちょっぴり残念でしたね。まずくはなかったけど可もなく不可もなく。いや、味付けはちょっと駄目かな。もう現地スタイルのメシを食ってたら味覚がおかしくなってきているので、炒飯が油まみれになってないだけで無条件に合格点をあげたくなっちゃうんですけどね。

ちなみに今から行こうと思ってる散髪屋さんもフィリピン人がやっています。パパスに紹介されて行きだした散髪屋さんなんですが、オカマっぽいちっこいオッサンがべらべらとよーしゃべりながら切ってくれるんです。気づいたら散髪屋の近所に住んでる生徒が次々に子どもを呼んできてくれるので一畳半ぐらいの部屋の中が蒸し暑くなってしまうんですけどまあそれも一興。その横の部屋ではオッサンの家族か親戚であろうこれまたフィリピン人の夫婦がミシンで洋服を作っています。

そういえば、学校のすぐ横にある小さいお店もフィリピン人のお店。
ザビエル高校っていうチュークだけじゃなくミクロネシア全土で一番頭のいい高校の先生にもフィリピン人がいるし。オトウトスが通ってる学校なんて職員のほとんどがフィリピン人らしいです。発電所の技術者もフィリピン人。道路建設会社にもフィリピン人がいっぱい。あとはマッサージ系のお店もそんなに数はないんですが全部フィリピン系。

フィリピン人の知り合いも徐々に増えてきて、彼らがそろいもそろって「フィリピンに行ったことあるか?なんで行かないんだ?」と聞いてくるので今回のクリスマス休暇はフィリピンに行くことにしたのです。

チューク→グアム→マニラ→パラワン→セブ→マニラ→グアム→チューク

せっかくフィリピン人の友達おるしアドバイスもらおうとおもったら何の参考にもなりませんでした。

「ボラカイいいよ、ボラカイ。ボラカイ行きなよ。」
「どんなとこなの?」
「知らないけど、ボラカイいいよー。家の近所なんだよー。」

「パラワンいいね!パラワン選んだのは正解だよ!」
「どんなとこなの?」
「知らないけど、パラワンいいよー。行ったことないけどー。」

「どこならしってるの?」
「どこもあんまりしらないよー。フィリピンは広いよー。」

ぼちぼち散髪屋に移動したいけど雨が降ってきてレストランを出られない私はビールを注文するか迷っています。(現在時刻:朝10時前)

2011年12月7日水曜日

日曜日よりの使者。

このままどこか遠く連れてってくれないか
君は君こそは日曜日よりの使者

3コードだけで弾けるハイロウズの名曲。たまたまシャッフルで再生してたら流れてきていろいろ思い出しちゃいました。駒ヶ根のウクレレ三線隊で練習したときは深く考えてこの曲を課題曲にした訳じゃなかったんですが、この曲は実に我々協力隊員にぴったりですね。3コードですぐに弾けてみんなで気軽に歌えるからとおもって選んだだけのこの曲に現地に着いてから励まされるとは思いもしていませんでした。

外界からシャットアウトしたいときにだけヘッドホンを使って音楽を聴くんですが、今日学校でヘッドホンをしてうつむいて座っていたら急に手をむぎゅっと握られました。

目を開けたら名前も知らん生徒が心配そうに見つめていました。不思議なことにその瞬間に一気に気持ちが楽になりました。彼はきっと日曜日よりの使者だったのでしょう。

ふとどこかに行きたくなる。具体的にどこって訳じゃないんだけど、あえていうならここ以外のどこかなんですね。大抵は見たくないもの、受け入れたくないものをみた後に訪れる現実逃避願望。

日曜日よりの使者に〝どこか遠くに連れてってくれないか〟って頼むことのかっこわるいことったらないですね。その点、頼まれる側の日曜日よりの使者はかっこええですよ。

例えば世界中が土砂降りの雨だろうと
ゲラゲラ笑える日曜日よりの使者

適当な嘘をついてその場を切り抜けて
誰一人傷つけない日曜日よりの使者

かっこええぞー。日曜日よりの使者。
ネガティブなことなんてものともしない日曜日よりの使者。

この世の終わりみたいな顔してる人にとっての日曜日よりの使者になろう。
出会うだけで嫌なことはどうでもよくなるぐらいの日曜日よりの使者になろう。

つっけんどん。

自分のつっけんどんな態度や発言の裏に自分の不安定な感情が見え隠れしていて嫌になってきました。いろんなことにイライラしている自分がいます。それは余裕がないからなんですけど、余裕がないときほど余裕のなさを打破する方法が見つからずより余裕がなくなっていくものです。

昨日、病院に行くとパパスが鼻から管を通していました。患部が臀部の肛門周りにあるので排泄物を出す度にバイ菌が入るからという理由で腹を切って管を通し排泄物を直接外に出すようにしたのが先週末。今日鼻から管を通したのは排泄物が上手いこと管から出てこなくなったからとのこと。つらいなぁ。どうりでパパスのお腹が腫れ上がってるなぁって思ってたんです。鼻から身体の中に通した管を通してゆるりゆるりと排泄物?(胃液のようなモノ)がゆっくりゆっくり出てきます。

この日記で私がパパスやママスという一見ふざけた表記を使う理由はただ一つ。ここにきてから自分を家族として扱ってくれるステイ先を自分も家族として受け入れているんですがお父さんやお母さん(あるいはオトンやオカン)っていう表記は日本におるオトンやオカンを指すために使いたいからです。特に父がもう他界してしまってる自分にとってステイ先のパパスのことをお父さんと書くのにすごく抵抗があるのです。まあ永久欠番みたいなもんですね。

しかし、ぐらりぐらりと揺れます。鼻の管を見た瞬間に明らかに動揺してしまった自分がいて、一瞬間の内にオトンのこと思い出して、ハッとここはチュークなんだと思い返したんですね。

