学校で機嫌良く資料作ってたら自分のラップトップの電源アダプターからなんと火花が散りました。しかも結構激しくバチバチとね。しかし、そんな瞬間に自然に湧き起こった感情が危ないなーとかパソコン大丈夫かなーとかそんなことではなく、「花火やー、花火みたいやー」だったことにびっくりしましたね。なんだか焦げ臭い匂いまで花火を想起させるのでした。
たーまやー。
なかなかのジャパンシックにかかっております。
八月のあたまに彼女から送られてきた花火の写真で気分をごまかすことにします。
六月の終わりにここに来たので、ちょうど花火シーズンに帰国かぁ。ビールを片手に浴衣を着て花火大会。焼き鳥、焼きそば、はし巻き…。あーーーーーーー、想像しただけでヨダレ出てきた。
日本にいる人からしたら何が花火やねん、もう九月やろって思われるでしょうが、ここはずっと夏なので自分にとっての日本のイメージはずっとずっと変わらず花火なのです。
もうすぐ日本はお月見ですね。あと一週間ってとこかな?紅葉狩りにでもいってたらすぐ冬が来て。ウィンタースポーツとやらをみなさん楽しむ訳ですね。
そのころここはまだ夏で。日本は冬で。
それが終わったら梅が咲いて、桜の花が春を呼ぶわけですな。
ずっとずっと夏。ずっとずっとずーーーっと夏。変わらない季節。
話は変わって学校のことを少しだけ。今日は二年生をしこたま怒りました。二年生はいわゆる躾の学年ですので。かわいいかわいいだけでは育てられません。
でも、子どもが大人しく勉強に集中できないのは9割方自分に責がある。これは日本でもこの国でも世界中どこでも一緒でしょう。むしろ学校だけに限ったことじゃなく何にしても一緒。何か上手いこといかないときに対象のせいにするのは簡単だし、それで自分にとっては一発で解決しちゃうんだけど、それは本当の意味で解決じゃない。自分ができることを放棄してしまっているんです。
自分が何かをしたいとして、それが上手くいかないときは対象を責めるべきではなく、まず自分を変えるべきなんです。
でも、かといって教室というのは一種の生き物だから今上手いこといってないのが自分のせいだとしても放っておくことが出来ないのが悲しいところ。そこはごめんねうまいことできなくてと思いながらしこたま怒ります。
さて、何を変えるべきか。大きく明確な問題点は二つ。
二ヶ月しか生活してない外人がたどたどしい現地語で授業してる訳で、子どもからしたら分からない時もあるだろうし退屈を感じることも少なくないと思うのです。そして、子どもの学習のレベルをまだ完全に把握しきれていないので授業のレベルが若干合っていないのだと思うのです。
この二つは自分の努力にてまかなえる部分。
あいつらはほんまアホやから全然ゆうこときかへん。
なんでおまえはそんなんもできひんのや。
こんな簡単な問題もできひんのか。
みたいなことをいう先生にはなりたくないなぁ。
どうやったらこのクラスを上手く指導できるかなぁ。
どうやったらこの子が出来るようになるやろ。
どうやったらもうちょっと分かりやすく説明できるかなぁ。
相手を変えるため、「自分が」何をできるか。もう少し考えんといかんみたいです。
日々自分の未熟さを実感しております。
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