今日も休みをもらっていたんですが、やっぱり自分の授業を人に任せるのが落ち着かないので授業だけしに学校に行って来ましたよっと。
僕は教師です 就職先がなく
なりたくもない教師になりました
やる気の無い私と やる気の無い生徒
一緒に感じるものも何ひとつない
僕が少年でスリ傷を作って
走り回って川に帽子を落としたとき
空気も野菜も水も愛も
あふれて僕と鬼ごっこをしてた
明日からではなく今日から打ち明けてみよう
みんなと一緒に学校を変えたい
【小谷美紗子・明日からではなく】
学校なんかにいて何でもかんでもポジティブにものごとを捉えられる人なんているんでしょうか。時々、振り切ってポジティブやなーって奴をみると反吐が出そうになるんですね。いわゆるネアカ(根明)ってやつですか。まぁ、表に出してないだけなのかもしれませんがね。でも、明らかにポジティブオーラむんむんな人を時々目にするでしょ。悩んでもしゃあない、考えてもしゃあないなんて言いますが、それでもまるっと全て受け入れて進んでいけるほど私には勇気がない。私の思考回路はいつでも後ろ向きです。ただ、じっとしとくのがいやなので、後ろ向きであれなんであれぐんぐん前には歩いていますけどね。まぁ、びびりなんです。すっごく。
学校を変えたい、なんて言うやつはいっぱいいるけど、まぁ、学校なんて肩の力いれて変えるぞ変えてやるぞ!みたいなことをしなくても自然に変わっていくんですけどね。学校みたいな生き物が変わらずにとどまっていることなんてありえません。あ、でもそれは変えるじゃないんですね。変わるなんです。勝手に変わるんです。
ええ国にしよー。みんな楽しいといいよねー。じゃあ学校をええとこにしよー。そういう意識が学校を変えていけばそれはみんなと一緒に学校を変えたって言えるんかな。でも、今は惰性で変わっていってると思うんですね。ずるずると変わっていく学校。ずるずると惰性で変わるってことは易きに流れているといってもいいと思います。だって、惰性で動く時、自然に楽な方にだれでもいっちゃうでしょ。神がかった精神の持ち主でもないかぎりだれでも流れていっちゃいます。川をさかのぼる水なんてありませんから。強い意識を持つためには大きな目標がいるんだろうな。大きな目標がないこの国の教育を見ていて日本の学校を考えると全く持って一緒な気がします。このままずーんと堕ち続けますよ。
変えたい変えたいなんて騒いでてもなんにもならんですよね。どうせ変わった先もろくなもんじゃない。何を見据えて変えたいんだろう。これが一番大事ちゃうかな。
私は勉強そのものが目標になるような学校にしたいのです。勉強は面白い、それを伝えられる先生が子どもに教える学校。TVもゲームも漫画も子どもを誘惑するものが全部勉強にまけちゃうぐらいに勉強が面白いと思える学校。本来勉強なんてそんなもんだと思うんですけどね。なんて小学校卒業して以来、勉強らしい勉強なんてしたことない私がいっても説得力はないか。
落ち込んだとき、考えるのが嫌になったとき、むしゃくしゃするとき、寂しくなったとき。私は教会塔に上ります。学校の校舎から頭一個飛び出した鐘のある教会塔。
下から見ると分かりますが丘の上にあるんです。多分チュークで一番綺麗な教会じゃないかなぁ。
せっせと教会塔を上ると一面に空と海が広がります。
そしたら、色々なもやもやがすーっと海と空に溶け込みます。
綺麗だなぁ、って単純な思考回路だけ頭に残ってややこしい考えは綺麗に洗われます。
そんな長いこと生きてきた訳でもないけど今までに哀しいもんをいっぱい見てきた気がします。哀しいことだらけです。まともにいちいち泣いてたら涙なんてかれてしまいますよ。だから、まあしゃあないから笑っとこかな。泣いてもどうしようもないなら笑っとくほうが少しの水分と塩分が減らへんだけでも得ですからね。
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