キリスト教圏の国ですので毎日のようにお祈りをする機会があるんですが、神様がおるのなら神は残酷でございますなぁ。

人からもらう声の全てが疎ましい。あいさつすらも疎ましい。

〝いい朝だね!〟

ってよくねぇよ。最悪の気分。

多分自分の気持ちさえ落ち着いてご機嫌のときなら、人なつっこくていい国民性だなぁ!
ってほんわかした気持ちで受けいられるんでしょうけど。

なんでそっとしといてほしいときにそっとしといてくれへんのや!
って喚きたくなるんです。

そして、そんなちっこい自分に気づいてつくづく嫌になるんです。
まあ結局表面上は何も変わらずへらへらと笑って生活をしている訳ですけどね。

明日はカトリックの祝日で学校はないそうです。

少し気持ちを落ち着かせようと思います。

2011年12月6日火曜日

怒るに値しない。

額面通りに言葉を受け止める方がいいときもたまにはあるでしょうが、大抵は額面通りの言葉なんてものに翻弄されてたら精神崩壊しますので私はだいたいだれかの口から出てきた言葉はいったん全て流すようにしています。流した上でその言葉を考えるんですね。まあそれは大抵は同時進行で行われます。そしたら大概は相手の言葉をそのまままるっと受け止められて、さらにその言葉の持つ意味を咀嚼することができます。

勉強なんてだいっきらい!絶対にしないもんっ!
って困らせている子どもは実は突然分からなくなった算数に戸惑ってるだけかもしれないし、前日にママに怒られたただの腹いせかもしれません。

口から出てきたものの数秒で流れていってしまう言葉って言うのは当の本人の感情の発露であって、そんな儚いモノを相手にこっちの感情をいちいち揺さぶられてたらどうしようもないでしょ。大抵が口から出てきている言葉なんてものは意味がないものやと思うんです。時々研ぎ澄まされた宝石みたいなんが出てくることもありますが、ほとんどの場合はガムの味がしなくなったカスみたいなもんですよ。だから理由を考えたらだいたいは許せちゃったりします。

しかし、私はいま〝悲しい〟に近い感情を抱いています。

日頃からあんまり言葉を受け止めないようにしていることは私にとって実にいいストレスマネージメントなんですが、時々これが裏目に出ます。それが例えば日曜日の一件(過去記事:腹の虫の居所が悪い。)みたいな時なんですね。

現地人の発言を耳にした瞬間にもう完全にげんなりしてしまったんです。耳に入ってくる言葉より、その人の腹の中のほうが余計に最悪な場合の典型ですね。

じゃあ彼の発言はなんやったか。その裏を返したところで、

「めんどくさい」「車が汚れるのが嫌」「もう金もらったしどうでもいい」「チュークに家あるねんから自分でどうにかできるやろ」「常連客やしせっせとサービスする必要ないやろ」

こんなところに集約されると思います。結局彼もこっちが足がないと動けないことをよく分かっています。でもその上で彼のめんどくさいっていう自分の都合の方が勝っているのです。表面上の言葉よりその腹の中の方がもっと黒い。

これが普通の旅行でちょろっと来ている日本人で空港まで送らなあかんとかやったら多分送っていくと思うんです。文句も言わずね。少なくとも明らかにどうしようもないところで降ろそうなんてしないでしょ。相手はこっちを知っている、知っているからできる手の抜き方なんですね。これって最悪でしょ。知ってる相手になればなるほどだんだん甘えて手は抜きたくなってくるのが人の性。でも商売してるなら絶対に客に甘えたらアカンと思うんです。

もはや「怒るに値しない」サービス。
チュークに住んでる一人としてはただただ悲しいです。

2011年12月5日月曜日

腹の虫の居所が悪い。

腹の虫の居所が悪いです。

誤解がないように書いておきますが。ジープは最高でした。ジープ島はまさに日本人が脳内で理想化しちゃってるまさに〝あの〟南の島生活ができる唯一といっていい島です。いわゆるドラゴンボールのカメハウスですね。絶海の孤島にぽつんとヤシの木と小屋があって、波の音を聞きながらゆるやかに時間が過ぎていく…。高級ホテルみたいな生活を求めて来たら到底かけ離れてはいますが、必要十分に全てが満たされていてそれでいてここでしか出来ない体験が沢山できる。そんな夢のような場所です。ほんとはちょっと実に満足させていただきました。

愛くるしいツマリテングハギちゃんも写真にとれたし。


晩飯がバーベキューチキンやったので一瞬だけ現地の食生活か!!


と思ったのですが、ポテトサラダも出てきて野菜がいっぱい食えて満足でした。


何より我々チューク隊の一番の目的であるTKK48の撮影も完了しました。


そして極めつけはナイトレインボー。(写真提供:チューク隊サラメン)


砂浜が明るくなってるのはシャッター速度を遅くしているからです。実際に目で見た虹はもっと白と黒のコントラストだったんですが、写真にしたらちょっとレインボーカラーになってます。しかし夜空に虹があることははっきりわかるはず。時間は深夜12時ごろなので実際の空はほんとに真っ暗でした。

日頃すさんだチュークでの生活からええ感じで気分転換させてもらった帰りのボートの一枚。一番後ろの亀仙人のじっちゃんみたいになってるのがジープ島を開発(?)した吉田さんです。あと、その横にいるのがたまたまジープに滞在していた東京ガール。ほんとうにやかましいチューク隊がご迷惑をおかけいたしました。チューク隊がご機嫌で過ごせたのはこの一枚の写真の表情に集約されています。


そう、ここまでは最高でした。

実は今回のジープから帰る時に予定していたボート(ブルーラグーン手配)がトラブルがありまして、帰りの船が遅れたんですね。まあどのぐらい遅れたかっていうと、3時ごろには帰る予定が5時過ぎになったんです。でもこれも問題なし。吉田さんが気を利かせてくれて現地スタッフ(ブルーラグーンのオーナーの息子)に徒歩チームの二人を家まで送るように約束してくれていたんです。自転車チームの二人もこの時間なら日没前には家に帰り着けますからね。ここまではなんの問題もなかったんです。

