うちの学校は教室が外から丸見えなんですよ。金網はあるものの大きな網なので、まあ実質吹き抜けです。まあそうじゃないとクーラーも扇風機もない教室内は暑くて死んでしまいますからね。いわば常にオープンスクールなのです。だから、よく金網の向こうに保護者やら、他の先生やらが立って授業を見ていて、まさに毎日が参観日。
つまりは今回はそれが校長やったというだけの話。
今日はまたまた担任がいなかったので担任代行をし、そのまま授業をしていたんです。もはや朝学校に担任がいないぐらいでは動じなくなってきた自分にびっくりしますね。最初は一人の保護者が金網の向こうで授業を見ていたんですが、気づけばその横に校長も立っていました。校長はなかなかのオーラの持ち主でずばずば意見を言い切る人です。それでいて人望があるのでなかなか魅力全開です。
とりあえず、担任がいない上で運営してることだけ伝えとかなあかんので、「担任はどこにいるの?」と聞くと「知らない!続けていいよ!」とあっさり答えてくれるとこらへんに校長の大物っぷりが伺えますでしょでしょ。
まあ気にせず続けてたら窓の外からずっとにやにやしながら授業を見ているわけです。
にやにやにやにやにやにやにやにやにやにや。
にやにやにやにやにやにやにやにやにやにや。
なにやらすごく楽しそうです。これは、なんか企んでるな。絶対あとで何か言われるんだろーなと思っていたら案の定結局最後まで授業を見ていた校長に終わった瞬間に呼び出されました。ミリオネアばりに言葉を溜める校長。なんやねん、何か言いたいことあったらいっその事ずばっとゆうてくれ、と思った瞬間。
めっちゃでかい声で、
「べぇぇぇぇりぃぃぐぅぅぅぅっどっ!」
くそっ、策士め。無駄にドキドキした時間を返してくれ。とか言いつつも、褒められるとやっぱり嬉しいもんですね。特に特別なことをせずいつも通りの授業してただけなのでどこらへんがグッドやったのかは正直ちょっと分からんけどまあ素直に喜んどきましょう。
ほんで、帰りには車で家まで送ってくれ(いつもは歩いて帰る)、車の中で「ホームシックにかかってない?」と気遣ってくれる始末。
「会いたい人はいっぱいいるし、ここで出来ないことでしたいことはいっぱいあるけど〝ホーム〟シックにはかかってないと思うよ、ここに〝ホーム〟を感じれているから幸せですよ。」と今思ってることを素直に答えると、
またもや、めっちゃでかい声で、
「べぇぇぇぇりぃぃぐぅぅぅぅっどっ!」とな。
家に着き、ママスに今日学校で校長に授業褒められたよーっと報告する(毎日学校であった出来事を話して聞かせています)と、自分が褒められたかのように喜んでくれるし、どんだけだし。
明日の夜から日曜日にかけてバレム島というところで泊まりがけでリトリートがあります。リトリートは宗教行事の一つらしいけど詳しくは知りません。職員と生徒がみんな集まり、教会で瞑想をし、夜は床で雑魚寝をするそうです。ちなみにチュークは本島以外には一切電気はありません。同僚にしれっと、「ピクニックみたいなもんか?」と聞くと全否定されました。ほんまやったら明日の夜には先輩隊員の送別会に参加するつもりやったのに、いきたくないなぁと思ってて、ずばっと校長にいかへんってゆうたろかなーと九割方は思っていたんですがなんか今日は職場でもステイ先でもほっこりさせてもらったので行くことを決断しました。校長の発言から推測するに全職員は強制参加だけど私だけ特別待遇で行くか行かんとくかは選んでよさそうな雰囲気だったんですけどね。
前にも書いたけど、宗教的なのはけっこうきついです。理解はできるし、リスペクトはそこそこできるけど受け入れることは私にはとても難しい。でも、この国にとってキリスト教はもはや文化と呼ぶしかないぐらいに深く根付いているのです。確かに大昔は精霊信仰みたいなんがあって、よくハワイなんかのミクロネシアショーとかで目にするようなステレオタイプな南の島の衣装で身を包みダンスをしていた時代があったそうですが、ここでキリスト教はいらんから、そういったこの国のオリジナルな文化を見せてくれなどと言うのは、日本に来た外国人が「どこに忍者がいるの?サムライは?」って言うようなもんなんですよね。
この国にまるっと受け入れてもらっているなぁ、と日々いろんな場面で感じます。職場で先生たちや子どもたちからの、家では家族からの愛情をひしひしと感じるし。道を歩いているだけでもほんわか地域ぐるみで包みこまれているようなあたたかみを感じます。だから、今現在のこの国のベースになっている宗教についてはやはりこちらがストレスを感じない程度は受け入れようと思うし、受け入れるべきでしょう。ここは一日本人として恩には恩で答えたいじゃあないですか。
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