そして、徒歩チームは現地スタッフがちょっと待ってと言うので5時から6時まで待ちました。まあこれも個人的に送ってもらうんならまあええんです。ちなみにブルーラグーンから家まで歩くと1時間半はかかります。

問題は次の瞬間です。ダイブショップの店じまいの仕事を終えた現地スタッフに吉田さんが〝じゃあこいつら送ってきて〟的なことを言うと難色を突然示すスタッフ。ちなみに朝に確認したときはご機嫌で送っていくよと言っていたそうな。ところがどっこい、今はもう傍からみててもびっくりするぐらい嫌そうです。でも、吉田さんが〝ブルーラグーンのトラブルのせいでそもそも遅くなってるんやろ、相手はお客さんやで〟と食い下がって説得してくれたため、とりあえずしぶしぶ車は動きだしたんです。

車内の空気は最悪でした。雰囲気は、拗ねた子どもをイメージしてもらったら分かりやすいかな。ぶすーっとふくれっ面して、全身の毛穴から不満オーラが全開噴出。まあ、そうやってぶすーっとしながらでも仕事を完遂してみせたらまあええですけどね。彼らの行動はもう常軌を逸していました。

トラックストップホテル前で車をとめると〝ここまでや!〟って言い出すスタッフ。こんなとこで降ろされてもこっちにはなんの術もありません。もう歩ける時間をとっくに過ぎており辺りは完全に暗闇。近辺は特に治安の悪いエリアです。
ちなみにブルーラグーンから家までの4分の1か3分の1ぐらいにトラックストップは位置します。つまり半分も運転してないんですよ。

〝お前は吉田がなんてゆうてたか知ってるんか?ここまでってゆうたんや〟ってさも当然のように言うスタッフ。じゃあ吉田さんにすぐ電話してくれって言うと、〝何でそんなことしなあかんねん?〟とな。そして、分が悪いと思ったのか〝ガソリンがもうないからお前の村まで運転したら帰ってこられへんようになってまう〟と今度はまた思いついたようなことを言い出す始末。もちろんガソリンメーターを見ましたがどうみても余裕で行って帰ってこれる量入ってます。そもそもガソリンがなくなって帰られへんようになるならじゃあガソリン入れろよな。そのあともアホみたいな応酬が続いたんですが結果的にはもう一人のボランティアのステイ先の近くまでは車を運転させて、そこからはそこのお父さんに私の村まで運転してもらいました。

残念ながらその頃には楽しかったジープ島の気分はほぼ吹き飛んでいましたけどね。
ほんまに嫌で嫌でしゃあないぐらい嫌なら最初から引き受けへんかったらええんですよ。そしたら、ブルーラグーンから家に帰る方法ならこっちも何個かあるんです。中途半端にカタチだけ引き受けてみて、いざ車の中にはいったら最悪の空気。ほんでで結局自分の仕事すら完遂せず状況を悪化させるだけさせるとか愚の骨頂でしょ。

具体的なことはもう書きましたが、このネタ次回にちょっと続きます。次回はこのどこが駄目で、どこに怒ってるかの考察をします。ただ怒ってるだけなら生産性ゼロやからね。

とりあえず今日は電気がもうすぐ切れるのでこのへんで。

第二十三週目。(解雇)

おはようございます。

昨日のナイトレインボーですが、半月の時に見られたのはジープ島史上初らしいです。そして、ほぼ満月状態でも年に一回見られるか見られないかという現象なので幸運の象徴だそうですが、特に幸運なことはその後発生せず、むしろトラブルだらけで昨晩はひたすら怒り狂っていました。結局幸運の裏返しはその対価としての不幸なのかもしれませんね。

さて、その話はずるずる先延ばしして今日の晩にでも…。

第○週目シリーズは活動報告メインですので、まずは九九のことから。
現地語の九九を導入して一週間以上が経ちました。正直まだ子どもたちの意識として九九を声に出しているものの覚えようとしている段階ではありませんが、最初は異質な数字の数え方に抵抗があったのか全く読もうともしてくれない子どももいたので積極的に声に出してくれるようになってきた今は前進したと言ってもええでしょ。

チューク語九九、二の段
ルーエウルー
ルールールア
ルーウルオル
ルールワル
ルーニメゴン
ルーオルエルー
ルーフィスエルア
ルーワルエオル
ルーティエワル

語呂をよくするために若干短くしたり、読み方を少し変えたりしているもののあくまでチューク語ベース。だから、チューク語ネイティブの子どもたちは自分より流暢に唱えてくれます。家で結構練習していってるつもりなんですが、すぐに追い抜かれてしまいました。「〝九九〟ってのは掛け算の読み方のことなんだよ。日本式の掛け算の覚え方でチュークで〝九九〟っていうのを知ってるのはこの学校の二年生と三年生(自分が持ってるクラス)だけです。だから、家に帰ったら何回も何回も口に出して練習してね。ほんで、ママやパパや兄弟も誰も知らないはずやから君たちが先生なんです。どんどん家族に教えてあげてね。」って言っておいたら本当に家で家族に教えている子どもも出てきたみたいです。道歩いてたら「コータイ!ルーニメゴン!」って知らんオッサンに声かけられました。

もいっこ学校のこと。先週末に仲のいいメンテナンスのニイチャンが解雇されていたことが発覚しました。よく考えたらこの前(過去記事:みつけた!)のときに彼が家にいたのは既に解雇された後だったんですね。私はパパスのお見舞いの為に早退させてもらっていたのであの時間は本来ならまだ職員の勤務時間内のはずですから。ちなみに彼に渡すはずだったクリスマスプレゼントは日本からもう発送済み。彼が何かをやらかしたのか、それともただ単に学校の予算不足によるものなのかは知りませんがなんのアナウンスもなしに職員がいなくなったりっていうのはなんだか寂しいなぁ。

さて、今日も学校いってくるます。

2011年12月4日日曜日

ナイトレインボー。(@ジープ島)

いやー、この世界は実に神秘です。

夜に虹を見ました。

雨が降って月明かりで虹が見えることがあるっていう都市伝説級の自然現象。
ミクロネシアに来る前から聞いていたんですが…。

強い光が必要なのでほぼ満月の時にしかみられず、適度な雨がぱらついている必要があって…うんたらかんたら。といった具合に条件として必要な不確定要素がはいっぱいあるわけです。だから神秘の象徴のように言われるオーロラ(オーロラは見える場所に行きさえすれば出現率は高確率でしょ?)なんかよりよっぽど希少価値の高い現象なんですね。

だからもう、諦めてました。

なーんも考えずにジープ島のビーチで寝てたんです。ジープ島には蚊が一匹もいないので雨さえふらなかったら外で寝るのも可能なんです。「あ!流れ星!」なんて言いながらね、みんなで外に布団を持ち出して寝ようとしてたんです。

最初に肌に水しぶきみたいなのを感じたんですね。雨かな?って思ったんですがでも霧吹きでしゃってされたぐらいの微かな雨。

「雨?」って私が声をだすかださんかぐらいの絶妙なタイミングで「あれって虹じゃないですか?」って興奮気味に声を出したのはたまたまジープ島で一緒に滞在していた東京から来ていたゲスト。

空には半月。


月の逆側の空に綺麗なアーチ。


一眼でパシャリしたんですが、残念ながら私の技術不足でほぼ捉えられませんでした。ちょっとだけ画像編集して微かに上の写真。左下から右上の方にかけてはしってる白い筋なんですが自分にはちゃんと分かるんですがちょっと難しいですよね…。画面の角度を変えたり、顔を動かしたりしたら見えると思うんですがまあ次回もし機会があればもうちょっとちゃんとしたの撮影してみます。

ただ、肉眼ではばっちり見えてました。ほんとにびっくりするぐらいくっきりと綺麗に白と灰色の明暗でアーチを描いてました。

いやー、ええもん見た。

今日はほんとは色々ありまして怒り狂った日記を書きたいんですがナイトレインボーに免じてこのへんでやめときます。そっちの話は明日にでも。

2011年12月2日金曜日

カリン様&ベリンジャー。

今日はうちのカリン様(猫)とベリンジャー(犬)の動画をアップしてみました。


なんとカリン様は新技を覚えたようです。
そして、上からのぞきこんでいるジェラシー犬のベリンジャーにも要注目ですね。


明日、明後日は日本人観光客からも大人気のジープ島に行って来ます。もうチューク滞在半年目に突入していますが実は今回が初の宿泊。ちょっとだけ寄ったのは数回あるけどね。目的は、次回のJICAの総会の時に使うビデオの撮影です。今回のチューク隊はちょっと気合い入ってますよよよっ。

敵はヤップにありっっ!!

お洗濯。

学校帰りにとんでもない船がありました。


ほぼ沈ボートです。

今日は学校の職員会議をサボってミサが終わったら直帰させてもらいました。理由はもう家がむちゃくちゃになってるからです。約2週間ママスが帰ってきていないので着替えもありません。

ということでチュークに来て初のお洗濯。


ぶわっ!!

日本では洗濯物は太陽の匂いがしますが、チュークではだいたい雨の匂いがします。
でも今日は太陽の匂いかもー。

たまには自分でする洗濯も悪くないなぁ。

2011年12月1日木曜日

どっちもどっち。

いつも発電所の文句ばっかりゆうてるけどたまには別の視点から…。

電気が最近すこぶる絶不調である。日中に学校の電気がないのは正直結構きつい。まあ電気があったらあったでフェイスブックに時間を費やされるのも困るけど、その手の先生はだいたい電気に関係なく仕事をあんまりしてないからやっぱり総合的には電気があった方がいい。プリントのデータはあるのに印刷できず結局作り損なんてのは今まで何度も経験していますが何度経験しても本当に悲しいもんです。しかたないから黒板に板書してノートに書かせるんですがそれで上手いこといくなら別にええんですが次の授業までそのページが残ってる確率はゼロに等しいのです。計画停電ならそれでいいんでちゃんと決まった時間につけて決まった時間に消して欲しい。

と、ここまでなら今までと同じような発電所への愚痴になっちゃうんですが…。今日は発電所サイドからみたチュークの電気事情のお話。

うちの家の電気メーターが最近おかしかったんですね。液晶が変な表示になってましていつもなら残金が表示されるはずなのに謎の「——05——」の文字。



ほんで、いつまでたっても電気が切れないんです。プリペイドなので通常生活をしていたら一週間に一回ぐらいは10ドルとか20ドルとか買ってきて入れないと残高がなくなって電気がきれちゃうはずなのに。かれこれ一ヶ月ぐらいはずっとこのままです。うちの家族が何度も発電所に電話して修理に来てくれってゆうてるのに未だに来ず。ほんで、最近いろんな人からちょくちょく耳にする話で合点がいきました。どうやらこれは送電線をいじくってなんぼ電気を使っても金がかからんようになってるみたいです。まあつまりは住人がチートをしてる訳ですね。性格的にうちの家族がしたとは考えられないので多分近隣住人の誰かが電線をいじくって、どんだけ使っても料金がかからんようにしてるんです。まあ、修理依頼で発電所に電話していることからもうちの家族はシロですけどね。うちの家の周りだけじゃなくて、島内のいたるところでこのチートが横行しているらしく発電所に金が入ってこなくなってるらしいです。

うーーーん。

今までこの国のインフラが整わないのは管理サイドの問題だけかと思ってたら結局どっちもどっちなんですね。残念ですけどほんとにここはなにもかも駄目ですね。新しい発電機がチュークに届き今月から24時間電気がくるかもしれないっていう矢先になって今度は住人の方がアホなことをしとるせいで本気で発電所の方が資金不足のため発電機の運用が出来ないそうで。まさに足の引っ張り合い。他の国とするならまだしも、同じ国の、しかも同じ州の、同じ島で、小さな小さな島の中で足の引っ張り合い。こりゃだめだわ。

チューク人好きなんだけどなぁ。適当でなまけもんで直情的、それってすごく人間らしいと思うんです。でも、やっぱり超えたらアカンもんはいっぱい世の中あると思うんですね。それは「俺らは適当なやつやからとかなまけもんやからー」みたいなんで絶対ごまかしたらアカンやろってレベルのもんがね。

理由を色々考えてみたんですが、結局それって仕事に対するリスペクトがないんちゃうかなぁ。自分の仕事に対してもそうやけど他人の仕事に対しても。もし、発電所の人間が自分の仕事をリスペクトして誇りを持っていたら住人は電気の対価としてお金を払っているんだから絶対にそのお金を汚すような真似は出来ないとおもうんです。一方、住人が発電所の仕事をリスペクトして感謝をしていたらその電気を盗もうとは決して思わないでしょ。

人間易きに流れるものとはいえ、どっかでプライドみたいなんがあったらそれを抑える仕事をしてくれると思うんですけどね。

まあ、それは自分の職場についてもそうやし、そもそも人のことだけじゃなくて自分自身についても言えることかもしれへんけどね。自分の与えられた使命ぐらいは矜持を持って真摯に取り組みたいもんですね。

ここでクエスチョン。

またまたちょっと発見しちゃいましたよ。



授業が終わった後、銀行に副校長とビジネスマネージャーと一緒にいったんです。金をおろして、銀行のすぐ横のスーパーに行くと大量に上のTシャツが売られていたんです。ちなみにFSMっていうのはFedarated States of Micronesia(ミクロネシア連邦)の略です。

さて、ここでクエスチョン。
このTシャツはいくらでしょう?(一番近いと思うのを選んでください)

A 1ドル
B 5ドル
C 10ドル
D 20ドル
E 50ドル

ヒント:チュークの物価は日本並みです。普通のTシャツはだいたい10ドル〜20ドルぐらいします。
ヒント:お、ええデザインと思って手にとったんですが、値段を見た瞬間にやすっ!と思いました。


そうです、まさかの。




A 1ドル

正確には1.34ドルでしたが、まあ日本円で100円ぐらいですね。いやー、何でもかんでも高いチュークで100円でこんな観光客が喜びそうなTシャツが買えるなんて!
やっぱりチュークのお店はまだまだ探索の余地がありますね。

そういえばこのメンバーはこの前(過去記事:エビでタイを釣る。)自分の金がなかったときにアイスクリームを買ってくれたメンバーやったことに気づいた私はおろしたてでお金もあったし「アイスクリーム今日は買えたで!!」といって二人にあげたんです。1個65セントのアイスクリーム。

やっぱりたまには人に何かおごるのもええなーと思ってええ気分に浸ってたんですが、途中でビジネスマネージャーが車を降りてどっかにいったと思ったら両手にジュースとドーナツを持ってきて私にくれました。

ジュース(65セント)とドーナツ(1.25ドル)。

あぁ、またしてもエビでタイを釣ってしまった…。
ということで、今日も病院に行って来ます。

2011年11月30日水曜日

今日の収穫。

「ハワイにもしいったら三ヶ月ぐらいは帰ってこられへんよ…。ほんとはママスは行かずに家に残ってたいんだけど、パパスがどうしてもママスも一緒に来て欲しいって言うの…。」

今日、病院に行ったらママスがゆうてはりました。二人は実にラブラブです。

「神様がパパスにまだ生きなさいってゆうているんやと思うねん。お祈りをしてたら突然今日の朝ハワイに行く話がきたし、そもそもそれも自分がたまたま仕事をしとったから保険が適用されてエアチケットがとれるんやし。よくよく考えたら仕事をもらえたのもお祈りをしとったお陰やし。全部が繋がっているのはやっぱり神様によるものやと思う。だから自分は今からもう一回復活することになってるんやと思うねん。」

なんでも気づいたら神様につながっちゃうキリスト教的な考えはやっぱり自分の中で腑に落ちないけど、それで本人が納得できてるならそれでええんやろなと思うようになりました。

パパスは一月いっぱいぐらいで帰ってくるってゆうてるんですけどママスは最低でも三ヶ月はかかるってゆうてましてどっちがほんまかは分からんですが、なんにせよ慣れてきた今頃になってホームステイ生活の大きな転機を迎えそうです。今のところ濃厚なプランは、ハワイに行っていたとなりのオバチャンがラスベガスであったマサオナカヤマさんの葬式に出席してそのまま居座っているのでそのオバチャンにチュークにいったん帰ってきてもらってオトウトスの面倒を見てもらうプランです。

ちなみに、一日だけ例外はあったものの毎日病院までお見舞いにいっていたら、患者さんに完全に病院に来たボランティアだと勘違いされていました。「いつからここで働いてるの?」って言われたから「パパスが入院してるから片道30分以上かけて歩いて毎日お見舞いに来ている親孝行息子です。」って冗談っぽく答えたら予想外にいたく感動されて、ヤシの実を見ず知らずのおじさんからもらいました。
35セントしかポケットに入ってなかったからスナックバーのおばちゃんに「ノドが乾いたんやけど、35セントしか持ってないから35セントにまけてよ!(ちなみに水は50セント)」ってゆうたら「なんや、あんた金ないんか?おばちゃんがおごったるわっ!もってけ!」って男前なことをしてもらいました。

今日の収穫:ヤシの実、水。

第二十二週目。(ハワイに移送?)

なんかどたばたしてて第○週目シリーズを忘れていました。早、二十二週目です。

パパスがハワイの病院に移送される可能性が濃厚になってきました。ただ、パパスは私とオトウトスのことが心配すぎてチュークを出るに出られないのだとか。

今日、早朝に病院から帰ってきたママスが「パパスが行くならママスもハワイに着いて行くことになるけどパパスもママスもコータイとオトウトスが心配で動くに動けないの…コータイは別にご飯も作れるしいいんやけど…オトウトスの方がどうしたらええかな…困った困った…」ってボヤッキーしてました。

別にオトウトスの分もメシつくるし、心配せず行って来たらええやん。あんまりぐずぐずしてたら治るのが余計に遅くなってさらに大変になるで。ってゆうたんですが、クリスマスバケーションの間は私はフィリピン…。その間だけママスの実家にオトウトスを預ける案もママスと考えたんですが、そうすると今度は家に誰もいなくなるのでそれはそれで心配なそうな。難儀ですなぁ…。

活動についてですが、新カウンターパート(四年生の先生)と少し話し合いまして次のクオーターで「日本式の九九」を使った研究授業をしてもらうことになりました。それについては全面的にサポートすると啖呵を切ってしまったので若干忙しくはなると思いますが乗り気になってくれたのでまあええかな。

とりあえず気持ちここにあらずですが、もう少しでクリスマスブレイク。最後の一踏ん張りをします。

今日の一枚
チューク人のツボにどんぴしゃ。我が郷土料理のそばめし。


オトウトスの為につくりました。キャベツとニンジンたっぷりです。

2011年11月29日火曜日

みつけた!

こんなちっこい島ですが探せばいろいろ見逃してるもんがあったりするんです。病院の近所の小さな店にまさかのこんなんがありました。


そう、ソフトクリームマシーン。どうせこの国によくある設備はあるものの動いてない、動かしてないパターンやろなと思いつつもダメ元で聞いてみると…。


久々の再会です。ソフトクリーム。(1ドル)


うんまー。

ちなみに今日は遂に青のルートを使って病院にいったのです。


行きも帰りも青のルート。帰り道にすれ違った女の子に「この道通って恐くないの?」って聞かれましたが、足下は少し悪かったですがそんなに危なくはありませんでした。まぁたまたま酔っぱらいに出会ってないだけかもしれませんが…。
そして、途中聞き覚えのある声がするなとおもったら山の上からうちの学校の仲のいいメンテナンスのお兄ちゃんが手を振っていました。「ちょっと休憩していけー。水やるからー。」というので階段を上っていくといい眺め。


どうやらここはモリ一族(明治期にチュークへと移住した日本人の一族です)の土地らしく、ものすごい古い家が半壊していました。ちなみに俗称でホワイトハウスと言うらしいです。


さらに、驚くことに奥には日本式の墓石までならんでいました。さすがに墓は写真を撮りませんでしたけどね。

すごいなー、って思って色々みてたら突然メンテナンススタッフの顔色が曇りました…。

「ほんまやったら、お前はこの家にステイする予定があってんで。JICAの人が来て、個室が必要って言われたからものすごい超特急で俺がお前の部屋を作ったのに。結局車が入られへんからってゆうて見にも来ずにうちはキャンセルされて、今のステイ先に決まってもたんや。だから俺はちょっと怒ってるねん。せめてちゃんと見に来て欲しかった…。もし、ここにステイしてたら俺がいろんなやつ紹介したったし、チューク語だってもっとバンバン教えたったのに…」

今のステイ先にすごく満足しているし幸せなんですけど、そんな話しを耳にすると少し悲しいですね…まぁそんだけ思ってくれる人がステイ先の家族以外にもいたんだって思うとそれはありがたいことだと受け止めるべきでしょう。どうりで彼は学校でいつも気に掛けてくれてると思ってたんです。ありがとうありがとう。今更ステイ先を変わることもできないし、そんな気もありませんが、もしここにステイしていたとしてもそれはそれで楽しいチューク生活を送っていたのでしょう。まぁ、ステイしなくても遊びにはこれるしね。


左がメンテナンスのお兄ちゃん。ちなみに右もうちの職員。

ちょっと最近歩きすぎで足がさすがに痛いです。チュークの道を歩くのは登山をずっとするような疲れがあります。日本帰ったら富士山の山頂にでも挑戦しよかな…。

2011年11月28日月曜日

謝罪の言葉も見つかりません。

昨日にアップした泥棒未遂の話(過去記事:泥棒未遂。)ですが完全にオトウトス(13才)の勘違いだったようです。心配をおかけした皆さま、本当に申し訳ありませんでした。謝罪の言葉も見つかりません。

昨夜にJICAの方に連絡を入れ、今朝は調整員さんから学校に校長宛の電話までかけていただき、副校長や同僚各位に相談、協力をお願いし、やっぱり警察に電話しなきゃでしょってところまで話はすすんでいたんです。警察に電話するのなら、やっぱり家族からになるやろ…ってことで、病院にパパスとママスの許可を取るため学校を早退しててくてくと歩いて病院までいったんですが…。病院に行って、警察がどうこう言うまえに事実確認のためにパパスとママスに「そういえば自分が一人で留守番してた土曜日の夜、うちの家に泥棒が入りかけたっていう話をたんだけどほんま?」ってさらりときいてみたんですね。そしたら完全に目が点になっていたんです。理由を聞かれたので、オトウトスが近所のオバチャンに言われたってゆうてたから…って言うと全くそんな話は知らないとのこと。そのオバチャンとうちのママスは今日の朝に顔を合わせているので本当の話なら知らない訳がありません。

そう、全てはオトウトスの勘違いだったのです。

近所のオバチャンが私の部屋の隣で近所の若いのと話していたのはほんま。ほんで、そのオバチャンが翌日、オトウトスに何か言ったのはほんま。そして、その何かをどこをどうしたらそうなったのか分かりませんがオトウトスが「若いのが数人集まってうちのドアを壊そうとしたのをオバチャンが止めた」と勘違いしたらしいです。

いや、ほんまあり得ない。あり得ないけどうちのオトウトスならありえます。いつも何かほわんと抜けてるスーパー天然ボーイですからね。何か言い訳は?ってきくと、「あのオバチャンはチューク語しかしゃべらへんしよく分からんかってんもん」ってゆうてましたがあなたもチューク人じゃないの!状況が状況やしもし分からんことがあったら何度か確認するでしょ。そもそもよくわからんのやったら確証のある情報のように流しただめでしょ。

パパスとママスからこってり絞られていたからまあ今回のことは水に流しましょう。今までもここまで激しいのはなかったものの色々あったけどね。オトウトスがらみのネタは事欠きません。

とりあえず、パパスとママスが声をそろえて、「頭痛の原因はいつもこの子!」っていいながらも、「今夜のオトウトスの世話を頼むよ、コータイ!」ってゆうてるあたりに息子への愛情が溢れていますな。なんだかんだでほっこりとした家族に「ベリィィィィィィソォォォォリィィィィ!」って言われると一瞬でまあええかって思えちゃうから不思議です。

それではご心配をおかけした方。
重ね重ね、ほんとうにすいませんでした。

明日には校長を始め、学校関係者に頭を下げてまわるツアーが待っています。

2011年11月27日日曜日

泥棒未遂。

つい先ほど知ったのですが、昨夜うちの家に泥棒未遂があったようです。ちなみにその時に私は一人でステイ先の家でくうくうと眠っていました。泥棒が入ろうとしたドアは私の眠っている頭のすぐ横で1メートルも離れていませんでした。


赤のバツ印が泥棒未遂現場、その横の棒人間が私が寝てる場所と向き。
ちなみに頭の横ぐらいに窓があります。

〝この家、今は誰もおらんからドアを壊そうぜ!〟っていう声を聞いた近所のおばちゃんがかけつけてくれたらしく、その瞬間に蜘蛛の子を散らすように声の主たちはどこかに逃げてしまったようです。おばちゃんの話しでは複数の若い男だったそうな。確かに言われてみれば昨日の深夜にそのおばちゃんの声を聞きました。まあそもそも本来なら私が一人で家にいるから一緒に泊まってやってくれってウチの家族からそのおばちゃんがお願いされてたはずなんですけどね。おばちゃんは「私はなまけもんやから家にかえるわ」ってゆうて昨夜は家にかえってもてたんです。

その前の晩は私はサラメンチューク高校に宿泊していたし、オトウトスとママスは病院でパパスの看病をしていたので我が家には誰もいなかったので昨夜の泥棒たちが前日に事前の下調べでチェックしに来ていたとしたらうちの家にだれもいないと勘違いしたのも無理はありません。だってうちの家はジェネレーターが壊れているので12時以降、発電所からの電力供給がストップすると真っ暗。さらにいつもなら台所にランプの火を灯すのですが、ランプのつけ方が分からなかったので昨夜は灯さずに寝ていたからね。

とりあえず今日は、そのおばちゃんの旦那さんがうちの家の番人として玄関の床の上で寝てくれているのですが、さっきから結構外でガンガン物音してるのにぐーすかとイビキをかいて熟睡しているので依然として心配です。

まあ、この国は悪さをしようにも顔を見られたらアウトなので完全犯罪が見込めるとき以外は基本無茶しないはずなので安全っちゃ安全なんですけどね。小さい島だからもし悪さをしてその時にだれかに目撃されてしまったらコミュニティーに存在できなくなってしまうのです。コミュニティーに存在できなくなる=死。大げさなようですが嘘ではなく本当の話。親と喧嘩した、親戚と仲違いしたといった理由で自殺者が多いのも結局自分のいる場所が簡単になくなってしまうから。日本だといくらでも逃げ場があるけど、人間同士のつながりが強いここにはどこにも逃げ場がありません。

恐くないかってゆうたら恐いですけど、そんなにじゃあ危険なのってゆうとそんなでもないことも頭では分かっています。でも、昨日自分のすぐ真横に泥棒がいたんだって具体的に考えちゃうとやっぱりちょっと恐いんだなぁ。

まぁ、うじうじゆうてもしゃあないから寝るけどね。おやすみー。

百聞は一見にしかず。

新ルート発見。といっても前々からあることは知っていたんですけどね。

これが私の住んでいるweno島。


生活圏を拡大していくつか目印をつけました。
グーグルマップさんありがとう。



白丸が自宅(メッチティウ村)
赤丸が病院(ナンタク村)
黄色丸が学校(トゥヌーク村)

まあいつもはてくてくとピンクの道(所要時間は約10分)を歩いて学校まで行き来するだけの生活なんですが、最近は病院まで行くことも多くなりました。
ちなみに家から病院までいくとなるとオレンジの道をぐるーーーっとまわって行くわけですね。(所要時間は約1時間)
そこで前々から気になっていた青の道を試してみようとおもったのです。学校帰りに病院まで行くとなるとピンク+オレンジをせっせと歩かないといけないのですが、もし青の道が利用可能になればこれはだいぶ楽になるでしょ。ただね、この青の道はものすごく評判が悪く、酔っぱらいがいっぱいいるだとかパチンコを持った若者がクギを飛ばしてくるだとかさんざん言われていたのです。だから朝はまずオレンジの道を通って病院まで行き、途中で空港近くに住んでいるもう一人の隊員と合流して二人で青の道を試してみることにしました。

病院でパパスのお見舞いをして、いざ出発。びくびくしながら歩いていたのですが評判なんてなんのその、道なりにはいい家ばかりが沢山たちならんでいました。まあそれもそのはず、病院のあるエリアの近くは政府系のオフィスが建ち並ぶ場所なので、国の偉いさんの家はそのへんに集まっているのです。

住人はひとなつっこく挨拶をしてくれるし、道も舗装はされていないものの思ったより全然悪くない。なにより湾の横を歩くので道が平らで起伏がない分疲れがそんなにたまりません。ええぞーええぞー。

まあ出てきた場所がより家に近かったのでどうやらいつのまにやら緑の道(所要時間は約20分)を選んでしまっていたみたいです。緑の道はあることすらしらんかったから完全に儲けもんですね。

なんにせよ新ルートを開拓しました。
今まで1時間かけていたお見舞いがなんと20分でいけるようになりました。
百聞は一見にしかず、案ずるより産むが易しですね。

次回こそは目的の青ルートを開拓したいと思います。

チュークの高級料理。


チュークの高級料理。肉抜き野菜炒め。

今朝書いたように「近所のオバチャンがご飯つくっといたから」ってゆうてくれてたんで台所にいってみてびっくり。たしかにご飯が作られていました。

白ご飯のみ…。

こんなこともあろうかと、キャベツと玉ねぎとニンジンを一昨日に買ってきていてよかったです。この国では野菜は超高級食材。めったに現地人は使いません。

ただ、キャベツ1玉300円ほど、玉ねぎ1玉150円ほど、ニンジンは細いのが数本入って100円ほどと別にそんなにばかみたいに高い訳じゃないんです。あくまで相対的に高い。というのも肉が安いんです。あほみたいにでかいサーロインステーキが500円もしないし、鶏肉なんてふくろにぱんぱんにつまってるのがこれまた500円ほど、ブタもまた然り。日本やと2000円は軽くするような肉が500円弱で売ってて、野菜の値段は日本と同じぐらいと思ってもらえたら相対的に野菜が高く感じるでしょ。だから同じぐらいの金をだすなら〝大好きな〟お肉をかっちゃうわけですね。

まあそもそもそれ以前に大多数のチューク人は野菜が嫌いなんですけどね。チューク人で野菜好きなのなんて私の知る限りではうちのママスぐらいです。だからアップロードした写真のような料理とか美味い美味くないの前段階としてとりあえず食わず嫌いします。まあ、一つに調理方法をしらないってのも問題なんですけどね。

白菜はスープによく、キャベツとか空心菜みたいなしゃきっとしてるものは炒め物によいみたいなこととか。かたいもんとか火の通りにくいもんから炒めて、やわいのとか火の通りやすいのをあとで炒めるとか。そんなんは全く気にせず、とりあえずなんでもかんでも鍋に彫り込んで鶏肉と一緒にして煮込みます。ピーマンもニンジンもキャベツも白菜も空心菜も玉ねぎもなんでも一緒に煮込んじゃいます。結果、ニンジンのえぐい味がそのまま出汁になり、キャベツと白菜の絶妙な相性の悪さが口のなかで不協和音を奏で、しなびたピーマンと空心菜が残念な彩りを添えてくれるんです。ほんでどうやって食べるかというと鶏肉だけをよそって野菜たちは見事に無視されちゃうんです。

野菜が使われない、買う人少ない、値段も高い、鮮度保つの難しい…。だから店には平気で腐った野菜が並んでいるし、客はより買う気が失せるし、店側もあんまりよろこんで野菜コーナーを作らない。拡大傾向にある肉、缶詰コーナー。縮小傾向にある野菜コーナー。

あぁ、悲しき南国の食文化。
とりあえず肉抜き野菜炒め、おいしくいただきました。

一人でできるもん。

無事に一人の夜を明かせました。

酔っぱらい一名と、ゴッキー一匹の出現騒動があったものの、概ね平和な夜を過ごせました。早朝から隣の家のオバチャンが心配して家を訪ねてきてくれ、ドアを開けなさいと言うので開けてやるとせっせとご飯を作っていってくれました。どうやらうちのママスに頼まれていたようです。感謝感謝。

ママスが病院でパパスにつきっきりになって以来、洗濯をしてくれる人がおらず替えの服がほとんどなくなりました。自分で洗濯ぐらいできるし、すればええだけなんやけどめんどくさい。しゃあないから苦肉の策として外出時以外は裸で過ごしております。

実は部屋の掃除もママスが気づいたときにはちゃちゃっとやってくれてたんです。ところが今はぐちゃぐちゃぐちゃ。

今までしゃきっと決まってたチューキーズヘアーも、髪の毛の三つ編みを自分では出来ないからぼさぼさっとなってしまってるし。

授業準備をするために英語からチューク語に翻訳する必要があるんですが、自分の知らない単語が出てきたときにパパスがおらんから知る術がないし。

ゴッキーを始末するのはええけど、そのあと後片付けをする人がおらんから、浴室がゴッキーの死骸だらけになってきたし。

今まである程度は送り迎えしてくれてたのに車も家族も病院にあるので島内移動をすべて徒歩でなんとかせなあかんし。

家に電話がかかってきたときに今まではオトウトスの仕事やったのに自分でとらなあかんし。

まあ、上に挙げたようなことなんてちょっとがんばりゃ一人でできるもん。特に難もなくできるんです。でも、今まであたりまえのように甘えてたことが自分一人に降り注ぐとこんなにめんどくさい。めんどくさいめんどくさい。

結局、一人でなんてできないもん。というかしないもん。

今まであたりまえのようにそれらをしてくれてた家族に感謝ですね。
パパスが退院したらちょっと家族サービスをしよう。そうしよう。

2011年11月26日土曜日

くわばらくわばら。

そういえばママスが今日病院でこれをくれました。

じゃーーん。取っ手。


今までこういう状態やったんです。


ドアに取っ手がなくてカギを支えにして開けたり閉めたりせなあかんかったんで、結構これが難しくて忙しい朝とかはイラッとしてたんですね。

それがじゃじゃーん。


これは便利。

どうやら日中に買いに行ってくれたみたいです。そういえば給料が入ったってゆうてたから今までもずっと気にしてくれてたのね。ありがとうママス。

今日は、そんなやさしいママスも、お尻が痛いパパスも、トラブルメーカーなオトウトスもみーんな病院にステイ。私は家で一人だけお留守番しています。よく考えたらチュークに来てから一人で夜を明かすのは初じゃないかな。日本でも滅多に一人で夜を過ごすことなんてなかったなぁ…。なんて考えてたらより心細くなってきました。近所に酔っぱらいが出ませんように酔っぱらいが出ませんように酔っぱらいが出ませんように。くわばらくわばら。